こんにちは、あずあずです。


久しぶりの更新となりました〜
遅ればせながら、
本年もどうぞよろしくお願いいたします!



昨年の6月末に移住して半年、、

個人事業主として経営者になって、
ゲストハウスとかイベントとかやって、
初めてのシェアハウス暮らしも経験して、
会社員として毎日リモートで仕事して、
ボランティア活動もやって、
子育てと家事ももちろん毎日やって、


なんか、いろやりたいことがありすぎて。


しかもけっこう完璧主義だし、
前よりはマシになったとはいえ、
人に頼ったりとかまだ苦手だし。

いろいろがんばりすぎて
これまでの疲れが出てきたのかな?
って感じで年末からグッタリしてました。


でも仕事は常に山積み。。


最低限のことだけなんとかこなしつつ、
それでも常にタスクに追われている状態で
正直しんどかったチーン



そんな中、お正月に友人から、

「熱田神宮に初詣行かないか?」

と誘われまして。



名古屋にある熱田神宮までは
片道3時間以上かかるし、

最初は「なんでわざわざ熱田神宮?」
って思ったんですが。


なんでも、その友人が尊敬している
メンターが先達となって、
神宮を解説して回ってくれるとのこと。


最近はコロナ禍で、
大好きな旅行にもあまり行けてないし、

なんか最近特にしんどいし、

気分転換に行ってみようかな〜

と思い、娘と参加することにしましたひらめき電球



仕事をバタバタと終えてから車で出発して、
名古屋のホテルに到着したのは深夜の1時。


当日は、あつた蓬莱軒で友人達と待ち合わせ
ひつまぶしを頂いてから、いざ参拝へ。


熱田神宮に訪れたのは初めてだったのですが
なんかいろいろすごくて圧倒されました!






先達に、
各所の由来だとかお参りの仕方とかを
丁寧に教わりながら回ったので
全部で3時間以上かかったのですが、
話が面白かったのであっという間でした。



その先達の話の中で特に印象に残ったこと。


みなさん、
「神仏にやたらとお願いごとをしてはいけない」
と思っていませんか?


神様には感謝だけを伝えるべきで、
私利私欲のために祈るべきではない。


最近はそういう考え方が広まっているそうで

私もなんとなくそういう風に思い込んでいて
神様に対して具体的なお願いごとは
あまりしたことがなかった。


でも、先達曰く、

神様にお願いごとをしてもいいんだよ、と。


彼氏やお金がほしかったらお願いすればいいし、
願いがかなわなかったら、
なんでやー!
と文句を言ってもいい。


大丈夫じゃないのに、
大丈夫なフリをするのが
一番よくない。


神様の前で、
どれだけ裸の自分でいられるか、が大事なんだ。



そんな説明を聞いて、
あぁ、なるほどな〜と思った私は、
早速、神様に手を合わせて
素直な気持ちを伝えてみました。



神様、助けてください。
もう無理です。




誰かに助けを求めるというのは、
自立を手放す、ということ。


何でもかんでも自分一人でこなして
自立を極めてきた人間にとっては、

誰かに頼る・お願いする・甘える
もう無理、と降参する

これがめちゃくちゃ難しかったりします。


でも、

自立→相互依存

という次のステージへ成長するためには、
自立を手放すことも必要なんですよね〜



で、神様に正直に助けを求めてみたら、
翌日から早速いろんな変化が起こりました。



まず、私が移住するために
たくさん手助けをしてくれて
移住後もお世話になっている人が、

「車がパンクしたからしばらく停めさせて」

と家に突然やってきたんです。

世間話をしているうちに、
初めてその人に愚痴を言うことができた。
いま困っていることも素直に言えた。

そしたら、心配してくれて、
翌日もメッセージを送ってくれたりして、
「あぁ、私は一人じゃないんだなぁ」
と思うことができました。



それから、
カウンセラー仲間たちと会う機会があって、
「最近どうなの?」
と話を振られ。

もごもごしている私に、
「ここでは何でも言っていいんだよ」
と仲間が優しく後押しをしてくれたので、
いまの状況を素直に伝えたら、
みんな一生懸命応援してくれた。


普段、バカ話ばかりしている
地元の友達も珍しく
「困ってることない?」
と聞いてくれたりして。

そこでも素直に話をしてみたら、
味方になってくれた。



そんなふうに、
「私には頼れる仲間がたくさんいるんだ」
ということに改めて気づけたし、

何度も状況を説明しているうちに、
自分の中でだんだん整理されてきて、
「いま自分はこういう過程のココにいるんだな」
と、俯瞰できるようになった。


つまり、
私はいま試行錯誤している最中
ということ。


新しい生活を始めて半年、
このやり方では無理なんだな、
というのが分かった。

それは大きな流れの中で見れば
一歩前進した、ということ。

うまくいくまで、
別のやり方を試してみればいいだけ。

そんなふうに思えるようになって、
だんだん気持ちが楽になってきました。




思えば、
人生で初めて家を買って、
理想の暮らしを求めて移住して、
みんなにたくさんたくさん祝福されて。


そんな、祝福してくれたみんなの
期待を裏切らないように、
弱音を吐いてはいけない、
愚痴を言ってはいけない、
全てがうまくいっているように
しなければいけない。


そうやって、
自分を追いつめていたんだなぁ、と。



でも、愚痴を言っても、弱音を吐いても、
ちゃんと受け止めてくれて、
愛してくれる仲間がたくさんいる。

それに気がつくことができたキラキラ


みんな、ありがとう。
神様、ありがとう。



八ヶ岳の冬は美しいけど、かなり寒い。
冬が厳しい分、春の訪れが楽しみですガーベラ