こんにちは!

 

 

コロナの恐怖が世間を席巻し始めた

今年4月に始まったこちらのリレーブログ。

 

 

 

こんな閉塞的な状況の中で

少しでもホッとできるような記事を!

 

ということで、

仲間のカウンセラーたちとともに、

綴ってまいりましたが、

いよいよ最終ラウンドとなりましたクローバー

 

 

最終回のお題は、

 

「なぜ私が カウンセラーを目指したのか?」

 

 

 

私が「心理学」というものに興味を持ったのは、割と歳をとってから。

 

大学では、心理学専攻に進んだ友人もいましたが、私は選んだのは「哲学」でした。

 

 

自分とは何か?

世界とは何か?

 

 

ということに小さいころからずっと興味があり、すべての物事の本質が知りたいと思っていたからです。

 

 

 

でも、大学を出たあと、様々な経験をしていくうちに思ったこと、それは

 

 

「心理学こそが人間というものの本質に近づけるのではないか?」

 

 

心理学を学び始めた根底にはそんな動機がありました。

 

 

でも、ただ学ぶだけではなく、「カウンセリング」というものになぜ携わるようになったのか?

その経緯を綴ってみたいと思います。

 

 

 

 

1.根本裕幸先生との出会い

 (初めてのクライアント体験)

 

スーパーカウンセラー(という肩書が最近増えたらしい)根本裕幸先生と初めて出会ったのは、2008年のことでした。

 

 

当時、私は同じサークル内でのW不倫(お互い結婚はしていなかったからW浮気?W二股?)の彼氏と行き詰まっていました。

 

彼は、自分のパートナーと別れるつもりはない。でも私と別れるのも嫌だ。

私は、早くお互いのパートナーと決着をつけて、正々堂々と付き合いたい。そして彼と結婚したい。

 

 

そんな思惑の違いからケンカも増え、でも別れられずにずるずる続く、という泥沼に完全にハマりこんでいました。

 

 

人目を忍んで、週の半分以上を彼と一緒にラブホテルで過ごすようになり、お互いラブホテルから会社に出勤して、夜待ち合わせして食事したあとまた一緒にラブホテルへ帰る、というアングラな生活。

 

ケンカして過呼吸になることもあったし、一晩中泣き続けたこともありました。

(10時間以上ぶっ通しで泣いても涙って枯れないんだ、と自分でも驚いた)

 

 

そして、心身ともに疲れ果てた我々は、救いを求めて不倫関係の本を読み漁ったり、ネット掲示板に相談してみたりしました。

 

 

そんな中で、<カウンセラーが無料で回答してくれる>という無料メール相談も利用してみたのですが、回答内容に納得できず、、、

 

「もっといいカウンセラーはいないのか!?」と、と検索しまくり、候補に挙がった何人かのカウンセラーの予約を取って、彼と一緒にカウンセリングを受けに行きました。

 

 

 

私はそのとき、

 

「別れるんだったらもう、全部バラしてやる!」

 

と自暴自棄になっていたので、そんな私を諌めたり、諭そうとするカウンセラーもいました。

 

「お互いのパートナーには罪がない」とか、「傷つけるべきではない」とか、、、

 

 

そんなこと言われなくても、頭では当然分かっているんですよね。

 

でも、彼が何ごともなかったように彼女と結婚して、幸せな姿を見せつけられるのかと思うと、発狂しそうになる。(彼は結婚後も私との関係を続けたいと言っていました)

 

だから身動きがとれなくなって苦しんでいた。

 

 

自分でも罪悪感まみれになって苦しんでいるところに、カウンセラーから「正義」を突き付けられ、ますます孤独になり・・・

 

 

 

そんなときに、根本先生のカウンセリングを受けました。

 

 

根本先生は、それまでのカウンセラーと違いました。

 

 

一言も、私を否定するようなことを言わなかった。

 

 

どっちの方が悪いとか、どうするのが正しいか、というようなジャッジメントを一切しなかった。

 

 

淡々と話を聞き、

「どうしたら心が楽になれるか」

を一緒に考えてくれた。

 

それが、とても印象に残りました。

 

 

 

そして、「二人きりの世界は危険なので、同じサークルの中で信頼できる人に打ち明けよ」、という根本先生のアドバイスにより、相談することにしたのが、私の最初の師匠Oさんです。

 

 

Oさんもまた、私を否定せずに優しく受け入れてくれ、私が自分と向き合うためのサポートをしてくれました。

 

Oさんとは、毎週のように吉祥寺の居酒屋で鏡月を飲みながら語り合い、その中で私は「人間の心」というものの不思議さや面白さに触れ、興味を持つようになっていったのです。

 

 

(その後の不倫関係の終焉→どん底時代→インド渡航についてはリレーブログの2巡目で書いてます。)

 

 

 

 

2.心理職への憧れが芽生える

 (石巻での体験)

 

2011年4月の終わりに石巻へボランティアへ行きました。

東日本大震災が発生後、1カ月半くらいのときです。

 

 

しばらくはテントで寝泊まりしながら住宅地のヘドロかきをしていたのですが、ある日突然お声がかかり、避難所で炊き出しの仕事をすることになりました。

 

 

そこは設備の整った大きな施設で、医療介護ケアの必要な高齢被災者の方たちが集まっている避難所でした。

 

 

なので、我々炊き出しスタッフの他にも、医療や介護、リハビリのスタッフが常駐していて、みんな忙しそうに働いていました。

 

 

物資も人材も足りない状況だったので、着くとすぐに「何か資格もってる?」と聞かれたんですが、私はなにも言えるようなものがなく。

 

他のボランティアスタッフの中には、

 

「臨床心理士です!」

「整体師です!」

 

という人がいて、

 

「では、ケアが必要な避難者さんの対応にあたってください!」とすぐに現場に駆り出されていました。

 

 

私は、栄養士さんの指導のもと、レシピ通りに避難者さんの食事を作る仕事に。

 

高齢の方向けに、食事にとろみをつけるとか、ペースト状にするとかいうことを、この時に初めて覚えました。

 

 

 

朝・昼・晩の食事作りの合間にはけっこう時間があり、自由に過ごせました。

 

なので、他の炊き出しスタッフは、

 

「肩もみします!」

 

という自作の段ボールカードを首から下げて避難所をうろつき、積極的に避難者さんとコミュニケーションをとったりしていました。

 

 

 

でも私は、配膳の時間以外は、ほとんど避難所に入れなかった。

 

 

部外者にジロジロ見られることにナーバスになっている避難者さんと目を合わせるのが怖かったし、自分の言動で、傷ついている避難者さんをさらに傷つけてしまうかもしれないことが怖かったから。

 

 

 

なので私は空き時間によく喫煙所に通っていました(当時はヘビースモーカー)。

 

 

しばらくすると、異業種のスタッフ間でも顔見知りが増え、喫煙所で雑談するようになりました。

 

 

 

そんな喫煙所メンバーの中に、Sさんがいました。

 

 

 

Sさんはちょっとコワモテなんだけど、話してみるととても気さくで優しいお兄さん。

 

 

喫煙所で会うたびに、他愛ない言葉を交わすようになりました。

 

 

 

そんなある日、いつものようにSさんと屋外の喫煙所で煙草を吸っていました。

 

遠くに見える丘の上には、桜並木があり、満開になっていました。

 

 

私は、何気なく

 

「桜がきれいですねー」

 

と言いました。

 

 

 

するとSさんは、

 

フッ、と鼻で笑い、

 

 

そして、こうつぶやいたのです。

 

 

 

 

「そんなこと、どうでもいい」

 

 

 

 

 

実はSさんは支援スタッフではなく、高齢のご家族に付き添って避難所で一緒に寝泊まりしている被災者だったのです。

 

 

 

 

その後も、Sさんとは喫煙所で会うたびに雑談をしました。

 

 

 

時には、Sさんが遠くを見つめながらこうつぶやくこともありました。

 

 

「お姉さんはいいよねー、東京に帰ったら自分の部屋があるんでしょ?」

 

 

私は何も言えませんでした。

 

 

 

 

そして、私が東京に帰る日の前夜。

 

 

夕飯の片付けも終わり、寝る前に一服しに行くと、Sさんに会いました。

 

 

 

翌日帰ることを告げ、お礼を伝えたあと、いつもより長い立ち話になりました。

 

 

途中から他の炊き出しスタッフも加わり、しばらく数人で雑談しているうちに、Sさんは少しずつ、3月11日当日の出来事を語り始めました。

 

 

 

自宅が浸水する中、必死に高齢のご家族二人を2階へ上げたこと、

迫る水位に怯えながら夜を明かし、救急車も呼べないまま、お一人が息を引き取ったこと。

後日、探していた親族を変わり果てた姿で発見したこと・・・

 

 

 

聞いていたスタッフは、みんな黙っていました。

 

 

誰も、何も言うことができませんでした。

 

 

 

 

そして私は、東京に帰ったあとも考え続けたのです。

 

 

 

 

ずっと一人で抱えてきた出来事を、最後に打ち明けてくれたSさんに対して、あのとき、私はなんと言えば良かったのだろうか?

 

私はどうすれば、Sさんの心に寄り添うことができたのだろうか?

 

寄り添うとは何だろう??

 

支援するって??

 

何を、どこまでするのが正解なのか?

 

 

 

そこで改めて、

 

「臨床心理士です!」

 

と名乗り出ていた人が思い出されました。

 

 

 

あのとき、私はなんと言うべきだったのか、正解があるならば知りたい。

相手の心に寄り添うためのノウハウがあるなら学びたい。

 

そんな気持ちで、臨床心理士になる方法を調べたりしました。

 

 

 

心理学を学んだ今では、私がどんな言葉を返すかということよりもまず、Sさんが自分の体験を語ることができた、というのが、とりあえず意義のあることだったと分かります。

 

でも当時の私は、「何もできなかった」という無力感でいっぱいだったんですね。

 

 

 

私が心理職を目指すきっかけをつくってくれたSさん。

 

「北上川の祭りは良いよ。来るといいよ。」

 

と言ってくれたけど、その年のお祭りは中止になってしまいました。

 

 

その後は会っていないけど、元気かな。

 

 

今はもう自分の部屋があって、くつろげているんだろうなぁ。

 

 

今年は桜を見て、「キレイだ」と思えているといいな。

 

 

 

 

3.根本裕幸先生との再会

 (自分の使命に気づく)

 

自分の心が抱えている問題は、その原因が解消されない限り、形を変えて何度でも現れてきます。

 

私の場合は、

 

・激しい怒り

・見捨てられ不安

 

をいつも抱えており、それが毎回付き合う彼との間でトラブルを引き起こしていました。

(最近、見捨てられ不安について考えることが多いので、そのうち別記事にしたいと思います)

 

 

2012年頃になると、問題は「酒乱」という形で表れました。

 

酔っ払って、当時の彼氏を殴ったり蹴ったりして暴れるようになり、この問題をきっかけに、再度、根本先生のカウンセリングを受けることになったのです。

 

(詳細はこちらのシリーズで↓)

 

 

スーザン・フォワードの『毒になる親』を熟読し、親との対決をし、根本先生にはインナーチャイルドセラピーをしていただきました。

 

そうして、長年の親の呪縛からやっと解放され、あたりを見回してみると、私と同じように親のせいで苦しんでる人がとても多いことに気がつきました。

 

 

 

ありのままの自分を愛してほしかったのに、コントロールされたり、暴力を振るわれたり、言葉で傷つけられたり、無視されたり、、、

 

 

でもみんな、お父さん・お母さんが大好きだから、我慢してる。

 

機嫌を伺ったり、一生懸命笑わせようとしたり、役に立とうとしたり、認めてもらうために勉強やスポーツをがんばったり。

 

あるいは逆に、「お父さん・お母さんなんか大嫌い!!」と思うことで、傷ついた心を守ろうとしたり。

 

 

 

 

そんな、かつての私みたいな人たちに、早く親の呪縛から抜け出して、自分の人生を取り戻してほしいなぁ、と思いました。

 

 

幼少期に受けた毒親の影響は、生涯に渡ってその人の人生にトラブルを引き起こします。

 

 

そして、その毒は子供へ、そしてそのまた子供へ・・と代々連鎖する。

 

 

そんな連鎖を一つでも多く減らしたい。

 

 

そんな風に思うようになりました。

 

 

 

そして日々、根本先生のブログを読みながら

 

「弟子になりたいなー。募集しないかなー。」

 

と思っていたら、2018年の9月についにお弟子さん制度を設けることが発表され、ソッコーで申し込みをした次第です。

 

 

 

いま生き辛さを感じている方が、本来の輝きを取り戻せるように。

 

そして、自分が心から望む人生を、自分自身の手で創っていけるよう、お手伝いしたいと思っています。

 

(リニューアルメニューは近日中に公開します)

 

 

だいぶ長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございましたクローバー

 

バトンをクロちゃんへ渡します~~!