安珍・清姫の話に登場する清姫の生家が、

田辺市中辺路町真砂(まなご)地区にあります。

 

夫と「生家ってどこにあるんだろう?」と

以前から言っていて気になっていたのですが

調べると分かったので

 

1月8日に行ってきました!

 

国道311号線から山を上った場所に、

「(伝)真砂一族住居跡、(伝)清姫生誕屋敷跡」

の看板がありました。

 

ここまで来たら看板で分かるけれど、

国道からの坂の入口に案内が無いので

今まで気づかなかったのねあんぐり

 

駐車場は無いので集落の会館か、

屋敷跡下の道周辺に数台置くところがあるということなので、

下のスペースに駐車してそこから歩いて行きました。

 

舗装された坂道を上って行きます。

 

集落になっているので周辺には民家があり

人の気配は感じるけれど、

1月ということもあり空気がヒンヤリとして静かでした。

 

歩いてすぐに

 

「清姫生誕の地 真砂一族住居跡」

 

と入口に看板がありました。

 

道からそれて山の急な坂道の方へ行きます。

 

「屋敷はこの上です!!」

 

の看板泣き笑い

 

屋敷はこの上で間違いないようで安心しましたニコニコ

 

なぜかと言うとすぐかと思ったら

 

鬱蒼とした山の中の坂道を

歩いて行かなければならないからです。

 

行きます!

 

坂の途中にお地蔵さまがお祀りされていました。

 

お正月に葉ボタンや千両がお供えされ、

きちんとお祀りされている印象でしたニコニコ

 

道なりに右へ曲がったところに

 

「伝承 清姫の井戸跡」

 

が看板と共にありました。

 

割と浅くて水は無い感じあんぐり

 

井戸跡から1分ぐらい、下から5分ぐらい、

撮影しながらなので、普通に来たらすぐだと思うけれど

坂を上ってきて屋敷跡に到着しました。

 

屋敷はありませんでしたが、

敷地は広かったですニコニコ

 

説明板が設置されていましたニコニコ

 

そばにはベンチもありました。

人はいないけれど、きちんと管理されているのが分かりますニコニコ

 

こちらの住居跡は、西暦800余年ごろ

物部阿斗(もののべあと)の姓から

真砂姓に改名した2代目の真砂清春が

本宮大社より荘園主として遣わされ、

当地の国造りと神仏の勧請、

住民の統率などを行ってきた場所だと伝わっています。

 

石垣があり上が気になったので行ってみました。

 

上も屋敷が建てられるような平坦な広い土地でした。

 

上から見た下の敷地跡です。

 

屋敷跡には、木や雑草が生い茂っていたのを

2016年1月から住民の方が刈り開き、

その後、桜の苗木を植えられました。

 

桜はカワヅザクラだそうで、

今年は早く、2月初旬頃から咲き出したそうです桜

 

上にもベンチがあるので、

今度は桜を見ながらゆっくりしたいですねニコニコ

(ソメイヨシノもあるよう)

 

清姫はこの家系の3代目・清重(きよしげ)の

後妻さんとの間に生まれたお子さんで、

927年8月23日、13歳にして

亡くなったと伝えられています。

 

長く続いた家系ですが、

1585年頃に始まる豊臣秀吉の紀州攻略により、

本家の真砂一族の第31代目・友家(ともいえ)並びに、

本陣に仕えていた家臣ら71名の討死により

本家は滅亡したとの記録があるそうです。