以前、葬式仏教について調べた時に、明治政府によって天皇が国を直接に支配する『天皇親政』という古代のあり方を復活させたと学んだ。
その時の↓
明治時代に、一体何があったのか?
以前読んだ澤野大樹さんの本によると、私たちは「本当の日本」ではなく、明治以降に強引に設定された「新しい日本」というものを半ば強引に信じ込まされてきたらしい。
明治維新のときに、京都で会合した会津藩と薩摩藩は言葉が通じなかった。江戸時代までの日本は『言語不通』であり、方言程度の差ではなく『別の国の言語』レベルであったとこの状態は明治の後半まで続いていたらしい出雲では明治時代まで17音しかなく、50音を発音できる人はほとんどいなかったらしい
それが、明治37年(1904年)に国定教科書が登場して、いわゆる『共通語』が定められた。
天皇も本来は京言葉、いわゆる「ミカド言葉」を話していたのに、明治以降の天皇は共通語を話している。つまり、天皇ですら話し言葉を変えられてしまった。それは、天皇の話し言葉を変えてしまえるような、天皇より「上」の勢力がいたということを意味する。
そもそも江戸時代の天皇家は弱小勢力であり、天皇が『現人神』にされたのは明治になってからのこと。やっぱりそうなのか
それ以前は、基本的には神事を司るボスであっても『神』ではなくあくまで『人間』だった
つまり私達が普段話している『日本語』は明治以降に人工的に創作されたきわめて新しいものであり、天皇は人間から現人神にされた。
『大和民族』という概念も、大日本帝国憲法が発付された頃(1889年)に創作されたらしい。
明治維新で廃藩置県により全国統一したことで、共通語としての日本語と大和民族が創作され、中央集権体制が確立したと
それにより、全国統一政策が実行できるようになり、全国を一つの法律によって支配する『大日本帝国』が完成する。。そして、日本は世界に突進していく。
では、日本を裏で操っていたのは?
澤野さんは『イエズス会』であると。。
古事記や日本書紀が日本の中で脚光を浴びたのは、国家神道の流れの後。国家宗教を作るにあたり、日本をキリスト教化にする流れもあったが、日本人にはキリスト教はなじまないということで、イエス・キリストになぞらえて天皇というスーパースターを作ろうということになった。そして、聖書になぞらえて、古事記と日本書紀をその位置に置いて、国家神道が作られたと書かれている。。
ふむ。この辺りはもっと勉強しよう
ぶっ飛びすぎて歴史無知の私には理解し難い
↓でも、面白かったよ
では、前回の続きです
↓前回
GHQによる検閲→敗戦後から日本が独立する1952年(昭和27年)まで、占領軍の政策に不都合とみなされる報道や言論は、GHQの『プレス・コード』によって検閲の対象となった。
報道、出版、映画、放送から手紙にいたるまで広範囲に言論統制が行われ、とくに原爆の実相についての報道は、原爆を投下したアメリカへの憎しみをあおる恐れから、当局により厳しく封じられた。
対日講和条約が発効した52年に検閲は失効した。
レッドパージ→占領下の1949年(昭和24年)以降、翌年の朝鮮戦争の時期にかけてGHQの指示により、政府・企業が共産党員やその同調者を職場や公職から追放したこと。
別名『赤狩り』
当初この追放は、46年にGHQの方針にもとづいて、日本を戦争に導いた軍国主義者や戦争協力者を、公職から追放し、政治活動を禁じたことからはじまった。
48年5月まで追放者は20万人。
しかし東西冷戦(第二次世界大戦後の米ソニ大国を軸として東西を二分した陣営の対立)が激化し、共産主義の波が日本に押し寄せてくると、日本の共産化を恐れたGHQは政策を転換。
49年以降、当初の追放が大幅に解除される一方で、その対象も変化し、共産党員をはじめとして、組合員、教職員、報道関係者など同調者とみなされた者にまで転用され、3万人以上がその地位を追われた。
こちらも52年の講和条約発効とともに廃止され、追放はすべて解除となった。
【ゲンの世界】
戦争により特攻隊であった親友を亡くしたゲンの学校の先生。
日本が敗けて広島に帰ったら親や兄弟は皆原爆で皆殺しにされていた。
昭和25年、原爆が落された5年後の8月6日に、「平和の祈りと誓いをするあしたの平和集会」が行われる予定であったが、アメリカが朝鮮戦争をやっているので平和を祈ることを禁じられてしまった。
ゲンと先生はそれでも仲間達を引き連れて8月6日当日に「戦争反対!」と声を上げてデモをした。
だが、レッドパージにより教師を辞めさせられた。
当時、日本では不可解な事件が次々に起こっていた。
- 下山総裁事件 国鉄の下山総裁が突然いなくなり発見された時は、常磐線・綾瀬付近の線路の上でひき殺されて死体で見つかった事件。
- 三鷹事件 中央線三鷹駅の7両連結の電車が突然無人のまま暴走して死者6人重軽傷者20人をだした事件。
- 松川事件 東北本線、金谷川・松川駅間で上り列車が脱線し、乗務員3人が死亡した事件。
なぜ、そんなことをするのか?
組合に入って活動している人達は、共産主義のアカで恐ろしい奴らだと日本人のみんなに思わせるためだと先生は語っている。つまりわざと事件を起こして世論誘導したのか
アメリカは人間の正当な権利を要求する日本人が増えたら困る。日本を支配するのに邪魔だからだ。だから戦争反対のデモをした先生もクビになったのだ
これも、日本は無条件降伏で戦争に負けたからだ。
先生は言う。
「政治は日本人すべてのものにかかわってくるんじゃ 知らん顔をしとったらいけんぞ、、、」
知らん顔をしとったから、国民のための政治ではなく、今だけ、金だけ、自分だけの日本になっちゃったんですね、先生
政治に無関心だった過去の自分に往復ビンタだ
選挙に行って意思表示する。どうせ投票したってムサシつかって不正選挙だからーとか諦めちゃダメだ。それも印象操作で、投票に行かせない罠かもしれない。。と思う
ドッジライン→占領軍顧問だったドッジの指導で1949年(昭和24年)初めから行われた経済政策。経済の安定・自立を目標とし、米国の援助などを条件と引き換えに、1ドル=360円という為替のルールを決め、国の財政へ強力に介入することで、敗戦後から続いた激しいインフレを収束させた。その一方で、中小企業の経営悪化や失業者の増加など不景気をもたらす結果ともなった。原爆で壊滅的な被害を受けた広島市も、行政の被爆者支援を遅らせる一因ともなった。
特需ブーム→1950年(昭和25年)に『朝鮮戦争』が勃発すると、それまで中小企業の倒産や失業者の増加であえいでいた日本の経済は、米軍を中心とする国連軍からの物資、サービスの需要(特需)が急増したことで、突如として息を吹き返した。発注された物資が銅材、鉄線・鉄柱、ドラム缶、トラックなどの金属関係が中心であったことから、この景気は「金へん景気」とも呼ばれた。サービスでも、陸上や港湾での軍需物資の積み込み、輸送作業などで労働力が必要とされた。
一方で、焼け跡から鉄や銅などの金目のものを掘り出して業者に売るものが続出。基地周辺では米兵相手の水商売も盛んとなった。朝鮮戦争が休戦にいたるまでの3年半の間に生まれた広い意味での特需は、当時の国家予算(約9300億円)に迫る約8000億円にも達し、日本経済が戦後不況から立ち直るきっかけとなった。
朝鮮戦争で、日本の経済が復活した。。この戦争で約300万人が犠牲となった。
ゲンの世界でも、鉄クズを大量に持っていた男が、語るシーンがある。
金持ちになったのは、戦争のおかげだ。朝鮮戦争につかう弾や兵器や機材の注文をアメリカはこの日本にしている。注文がくれば、日本は儲かる。日本中の人間が朝鮮戦争のおかげで助かっている。
そしてこう言った。
「戦争は悲惨だと口で言うても 戦争を起こしてもうける奴がおるかぎり戦争はなくなりはせんのよ。。」
以前、『北朝鮮は日本が作った国』とネットで見た。
その時は、本当かぁ??と疑っていたが、戦前の日本を学んでいくと、北朝鮮はその頃の日本に似ている。。と思うことが多かった。
そして、北朝鮮拉致被害者家族、蓮池徹さんの本を読んだ時に、日本と北朝鮮の関係や、拉致問題を解決させたくないと思わせるような不自然な動きをする政治家達、国民から集まった一億近い寄付金がなぜか拉致被害者本人達に渡らず、隠す『横田ファンド』。。怪しい読み終わった後全然スッキリしなかった。むしろ疑惑だけが残った。
覚醒剤にしても、日本と北朝鮮は繋がっている。
これは麻薬を調べている時に読んだ。
もし、本当に日本が北朝鮮を作ったのなら、朝鮮戦争は日本を復興させるため?アメリカに復讐するため?なんらかの理由でわざと北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻したのか?
でも、第二次大戦後は北は当時のソ連が占領していたから違うか。。うーーん。。
日本会議やら、A級戦犯、八咫烏、、、謎がいっぱいの日本。。歴史うとい私には難しすぎる。。
次回もはだしのゲンをまとめます
最後まで読んでくれてありがとう