先日、発売になった根本先生の新刊

 

『ふと感じる 寂しさ、孤独感を癒す本』

 

を送っていただきました。

いつもありがとうございます!

 

 

昨年の暮れぐらいだったと思うんですが、根本先生がこの本のネタ募集をしていたので、

経営者の孤独について書いてください!!」

とリクエストしました。

 

 

ちょうど一年前に起業して、シェアハウスの運営という未知の世界に踏み込んだ私。

 

最初のうちは、みんなでワイワイ毎日楽しく過ごしていたんですが、数か月たつと、何となく違和感を感じるように。

 

周りに人はたくさんいるんだけど、なんか寂しい、虚しい、孤独を感じる。。。

 

もしかしてこれが「経営者の孤独」ってやつか?と思っていたんです。

 

 

年末あたりからは何もやる気がおきず、ブログに書きたいこともたくさんあったんだけど体が動かず。

燃え尽きたような状態が続いていました。

 

 

シェアハウスは、4月から管理人さんに入ってもらって業務量的にはかなり楽になった。

子供も小学校に通うようになって、少し手が離れた。

 

でも、燃え尽き状態からなかなか抜け出せない。

何もやる気がおきない。

心にぽっかりと穴があいたような・・

 

 

 

そしたら先日、師匠のブログ記事に書かれていた「自立しすぎ問題」が刺さりまくり。

 

 

 

一人旅も全然平気だし、一人で居酒屋に入ることもできるし、今日一日誰ともしゃべらなくても「あ、そう言えば」程度にしか思いません。

↑まったくその通り。

 

「休みの日の予定を何かと決めてスケジュール帳を埋めようとする」
「時間の隙間はSNS等で誰かと間接的につながろうとしている」
「依存症なほど何かにハマる」
「仕事を詰め込んで忙しくする」
「ボーっとする時間を作らずにいつも何か手を動かしている」

↑ぜんぶ当てはまってる。

 

それって、「ほんとうは寂しさを抱えているけど、それを感じないように自立という鎧で隠している状態」かもよ、と。

 

 

ふーむ・・

あまり認めたくはないが、仮にそうだということにして、

自分が何に依存して寂しさを癒そうとしているのかを考えてみるといいかもしれません。

 

私はいったい何に依存しているか?

考えてみた。

 

 

答えはすぐに出た。

 

「子育て」だ。

 

 

じゃあ、それに依存しなきゃいけないほどの寂しさを、なんで抱えちゃったの?

これも考えてみた。

 

 

これもすぐに答えが出た。

 

原因は二つあって、一つ目は「パートナーを失った寂しさ」だ。

 

妊娠が分かったとき、彼とはまだ籍を入れていなかった。

さあこれから両親に挨拶に行って籍を入れて・・とワクワクで計画していた最中に、突然フラれた。

 

妊娠4カ月のとき、彼と彼の友人から、「お前のこういうところが人としてダメなんだ。」と、深夜のルノアールで2時間以上にわたって人格否定され、別れを告げられた。(どんな苦行だよ)

 

 

そんな彼氏に対する、

「オマエの力なんか借りなくても、私ひとりで子供を立派に幸せに育ててやるから!」

という、怨念にも近いエネルギーが原動力となって私は子育てを頑張った。

 

ひとり親でも、子供に金銭的な不自由はさせたくない、ほしい環境、やりたいことは全部かなえてあげたい。

 

そんな思いから、仕事をいくつもかけもちして、その合間に、子供と一緒に旅行やテーマパークに行く予定を詰め込んだ。

 

 

元彼との間では、養育費の面でも

「オマエに1ミリでも期待した私がバカだったわ」

ということが幾度となく繰り返され、いつしか私は、「信じられるのは己のみ」という、まさに自立しすぎ状態に。

 

ひとりでがむしゃらに頑張って、自然豊かな環境の物件購入・地方移住と、第一志望の私立小学校への入学を果たした。

 

そんな感じで、子育ては一見うまくいっているんだけど、それは文字通り私がこれまで“滅私”奉公してきたからで。

 

師匠の言う通り、その間も鎧の中にはどんどん寂しさがたまっていって、ずーっとケアされず置き去りにされてしまっていたんですね。

 

 

で、ほしいものを一通り手に入れて、少し落ち着いたところで、ごまかせなくなった寂しさ(心にぽっかりあいた穴)を感じているんだろうなぁ、と。

 

だから最近、仲間にイベントに誘ってもらったりするとめちゃくちゃ嬉しくて、尻尾を振ってついていくしw

せっかく田舎に移住したけど、やっぱり友達と飲み屋の多い高円寺にまた住むのもいいなぁ、なんてふと思うこともある。

 

 

 

で、二つ目の原因。

 

それは、仲間(ライフワーク)を失った寂しさ。

 

思春期から30代まで、私はずっと音楽に打ち込んできた。

 

20年以上苦楽を共にしながら音楽に打ち込んできたバンドメンバーがいて、彼らとともに理想の作品を作り上げていくことが私のライフワークだ、と信じていた。

 

お互いお爺ちゃん・お婆ちゃんになっても、一緒に音楽をやっているんだろうな、と思っていた。

 

そんな、親友でもあったメンバーが、6年前に病気で他界してしまったのだ。

バンドは活動を停止し、それを境に私は、楽器を弾くことも、あれだけ好きだった音楽を聴くこともやめた。

 

悲しさから目をそむけるのに、子育てはちょうどよかった。

毎日が慌ただしく過ぎていくし、子供と一緒に寝落ちすれば、次の日も朝からまた慌ただしく過ぎていく。

 

 

少し前に、根本先生にヒーリングセッションしてもらったのだけど、そのときにライフワークの話になり、

 

①本業(ライフワーク)

②副業

③会社員(ライスワーク)

 

①と②の認識が曖昧になってるから問題が起きてる、と指摘された。

 

 

ライフワークは、「自分が一番やりたいこと、幸せを感じられること」であるべき。

 

 

シェアハウスは私にとってはあくまで副業のはずなのに、そこにエネルギーを取られすぎている、もっと幸せを感じられる仕事は別にあるでしょ?と。

 

「確かに。いろいろやったけど、結局いちばん楽しいのは撮影・編集の仕事なんですよね~」というと、「ほらね!」と。

 

 

私が一番幸せを感じられるのは、そうやって「作品をつくっているとき」なのだから、それをライフワークとして人生の真ん中に据えるビジョンを描けばいい、と言われて、なんだかワクワクしてきた。師匠ありがとう。

 

 

 

というわけで、「美しい自然の豊かな環境で毎日好きなモノ作りに没頭している」というビジョンをこれから実現していきたいと思っております。

 

音楽をまた聴きたい、楽器を弾きたい、という気持ちも少しずつ出てきた。

しまいこんでいたギターの手入れでもしてみようかな。

 

 

 

こんなふうに、「自分にとっての本当の幸せ」をちゃんと理解して、自分で自分に与えてあげることが、本にも書かれている「自己受容・自己理解・自分とつながる」ってことなんだなぁ、と実感しているところです。

 

もっと詳しく知りたい方はぜひご一読を。

 

 

そんな感じで、近況報告でした!

では~