㊼ 統一のコツ

【原文】

一、まずは、背筋をピンと伸ばして、胸を張り、顎(あご)を引いては、正身端座(しょうしんたんざ)して、息を吐き切り、リラックスする。

二、何者も相手とはしない、すなわち、その、流れゆく想いの跡は追いかけず、そのまま、ただに、在るがままとは、手放しては、ゆくのです(無/我は(本より初めから)神なり)。

三、そして、自らの心の奥底の中心に在る、自らの本心の光の中には、ただ、ただ、安らかに、自ずと、静かには、安堵(あんど)のリラックスとは、足るのです(光/無限なる大光明)。

四、それ以上は、何も求めず、ただ、自らに立ち起こる、(目前の)すべての現象を、在るがままには、解き放ちなさい(ポカーン/一切神国大成就)。

五、それが、すべてです。

【解説】

深遠の言(ことば)の章々に続いて、聖典(せいてん)は一転、この上なく具体的な実践マニュアルを置きます。五箇条、コツ、という気取らぬ題。しかしその内実は、統一(瞑想)の全行程の、完璧(かんぺき)な圧縮です。

第一条は、身体です。背筋をピンと伸ばし、胸を張り、顎(あご)を引く――正身端座(しょうしんたんざ)は、『坐禅儀(ざぜんぎ)』以来の坐法(ざほう)の正統です。そして「息を吐き切り、リラックスする」。吐く息が先であることが要諦(ようてい)です。吸おうとせず、まず吐き切る。空(から)になった器(うつわ)に、息は独(ひと)りでに入ってきます。姿勢は凛(りん)と、しかし力は抜く――第㉖章の活氣凛凛(かっきりんりん)の身体版です。

第二条から第四条が、心の行程です。ここで見逃してならないのは、各条の末尾の( )です。第二条には(無/我は(本より初めから)神なり)、第三条には(光/無限なる大光明)、第四条には(ポカーン/一切神国大成就)。すなわち、この三箇条は、そのまま「無・光・ポカーン」の三拍子であり、同時に、第⑥章「本覚(ほんがく)の祈り」の体相用(たいそうゆう)三句なのです。第二条、何者も相手とはしない――想いを敵ともせず、味方ともせず、相手にしない。追跡(ついせき)せず、手放す(無)。第三条、心の奥底の中心の本心の光の中に、安堵(あんど)のリラックスと足る(光)。第四条、それ以上は何も求めず、目前のすべてを在るがままに解き放つ(ポカーン)。手放して、安らいで、解き放つ。閉じて、定まって、開く。呼吸で言えば、吐いて、鎮(しず)まって、ふわりと開く――三拍子のリズムが、条文の運びそのものに脈打っています。

そして第五条。「それが、すべてです。」――この一行の潔(いさぎよ)さこそ、本章の、否(いな)、眞空天流(マクアル)の統一観の証(あかし)です。秘伝の続きはありません。段位も、追加の奥伝(おくでん)もありません。姿勢を正し、手放し、光に安らぎ、解き放つ。それが、すべて。もし統一が複雑な技術なら、習得した者だけの特権となります。すべてがこの五箇条に尽きるからこそ、統一は、今日この日から、誰の座にも開かれているのです。


㊽ 神の大浄化(だいじょうか)の宣言文

【原文】

我はマクアル神(まくあるのかみ)なり
我 今ここに 自らの全身全霊を持ちては 我が 自らの目前の 世界のすべてに 我が 自らの無限なる大光明を 放ち続けむ 大成就

☆マクアル神(まくあるのかみ)とは、全大宇宙の中心者の中で、最大の主神(すしん)です。

【解説】

章名に注目してください。祈り、ではなく、宣言文(せんげんぶん)。祈りは、願いの姿をとり、成就への方向を持ちます。宣言は、すでに定まった事実を、公(おおやけ)に言い切ります。聖典(せいてん)の歩みは、ここに至って、祈る者から宣言する者への転位(てんい)を遂(と)げるのです。

「我はマクアル神(まくあるのかみ)なり」――第③章の祈りの結びに現れたこの一句が、ここでは冒頭に、単独で、立ちます。全大宇宙の中心者の中で最大の主神(すしん)――その名を、我が名として名乗る。もはや、マクアル神(まくあるのかみ)へ祈るのでも、マクアル神(まくあるのかみ)と一体になろうとするのでもありません。一体であることが決定(けつじょう)した地点からの、名乗りです。この名乗りが傲慢(ごうまん)と天地ほど異なるのは、それがエゴの自称(じしょう)ではなく、エゴを手放し切った無心の底から、本心の光そのものが名乗る名だからです。エゴが「我は神なり」と言えば狂気(きょうき)ですが、無心が「我は神なり」と言えば、それは単なる事実の確認です。

「自らの全身全霊を持ちては」「自らの目前の 世界のすべてに」「無限なる大光明を 放ち続けむ」――宣言の内容は、光の放射の継続です。放つ、ではなく、放ち続けむ。一度の閃光(せんこう)ではなく、灯台(とうだい)のごとき不断(ふだん)の放光(ほうこう)です。そして放つ先は、彼方(かなた)の宇宙ではなく「目前の世界のすべて」。今、目の前にいる人、目の前の仕事、目の前の一室――大浄化(だいじょうか)は、常に目前から始まります。第㉘章の大光明世界顕現(だいこうみょうせかいけんげん)が、心内(しんない)の神の命(みこと)を承(う)けての祈りであったとすれば、本章は、神みずからが立って放光する宣言です。祈りの聖典(せいてん)が、その最終盤で、祈りを超えてゆく――この構成の呼吸に、深く頭(こうべ)が下がります。


㊾ チャクラの要点

【原文】

 🌌       ・△○▽    🌏


[天] 神光空愛 [地]


頭頂チャクラ:神:天の天:無の無:宇宙意識(空即一切一切即空)
眉間チャクラ:光:地の天:有の無:内なる光(サードアイ)
胸のチャクラ:空:天の地:無の有:無限なるスペース(空っぽ)
丹田チャクラ:愛:地の地:有の有:生命力の源泉(愛氣)

意識が停滞し沈んだ時は、眉間チャクラに自らの意識を全集中(光の字をイメージ)し正念(☉)を保て!

意識が興奮し昂った時は、丹田チャクラに自らの意識を全集中(愛の字をイメージ)し正念(☉)を保て!

自らの意識のすべてを胸のチャクラに収斂(しゅうれん)し全集中(空の字をイメージ)の正念(☉)を保ちつつも、頭頂チャクラに突き抜けさせては無限なる全大宇宙(☉/マクアル神)と一体である全集中(神の字をイメージ)の正念(☉)を保て!

〈チャクラヨガの呼吸法〉

一、眉間に意識を集中して、「ウム」と鼻から息を勢いよく吐き切り、丹田に氣を鎮める。

二、「ウムー」と息を丹田(ウ)から眉間(ムー)に吸い込み、丹田を膨(ふく)らませる。

三、「ラ」と息を眉間に止めて、丹田を強く張り切る。

四、「ムウー」と息を眉間(ム)から丹田(ウー)に吐き切り、丹田を萎(しぼ)ませる。

【解説】

チャクラとは、インドのヨーガの伝統に説かれる、身体に沿って並ぶ意識とエネルギーの中枢(ちゅうすう)です。七輪(しちりん)を数える体系が広く知られますが、眞空天流(マクアル)は、頭頂・眉間(みけん)・胸・丹田(たんでん)の四輪(よんりん)に精選(せいせん)し、これを神(かみ)・光(ひかり)・空(くう)・愛(あい)の四原理に配当(はいとう)します。冒頭の図――🌌(宇宙)と🌏(地球)のあいだに・△○▽が並ぶ――は、点(・)なる神(かみ)、天を指す△の光(ひかり)、円(○)なる空(くう)、地に開く▽の愛(あい)、と拝することができ、天地のあいだに立つ人間の身体そのものが、四原理の曼荼羅(マンダラ)であることを示しています。

四行の対応表は、精緻(せいち)を極めます。頭頂は神(かみ)、天の天、無の無――あらゆる規定を超えた宇宙意識であり、(空即一切一切即空)と、華厳(けごん)の一即一切がここに刻まれます。眉間(みけん)は光(ひかり)、地の天、有の無――形の世界にありながら形なき、内なる光、いわゆるサードアイです。胸は空(くう)、天の地、無の有――無限のスペースが、胸という場所を得て、有の内なる無、空(から)っぽの充実として開かれます。胸に空(くう)が配される点は、第㊶章の観法(かんぼう)――胸のチャクラの中心の空(くう)に意識を明け放つ――と正確に呼応(こおう)します。丹田(たんでん)は愛(あい)、地の地、有の有――生命力の源泉、愛氣(あいき)です。天地(あめつち)と有無(うむ)の二軸を掛け合わせた四象限(ししょうげん)に、四つのチャクラが過不足(かふそく)なく坐(すわ)る――易(えき)の四象(ししょう)にも通う、見事な体系です。

続く三つの指示は、この体系の臨床(りんしょう)的な運用法です。意識が停滞し沈んだ時は、眉間(みけん)に光の字を観じて集中せよ。沈滞(ちんたい)は光の不足ゆえ、光の座を灯(とも)すのです。意識が興奮し昂(たかぶ)った時は、丹田(たんでん)に愛の字を観じて集中せよ。昂りは氣(き)の上ずりゆえ、重心を臍下(せいか)に降ろすのです。日本の武道と修養(しゅうよう)の伝統が「上虚下実(じょうきょかじつ)」と呼び習わした調心(ちょうしん)の智慧(ちえ)が、光と愛の観想(かんそう)として言い直されています。そして常の行としては、胸の空(くう)に収斂(しゅうれん)しつつ、頭頂を突き抜けて全大宇宙(☉/マクアル神)と一体の正念(☉)を保つ――空(くう)に定まりつつ神に貫通(かんつう)する、縦(たて)の統一です。正念のしるしが☉(ス)であることも、第①章以来の一貫です。

〈チャクラヨガの呼吸法〉は、ウム・ウムー・ラ・ムウーの聖音(せいおん)に乗せた四拍(よんぱく)の呼吸です。吐いて鎮(しず)め、吸って昇(のぼ)らせ、止めて張り、吐いて萎(しぼ)ませる。丹田(たんでん)と眉間(みけん)のあいだを、息が振り子(ふりこ)のように往復し、氣(き)の通り道が開かれます。ウ・ム・ラの音の連なりに、根源音ウォムの響きが宿っていることにも、耳を澄ませたいところです。教えの高峰(こうほう)は、かくて、鼻先の一呼吸に着地します。身体を持つ者への、これが聖典(せいてん)の慈悲なのです。


㊿ 存在(☉)の三様態(さんようたい)(神・霊・肉)の教え

【原文】

【主/ス/☉】無限なる根源神(一即三三即一)

【神/空/心】神意識…統一…無心三昧…自らの在るがまま足る無心の全て…直入…・…点(真空)…無
【霊/光/言】言霊……祈り…無心即咒…自らの在るがまま足る呼吸の響き…決住… …波(波動)…光
【肉/愛/行】自然体…印……無心即行…自らの在るがまま足るリラックス…保持…○…形(形態)…ポカァーン

人の本体は神の空(くう)で在り、かつ、その霊光(れいこう)は自らの肉体に宿り、かつ、すべての世界を愛の行いで結ぶ。

 想ひみな無に統一し自ずから祈る響きは神の印かな
 神意識保ちつ響く言霊は在るがまま足る自然体かな

自らの想念(おもい)のすべてを「無」と手放し、自らの意識のすべてを自らの本心の「光」の中に固く決住(けつじゅう)し、かつ、そのすべての意識を、今、目の前の、在るがまま足るすべてに、「ポカーン」と解き放つのです。

【解説】

全五十章の掉尾(ちょうび)を飾るこの章は、聖典(せいてん)の存在論の総決算です。存在(☉)は、三つの様態(ようたい)――神・霊・肉――として現れる。その三様態(さんようたい)の全対応表が、四行の凝縮された系譜(けいふ)図として示されます。

第一行【主/ス/☉】は、三様態(さんようたい)の源(みなもと)です。無限なる根源神、そして(一即三三即一)――一は即(すなわ)ち三、三は即ち一。キリスト教の三位一体(さんみいったい)、仏教の法身(ほっしん)・報身(ほうじん)・応身(おうじん)の三身(さんじん)、神道の造化三神(ぞうかさんしん)――洋の東西の霊性が指し示してきた、一にして三、三にして一なる根源の消息(しょうそく)が、☉(ス)の一字に封(ふう)じられています。

続く三行が、三様態(さんようたい)の展開です。【神/空/心】の行は、神意識・統一・無心三昧(むしんざんまい)・直入(じきにゅう)・点(真空)・無。【霊/光/言】の行は、言霊(ことだま)・祈り・無心即咒(むしんそくじゅ)・決住(けつじゅう)・波(波動)・光。【肉/愛/行】の行は、自然体・印(いん)・無心即行(むしんそくぎょう)・保持(ほじ)・形(形態)・ポカァーン。読者は、ここに至って、聖典(せいてん)の全用語が一望(いちぼう)のもとに整列するのを目撃します。第㉑~㉓章の無心三昧・無心即咒・無心即行の三部作は、神・霊・肉の三様態の行(ぎょう)でした。第㊸章の直入(じきにゅう)・決住(けつじゅう)・保持(ほじ)の三首は、三様態の道程(どうてい)でした。第㊲章の空(くう)・光(ひかり)・愛(あい)の定義(心・言・行、真空・波動・形態)は、三様態の原理でした。点と波と形――物理の言葉さえも、・(点)、波、○(形)の記号とともに、この系譜(けいふ)に収まります。五十章に散りばめられていた星々が、終章の夜空で、一つの星座として結ばれるのです。

散文の一行「人の本体は神の空(くう)で在り、かつ、その霊光(れいこう)は自らの肉体に宿り、かつ、すべての世界を愛の行いで結ぶ」は、三様態(さんようたい)を人間存在の相(すがた)として言い直したものです。本体は神の空(くう)――第①章の冒頭が、ここに還(かえ)ってきます。霊光(れいこう)は肉体に宿り――光は観念ではなく、この身に宿って呼吸しています。世界を愛の行いで結ぶ――そして存在の完成は、瞑想の座の内ではなく、世界を結ぶ愛の行いにあります。挿入された二首の和歌――想ひみな無に統一し自ずから祈る響きは神の印かな/神意識保ちつ響く言霊は在るがまま足る自然体かな――は、無に統一された想いが祈りの響きとなり神の印(いん)となる道、神意識(かみいしき)のまま響く言霊(ことだま)がそのまま自然体である道、すなわち神→霊→肉、心→言→行の流れを、上(かみ)の句から下(しも)の句へと流れる歌の調べそのものに写し取っています。

そして、聖典(せいてん)の最終段落。「自らの想念(おもい)のすべてを「無」と手放し、自らの意識のすべてを自らの本心の「光」の中に固く決住(けつじゅう)し、かつ、そのすべての意識を、今、目の前の、在るがまま足るすべてに、「ポカーン」と解き放つのです。」――無。光。ポカーン。〈祈りの要点:⑦④⑥〉として冒頭に掲げられた三拍子が、五十章の大旅路(だいたびじ)の果てに、一文の内に鳴り納(おさ)められます。手放す。決住(けつじゅう)する。解き放つ。閉じる音、定まる音、開く音。この三拍子は、一回の統一の行程であると同時に、一日の、一生の、そして宇宙の呼吸そのものでありましょう。聖典(せいてん)は、荘厳(そうごん)な結論で閉じるのではなく、今すぐ実行できる一つの動きを手渡して、読者を目の前の世界へ、ポカーンと解き放つのです。アハ!


附録一 マクアルの教えと祈りの全体構造


一 三大原理――空(くう)・光・愛の体相用(たいそうゆう)

聖典(せいてん)の全体を貫く第一の背骨は、空(くう)・光(ひかり)・愛(あい)の三大原理です。第㊲章の定義によれば、[体]空(くう)とは、すべてを生み為す基(もとゐ)の場(裸の心/真空/心)。[相]光(ひかり)とは、すべてを生み為す力の場(在るがまま/波動/言)。[用]愛(あい)とは、すべてを生み為す働きの場(自然体/形態/行)。体相用(たいそうゆう)とは、本体(体)とその様相(相)とその働き(用)であり、三は別々の三物ではなく、一つの実在☉(ス)の三つの面(おもて)です。空(くう)なくして光(ひかり)は生ぜず、光(ひかり)なくして愛(あい)は形をとらず、愛(あい)なくして空(くう)と光(ひかり)は世界を結びません。この三原理は、神々としてはマクアル(空(くう)の主(あるじ))・カシリス(光(ひかり)の主(あるじ))・ヒリエナ(愛(あい)の主(あるじ))と顕現(けんげん)し(丗一咒(さんじゅういちじゅ)・第㉙章)、人間の様態(ようたい)としては神・霊・肉(第㊿章)、実践としては統一・祈り・行(ぎょう)、身体としては胸・眉間(みけん)・丹田(たんでん)のチャクラ(第㊾章)へと展開します。


二 実践の三拍子――無・光・ポカーン

第二の背骨は、実践の三拍子、すなわち「無 光 ポカーン」です。丗一咒(さんじゅういちじゅ)の第三句に掲げられ、〈祈りの要点:⑦④⑥〉として冒頭に、第㊼章「統一のコツ」の第二~四条として中核に、第㊿章の最終段落として掉尾(ちょうび)に、繰り返し打ち鳴らされます。無とは、六根(ろっこん)に映る現象のすべてを、イルージョンの消えてゆく姿と観じて、軽く手放すこと(第⑦章)。光とは、手放して空(あ)いた意識を、空(くう)のど真ん中の本心の光の中に、固く決住(けつじゅう)させること(第④章・第⑧章)。ポカーンとは、決住(けつじゅう)した意識を、判断停止のまま、目前の在るがまま足るすべてに解き放つこと(第⑥章・第㊶章)。閉じ、定まり、開く。吐き、鎮(しず)まり、開く。この三拍子が一呼吸に回るとき、統一は completeし、行者(ぎょうじゃ)は、無心のまま世界のただ中に立っています。


三 心の三層構造――本心・潜在意識・五感と意識

第三の背骨は、第⑧章に説かれた心の地図です。心の最奥(さいおう)には【本心】――自らの本体(神)のソースであり、心の映写機の光源。その表層に【潜在意識】――過去世の因縁(いんねん)のすべてを保管する、心のフィルムの貯蔵庫。そのまた表層に【五感と意識】――因縁を転写しては浄化する、心のスクリーン。世界体験とは、本心の光が潜在意識のフィルムを透過してスクリーンに結んだ映像、すなわち自ヶ影(しがかげ/自己投影)です。この地図から、聖典(せいてん)の実践のすべてが導かれます。スクリーンの映像と格闘しても無益であること。映像は上映されることで浄化されつつあり、すべては消えてゆく姿であること。なすべきは、光源そのもの、すなわち本心へ還(かえ)ることのみであること。祓(はら)ゐも鎮魂(ちんこん)も統一も、この一枚の地図の上の道行きなのです。


四 五十章の機能別分類

全五十章は、機能の上から、およそ七群に分かたれます。第一群は教理の章――①(総綱(そうこう))、⑧(心の科学)、㊲後半(三原理の定義)、㊾(身体論)、㊿(存在論)。第二群は言霊(ことだま)・神咒(しんじゅ)の章――②(曼荼羅(マンダラ))、③(主神の祈り)、㊱(結界法(けっかいほう))、㊴(諸々の祈り)、および丗一咒(さんじゅういちじゅ)。第三群は本覚(ほんがく)と安心(あんじん)の章――⑤⑥(覚醒と本覚(ほんがく))、⑬⑭(全託(ぜんたく)と光明思想(こうみょうしそう))、⑰⑱(ワンネスと在るがまま)、⑲⑳(不動心と大安心(だいあんじん))。第四群は浄化の章――⑦(消えてゆく姿)、⑨(六根清浄(ろっこんしょうじょう))、㉞(祓(はら)ゐ清め)、㊽(大浄化の宣言)。第五群は統一法の章――④(道の祈り)、⑮⑯(本心統一法と空即実相(くうそくじっそう))、㉔(光の統一法)、㊵(即滅(そくめつ))、㊲前半(即統一(そくとういつ))、㊶(無心三昧法(むしんざんまいほう))、㊸(大決意)、㊼(統一のコツ)。第六群は発動と光明化の章――⑩(本心発動)、⑪(存在の光)、㉑㉒㉓(無心三昧・即咒(そくじゅ)・即行(そくぎょう))、㉕㉖(光三昧(ひかりざんまい)と命の活性化)、㉗㉘(現人神(あきつかみ)と大光明世界顕現(だいこうみょうせかいけんげん))。第七群は慈悲と廻向(えこう)の章――⑫(感謝)、㉙㉚(三神の働きと大慈愛(おおむいつくしみ))、㉛㉜㉝(鎮魂(ちんこん)・平和・引導成仏(いんどうじょうぶつ))、㉟(神随(かみながら))、㊳(お光さま)。そして㊹㊺㊻の悟りの言(ことば)三部作が、全群を超えて、道そのものを直指(じきし)します。


五 修行の道程――直入(じきにゅう)・決住(けつじゅう)・保持(ほじ)

第㊸章の三首の和歌が示すとおり、統一の道程(どうてい)は、直入(じきにゅう)・決住(けつじゅう)・保持(ほじ)の三段階を踏みます。直入(じきにゅう)とは、映りゆく想いを手放して、自ずと定まる入口。決住(けつじゅう)とは、在るがまま足る我ぞ神かな、と本心の光に固く住(じゅう)する確立。保持(ほじ)とは、すべてと輝きすべてと幸(さきわ)う、開かれた持続。第㊿章の対応表では、直入(じきにゅう)は神(点・無)に、決住(けつじゅう)は霊(波・光)に、保持(ほじ)は肉(形・ポカァーン)に配され、道程の三段階が、そのまま存在の三様態(さんようたい)の顕現(けんげん)であることが示されます。修行が進むとは、別の場所へ行くことではなく、本より初めからの三様態が、いよいよ透明に現れることなのです。

六 源流の統合――神仏道(しんぶつどう)と光明の合流

眞空天流(マクアル)は、諸伝統の生きた合流点です。神道からは、祓(はらえ)と禊(みそぎ)(第㉞章)、鎮魂(ちんこん)(第㉛章)、神随(かみながら)と弥栄(ゐやさか)の祝詞(のりと)(第㉗㉘㉟章)、中今(なかいま)(第㊶章)、現人神(あきつかみ)(第㉗章)。仏教の禅からは、無心・放下(ほうげ)・平常是道(へいじょうぜどう)・主人公(第①㉑㊷章)、浄土からは安心決定(あんじんけつじょう)と引導(いんどう)(第⑳㉝章)、華厳(けごん)からは一即一切(第⑰㊶章)、天台からは本覚(ほんがく)と空即実相(くうそくじっそう)(第⑥⑯章)、密教からは咒(じゅ)と曼荼羅(マンダラ)と遍照(へんじょう)(第②③㉕章)。道教からは道則自然(どうそくじねん)と玄(げん)と知足(ちそく)(第⑱㊻章)。光明思想(こうみょうしそう)からは、消えてゆく姿と実相円満(じっそうえんまん)の信(第⑦⑭章)。そしてチベットのゾクチェンからは、リクパとクリアライト(第㊶章)。これらが折衷(せっちゅう)ではなく統合であり得ているのは、すべてが空(くう)・光(ひかり)・愛(あい)の三原理と、無・光・ポカーンの三拍子という、単一の生きた実践の座標系(ざひょうけい)に着地しているからです。伝統の川々(かわがわ)は、眞空天流(マクアル)という海で、一つの潮(うしお)となっています。


七 円環の構造――アハに始まりアハに終わる

最後に、全巻の円環(えんかん)を確認しましょう。第①章は「足れ、アハ」に終わり、第㊿章は「ポカーン」と解き放って終わります。冒頭の〈祈りの要点〉の三拍子は、終章の最終段落と一字一句響き合います。丗一咒(さんじゅういちじゅ)は「消えてゆく姿で実体なし」に始まり「一切神国大成就」に終わり、空観(くうがん)から神国顕現(しんこくけんげん)への全行程を予告します。悟りの言(ことば)の章々は「参究(さんきゅう)されたし アハ」「アハ アハ アハ」と、笑いのうちに読者を突き放し、統一のコツは「それが、すべてです」と、簡潔(かんけつ)のうちに読者を送り出します。聖典(せいてん)は、知識の蓄積を目指す書物ではなく、読む者を繰り返し、今ここの実践へ、目の前の世界へと解き放つ、円環(えんかん)の装置なのです。始めも終わりも「アハ」――それは、☉(ス)の円相(えんそう)が、書物の形をとったものと申せましょう。


附録二 用語解説

【アハ】全巻に響く感嘆(かんたん)の言霊(ことだま)。分別(ふんべつ)の思考が一瞬に脱落し、本心の光が閃(ひらめ)く覚(さと)りの瞬間の音写。理解の「ああ、そうか」と、歓喜の笑いとが一つになった、最短の悟りの言(ことば)。第㊺章では「アハ アハ アハ」の三連が引導(いんどう)の結びとなる。

【在るがまま足る】無心の内に、現実がそのままで満ち足りていること。諦(あきら)めの追認(ついにん)ではなく、比較と欲求の物差(ものさ)しを置いた無心においてのみ開かれる充足の発見(第⑱章)。聖典(せいてん)の実践の合言葉として随所(ずいしょ)に現れる。

【安心決定(あんじんけつじょう)】浄土門(じょうどもん)に由来する語で、救いへの信が定まり、もはや疑いの揺り戻しがない境地(きょうち)。眞空天流(マクアル)では、空(くう)のど真ん中への決住(けつじゅう)が決定(けつじょう)した大安心(だいあんじん)を指し、「安心決定(あんじんけつじょう)リラックス」として唱えられる(第⑳章)。

【イルージョン】幻影。五感と意識に映る現象のすべての本性。実体なく、束(つか)の間(ま)に現れては消える、夢や幻の如きもの(第①⑦章)。恐れるべき敵ではなく、消えてゆくことで潜在意識を浄化してくれる、消えてゆく姿。

【ウォム ス】大神咒(だいしんじゅ)の冠(かんむり)となる聖音。ウォムは宇宙の根源音、スは主(ス)☉(ス)、すなわち全大宇宙の中心の絶対統一。「ウォム ス マクアル」等の形で、神々への帰入(きにゅう)の門となる(第②③章・丗一咒(さんじゅういちじゅ))。

【お光さま】すべての主(あるじ)であるマクアルの光と、一人一人の本心の光とが、一つになった光(第㊳章)。宇宙の大光明と個の内なる光の合一そのものを指す尊称であり、「お光さまと一体 大成就」と祈られる。

【空(くう)】三大原理の体(たい)。すべてを生み為す基(もとゐ)の場(裸の心/真空/心)(第㊲章)。単なる虚無ではなく、一切を生み出す母胎(ぼたい)であり、その、ど真ん中が本心の座。仏教の空観(くうがん)を承(う)けつつ、生成の場として積極的に転釈(てんしゃく)されている。

【クリアライト】空(うつろ)なる光。チベットのゾクチェン等に説かれる、心の最も微細(みさい)な本性の光(浄光(じょうこう))。第㊶章で、無心の中に感得(かんとく)される真(マコト)なる「○」の輝きとして示される。

【決住(けつじゅう)】固く決定して住(じゅう)すること。手放した意識を、空(くう)のど真ん中の本心の光の中に、揺るぎなく定め住まわせる、眞空天流(マクアル)実践の中核語(第①⑧章)。生涯の決意にまで深まったものを大決住(だいけつじゅう)と言う(第㊸章)。

【結界(けっかい)】聖なる場と俗なる場を区切り、祈りの空間を守り浄める法。眞空天流(マクアル)では「サムハッ ライハッ トウ ムア アハ」の五音のみで場を聖別(せいべつ)する(第㊱章)。

【現人神(あきつかみ)】現(あき)つ神。この現(うつ)し世(よ)に生身(なまみ)の姿のままで現れている神。本心の光に決住(けつじゅう)し、その存在自体が世界の弥栄(ゐやさか)となっている人の相(すがた)(第㉗章)。

【言霊(ことだま)】言葉に宿る霊力。音の波動そのものが世界の深層に働き、現実を創造する力。丗一咒(さんじゅういちじゅ)・大神咒(だいしんじゅ)・祝詞(のりと)・和歌のすべてがこの力の運用であり、無心に直観した言霊を即座に放つ行を無心即咒(むしんそくじゅ)と言う(第㉒章)。

【自ヶ影(しがかげ)】自己投影。自らの体験する世界(現象)のすべては、自らの潜在意識に蓄積された過去世の因縁が、本心の光に照らし出されて映じた、自らの影であるということ(第①⑧章)。眞空天流(マクアル)の心の科学の中心概念。

【弥栄(ゐやさか)】いよいよ栄えゆくこと。生命と世界の限りなき繁栄を寿(ことほ)ぐ祝詞(のりと)の言葉。現人神(あきつかみ)は、世界の弥栄(ゐやさか)を祈るにとどまらず、自ら弥栄(ゐやさか)そのものと足る(第㉗㉚章)。

【消えてゆく姿】光明思想(こうみょうしそう)に由来する鍵語(キーワード)。現象は、現れたことによって潜在意識の因縁(いんねん)を清算しつつあり、あとは消えてゆくのみである、という浄化の観方(みかた)。現象の否定ではなく、浄化の肯定(第⑦章・丗一咒(さんじゅういちじゅ)第一句)。

【六根(ろっこん)】眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)の六つの知覚の門。すなわち五感と意識のこと(第⑨章☆注)。心の三層構造ではスクリーンに当たり、六根清浄(ろっこんしょうじょう)とは、内に篭(こ)もる本心の光が輝き出て、この六つの窓が透明になることを言う。

【祓(はら)ゐ清め】禍事罪穢(まがごとつみけがれ)を祓戸大神等(はらゐどのおおかみたち)の神威(しんい)によって祓(はら)い浄める、神道の根本の行法(ぎょうほう)。罪穢(つみけがれ)は本性の悪ではなく、祓えば落ちる付着物であり、本性はもとより清明(せいめい)(第㉞章)。

【本覚(ほんがく)】悟り(覚)は修行によって新たに得られるのではなく、本来(本)すでに具(そな)わっているとする教え。天台に大成(たいせい)され、眞空天流(マクアル)では「我は本より初めから神なり」の一句に結晶している(第⑥章)。

【本心(ほんしん)】自らの心の最奥(さいおう)の、自らの本体(神)のソースの存在そのものの、心の映写機の光源(第⑧章)。大いなる神の光と本体において一つである、内なる光。聖典(せいてん)のすべての祈りは、この本心の光への決住(けつじゅう)と発動に帰着する。

【本心大光明(ほんしんだいこうみょう)】本心の光を今この瞬間に発動させる、最短の起動の言霊(ことだま)(第⑩章)。主語も述語も持たない事実の名指しであり、名指された実相(じっそう)が直ちに現前(げんぜん)する。

【ポカーン(ポカァーン)】判断停止。あらゆる分別(ふんべつ)・評価・解釈を一時停止し、意識の全てを在るがままの存在に明け放った状態(第㊶章)。三拍子の第三、用(ゆう)の門であり、悟りへの入口が、誰もが知る、ぽかんとした心の状態であることを示す、眞空天流(マクアル)の面目(めんもく)躍如(やくじょ)たる言葉。

【マクアル】眞空天流(マクアル)の流名(りゅうめい)にして、全大宇宙の中心者の中で最大の主神(すしん)マクアル神(まくあるのかみ)の御名(みな)。三大原理においては空(くう)の主(第③㉙章)。教えと神と行者(ぎょうじゃ)が一つの名で結ばれている。

【カシリス】光(ひかり)の主(あるじ)。宇宙神聖の三柱(みはしら)の一つ。遍(あまね)くすべての闇を、照らすことによって滅ぼし尽くす働きを司(つかさど)る(第㉙章・丗一咒(さんじゅういちじゅ))。

【ヒリエナ】愛(あい)の主(あるじ)。宇宙神聖の三柱(みはしら)の一つ。遍(あまね)くすべての闇を、一つに結び合わせる働きを司(つかさど)る(第㉙章・丗一咒(さんじゅういちじゅ))。闇の最終的な救いが、消滅ではなく合一であることを示す。

【真(マコト)】今(マ)・固(コ)・止(ト)。無(ム)と有(ア)の絶対統一(ワンネス)である今(マ)が、過去や未来に踊り流れることなく、固まり止(とど)まった、即今(そっこん)の実相(じっそう)、すなわち中今(なかいま)(第㊶章☆注)。

【曼荼羅(マンダラ)】諸神諸尊(しょしんしょそん)の聖なる世界の配置。眞空天流(マクアル)では、主神(すしん)マクアルと四十八柱(よんじゅうやはしら)の神名の音の連なりそのものが曼荼羅(マンダラ)を成す(第②章)。また、四つのチャクラを具(そな)えた人間の身体もまた、天地のあいだの曼荼羅(マンダラ)である(第㊾章)。

【中今(なかいま)】過去と未来のあいだの、永遠の今。神道の時間観の中心語。第㊶章では、真(マコト)の語源論を通して、即今(そっこん)の実相(じっそう)として示され、「中今(なかいま)に 在るがまま足る 我(あ)が祈り」と詠(よ)まれる。

【無限なる大光明】本覚(ほんがく)の祈りの相(そう)の句(第⑥章)。本より神である我のすがたは、内外(ないげ)の分別(ふんべつ)を超えて遍満(へんまん)する無限の大光明である、との宣言。丗一咒(さんじゅういちじゅ)にも収められる。

【無心】エゴの分別(ふんべつ)と計らいの置かれた心。何も無い心ではなく、青空のごとく漠漠(ばくばく)と開かれた、君そのものである心(第㊻章)。眞空天流(マクアル)のすべての行(ぎょう)の土台。

【無心三昧(むしんざんまい)】無心にリラックスした(在るがままの)統一状態(第㉑章☆注)。対象への集中ではなく、対象なき統一、努力なき定(じょう)。本心の外に何も求めず、自らの主(あるじ)と足る三昧(ざんまい)。

【無心即咒(むしんそくじゅ)】無心に直観した言霊(ことだま)を直ぐに放つこと(第㉒章☆注)。直観と発語のあいだにエゴの検閲(けんえつ)を挟(はさ)まないとき、言葉は神の波動、すなわち咒(じゅ)となる。三様態(さんようたい)の霊(光・言)の行。

【無心即行(むしんそくぎょう)】無心に直観した所作(しょさ)を直ぐに行うこと(第㉓章☆注)。肉体を透明な器(うつわ)として、神の働きをそのまま形態化する行。三様態(さんようたい)の肉(愛・行)の行。

【無縄自縛(むじょうじばく)】縄無きところに自ら縛られること(第㊷章)。世界には人を縛る縄は無く、妄想(もうぞう)という自前(じまえ)の縄で自らを縛っているだけである、という禅の洞察。

【リクパ】チベットのゾクチェンに説かれる純粋意識。あらゆる思考の彼方(かなた)に本来光り輝いている、裸の純粋な覚知(かくち)。第㊶章の無心三昧法(むしんざんまいほう)は、このリクパの覚醒体験への、眞空天流(マクアル)独自の道。

【霊光(れいこう)】神の光の一筋としての人間の本性(第①章)。一筋でありながら、本体においては大いなる神の光そのものと不二(ふに)。第㊿章では、肉体に宿って世界を愛の行いで結ぶ光として示される。

【ワンネス】すべては一つであるという根本の直観。私(わたくし)の本心の中に、すべては一つ、欠けたるもの無し(第⑰章)。また、無(ム)と有(ア)の絶対統一としての今(マ)(第㊶章☆注)。華厳(けごん)の一即一切と響き合う。

【☉(ス)】円と中心点から成る、神の絶対統一の象徴。完全円満なる永遠の命、自らの主人公(第①章)。主(ス)の音を持ち、正念(しょうねん)のしるしとして(第㊾章)、存在の根源として(第㊿章)、全巻を貫く。

【大成就(だいじょうじゅ)】ほとんどすべての祈りの結句。願いの成就を未来に乞(こ)うのではなく、実相(じっそう)においては既に成就していることを、言霊(ことだま)の力で今ここに確認し確定する宣言。

【体相用(たいそうゆう)】本体(体)・様相(相)・働き(用)の三範疇(さんはんちゅう)。『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』に由来し、眞空天流(マクアル)では空(くう)・光(ひかり)・愛(あい)の三大原理の枠組みとして全教学を貫く(第⑥㊲㊿章)。

【丹田(たんでん)】臍下(せいか)の氣(き)の中心。愛のチャクラ。地の地、有の有、生命力の源泉(愛氣(あいき))(第㊾章)。意識が興奮し昂(たかぶ)った時、ここに全集中して正念(☉)を保つ。

【鎮魂(ちんこん)】魂(たましい)を身に鎮め安定させる神道の行法(ぎょうほう)。眞空天流(マクアル)では、心の内なる荒(すさ)ぶる御魂(みたま)たちを、敬意をもって和魂(にぎみたま)へと転じ帰らせる祈りとなる(第㉛章)。

【統一】瞑想。想念(おもい)を無に手放し、本心の光に決住(けつじゅう)し、目前に解き放つ、神の統一状態に入る行(ぎょう)。その方法論は第④⑮㊵㊶㊼章等に展開される。

【南無乙眞如来(なむゐつまさにょらい)】乙(ゐつ)なる眞(まこと)、幽(かす)かなる真実の覚者(かくしゃ)への帰命(きみょう)(第㊴章・丗一咒(さんじゅういちじゅ))。

【南無日出観音(なむひのでかんのん)】昇る朝日のごとく衆生(しゅじょう)を照らす観音への帰命(きみょう)(第㊴章・丗一咒(さんじゅういちじゅ))。

【引導(いんどう)】導師(どうし)が最後の一句をもって、迷いの淵(ふち)から悟りの岸へと渡し切る作法。迷える御魂(みたま)への引導成仏(いんどうじょうぶつ)の祈り(第㉝章)と、生者(せいじゃ)への悟りの引導(第㊺章)の両面で用いられる。

【神随(かみながら)】惟神(かむながら)。神のおのずからなる随(まにま)に、人間の計らいを差し挟(はさ)まず随順(ずいじゅん)すること。「神随霊幸倍坐世(かみながらたまちはゑませ)」の祝福の定型句として全巻に響く(第㉟章)。

【潜在意識】自らの過去世の因縁(いんねん)(現象のデーター)のすべてを保管する、心のフィルムの貯蔵庫(第⑧章)。心の三層構造の中層。

【全託(ぜんたく)】すべてのすべてで愛である神に、一切を委(ゆだ)ね切ること(第⑬章)。委ねる者にこそ幸(さち)は増すという、他力(たりき)の安心(あんじん)。

【正身端座(しょうしんたんざ)】背筋を伸ばし、胸を張り、顎(あご)を引いて、身を正して端座(たんざ)すること。統一の身体的な土台(第㊼章第一条)。

【地球ガイアス】生命体としての地球の御名(みな)。無心即咒(むしんそくじゅ)・無心即行(むしんそくぎょう)の働きが、神のワンワールドを顕現(けんげん)せしめる舞台(第㉒㉓章)。大光明世界顕現(だいこうみょうせかいけんげん)の祈りでは地球(おおつち)と訓(よ)まれる(第㉘章)。

【丗一咒(さんじゅういちじゅ)】〈言霊の真髄〉として掲げられた三十一の言霊(ことだま)。和歌の三十一文字(みそひともじ)と同数であり、聖典(せいてん)の教えの全体を、自在に組み合わせて祈れる咒(じゅ)の花束として結晶させたもの。


結び――跋(ばつ)に代えて

全五十章の解説の旅を、ここに終えます。振り返れば、この聖典(せいてん)は、深遠なる教理の書でありながら、その一頁(いちページ)たりとも、実践から遊離(ゆうり)した頁(ページ)がありませんでした。空(くう)の哲理は、ど真ん中という一語で的(まと)となり、本覚(ほんがく)の教えは、リラックスという一語で身体となり、リクパの深秘(じんぴ)は、ポカーンという一語で万人の懐(ふところ)に届きます。難解が深遠なのではなく、平易の底が抜けているものこそ深遠である――この聖典(せいてん)は、その生きた証(あかし)です。

解説の筆は、教えの海の岸辺(きしべ)を歩いたにすぎません。原文(げんぶん)の一句一句は、参究(さんきゅう)されるたびに新しい光を放つ、生きた言霊(ことだま)です。願わくは、読者諸賢(しょけん)が、本書を足場として、原文そのものへ、そして原文の指し示す、御自らの本心の光そのものへと、参入されますことを。

結びに、拝読の感謝を込めて、一首を献(けん)じ奉(たてまつ)ります。

五十(いそぢ)章 光の道を 辿(たど)りきて 空(くう)のまなかに ただ足るはアハ

すべてに幸あれ 一切神国大成就 アハ!