安珍・清姫伝説で知られるヒロインの清姫。

 

和歌山県田辺市中辺路町に

清姫一族の菩提寺である

福巖寺(通称:一願寺)があります。

 

境内の地蔵堂に掲げている絵巻は

ガラスに彫刻されているというもの。

 

江戸時代中期のものと推測される

安珍・清姫物語の絵巻を写した

レプリカが展示されています。

(本物は非公開)

 

「熊野三所権現」から始まる絵巻

 

安珍は奥州から熊野三山へ

参拝を行った修行僧。

 

熊野本宮大社

 

熊野速玉大社

 

熊野那智大社

 

清重に宿を乞う安珍

 

清姫の生家跡(田辺市中辺路町真砂)

 

清姫淵で泳ぐ清姫

 

清姫渕(中辺路町真砂)

 

清姫が丈なす黒髪をなびかせながら泳いでいた場所

 

衣を掛けていた衣掛松は、現在無いそうです。

 

美僧の安珍に一目惚れした清姫

 

清姫の想いを断り切れない安珍は、

熊野からの帰りに再び立ち寄ると、

その場しのぎの約束をしてしまいます。

 

清姫覗橋

 

安珍の帰りを待った。

 

捻木(ねじき)に登り安珍を見る清姫

 

捻木の杉(田辺市)

 

安珍を追いかけた清姫が木に登り、

はるか前方を逃げ去る安珍を見つけ、

その悔しさのあまり枝を捻じ曲げてしまい、

そのまま成長したと言われている。

 

捻木のあるあたりの場所から見た風景

 

清姫の井戸(龍泉寺・田辺市)

 

清姫が捻木の杉から安珍を追いかけている際に

この井戸の水で喉を潤し、

生気を取り戻して道成寺まで走り去った

と言われている井戸です。

 

袖摺岩(そですりいわ:みなべ町)

 

清姫が安珍を追いかける際に袖を摺った

と伝えられている岩です。

昔は大きな1つの岩だったのが、

現在はいくつかの大きな岩に

砕けた状態で残っています。

 

清姫の腰掛岩(御坊市名田)

 

安珍が唱えたお経により

目がくらんだ清姫が、

この岩に腰を掛けて休息を取った

と言われている岩。

 

その際に、清姫の上半身が

蛇に変わったといわれています。

 

岩のくぼみは清姫のお尻の形とも。


 

草履塚(ぞうりづか:御坊市名田)

 

松の大木に登り安珍の行方を捜していた清姫が、

日高川を渡っている安珍を見つけ、

草履を脱ぎ捨て松の枝に掛け

裸足で安珍を追いかけたと伝えられています。

 

またこの松に安珍が袈裟をかけて逃げた

という一説もあることから、

「袈裟掛けの松」

とも言われていす。

 

現在はこの松は残っていません。

 

道成寺で助けを乞う安珍

 

道成寺(どうじょうじ:日高川町)

 

和歌山県最古の寺

 

縁起堂では、住職が「道成寺縁起」の絵巻物を使って

ユーモアに安珍清姫物語を聞かせてくれるのも有名です。

 

絵巻物を使った説法を行っているのは

日本では道成寺だけ!

 

鐘の中に身を隠す安珍

 

平成16年に420年ぶりに

京都の妙満寺からお里帰りした時の道成寺二代目釣鐘。

 

道成寺には釣鐘はありません。

 

蛇になって日高川を渡る

 

日高川まで逃げた安珍は船で川を渡りましたが、

船頭が安珍の頼みで清姫を乗せなかったため

清姫は大蛇の姿になって追いかけました。

 

日高川

 

日本一長い二級河川です。

 

大蛇のモニュメントの親柱

 

安珍を見つけ鐘を巻く清姫

 

 

鐘巻之跡(道成寺)

 

 

黒こげとなった安珍

 

安珍塚(道成寺)

 

安珍と安珍が焼かれた鐘が埋められた

と言われる安珍塚。

その塚には、清姫の恨みで

ねじれた木が生えています。

 

蛇塚(御坊市藤田町)

 

清姫が鐘の中に身を隠していた安珍を

焼き殺してしまった後、

このことを嘆き、入水した場所である

と言われています。

 

道成寺の事件があったのは、延長6年(928)

 

年齢を調べたら、はっきりしたことは分からなかったのですが、

数えで清姫13歳、安珍16歳というのが多いかな?

 

清姫の墓(中辺路町真砂)

 

清姫橋(清姫の墓の近く)

 

以前いただいたパンフレットの

「清姫の想いを訪ねて」を参考に

清姫ゆかりの地を巡った時の画像をまとめてみました。

 

来年は巳年でもあるので、来年はさらにブームになるかしら?ニコニコ

 

おみやげは道成寺門前で販売されている

釣鐘まんじゅうがおすすめニコニコ