源義経の家来になった平安末期の僧兵(そうへい)・武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、和歌山県の田辺市の出身という説があります
地元民は知っている方が多いけれど、弁慶といえば他府県の方は京都や滋賀などの方がイメージが強い方が多いのではないでしょうか?
七福堂でお土産をいっぱい買った後、田辺市にある
世界遺産の闘鶏神社(とうけいじんじゃ)を参拝しました。
境内には弁慶の父・湛増(たんぞう)と弁慶の像が建立されています。
源平合戦のこと、忘れちゃったよ~って方のために、ざっくりとした説明
源氏と平氏の双方から助力を請われた湛増は、どちらに味方をするかここ現在の闘鶏神社で、
白い鶏7羽、紅い鶏7羽を闘わせて神意を占いました。
すると赤い鶏は1羽も勝たなかったので、白い鶏(白旗)の源氏につきました。
湛増指揮のもと、弁慶を先頭に総勢2千余人、2百余の舟を率いた熊野水軍が、堂々と壇の浦に向かって出陣し、源氏の勝利に大きな役割を果たしたのでありました。
というような話です。
田辺には弁慶ゆかりのものなどがあります。
見逃してはもったいないのが、社務所で展示されている
武蔵坊弁慶 産湯の釜
湛増着用の鉄烏帽子(えぼし)
烏帽子の形をした兜かな。
源 義経が奉納した白龍横笛一管
湛増所持の鐵扇など展示されています。
こちらは弁慶を祭神とする弁慶社です。
弁慶ゆかりのものが闘鶏神社にはありますが、
JR田辺駅前にも弁慶像がお出迎え
闘鶏神社に近い大福院では弁慶誕生地の石碑があります。
海蔵寺には
湛増が源平合戦に熊野水軍を出陣させた際に、戦勝を祈願したという「弁慶観音」と呼ばれる木造観音像が安置されているそうです。(非公開なので見てないけれど・・・)
毎年5月18日のみ御開帳されるようです。
八坂神社には
弁慶腰掛の岩があります。
弁慶腰掛の岩の窪みは、弁慶が子供のころ腰掛けた跡と云われています。
子供が生まれて男の子であれば、弁慶のように立派な子に育ちますようにと願いを込め、この岩に座らせたのだとか。
田辺第一小学校あたりは別当屋敷があった所といわれ、周囲には弁慶松や別当家の井戸があったのですが、周囲の開発により失われています。
田辺市役所前には、弁慶産湯の井戸と第六代 弁慶松があります。
弁慶産湯の井戸
弁慶の産湯を汲んだと伝えられている井戸です。
1960年までは田辺第一小学校内にありましたが、平成元年に弁慶松の横に復元されています。
6代目の弁慶松
弁慶の出生を記念して植樹されたとされる松です。
5代目までは片町にあったそうですが、1975年に枯死し、その種子から育てた弁慶松が植えられています。
向かいの扇浜には「熊野水軍出陣之地」の碑がありました。
2014年の画像なので、最近の画像を見たら移設されているっぽい?
白浜には、熊野水軍が船を隠していたと伝わる三段壁の洞窟があります。
洞窟内に響く波の音が凄いです
洞窟には、熊野水軍の戦いに待機休息した小屋も復元されています。
串本町にある無人島の九龍島(くろしま)は、熊野水軍の根城のひとつといわれています。
すさみ町の沖の黒島は、
熊野水軍が島のどこかに財宝を隠したという伝説があります。
田辺市の菓匠 二宮(かしょう にのみや)の闘鶏まんじゅう
闘鶏神社のエピソードに因んだお菓子で、紅白の鶏がかわいいです
柚子あん、梅あんの2種類があります。
ちなみに箱の土俵で、紙相撲が楽しめます。
こちらも田辺市にある鈴屋菓子店の弁慶の釜です。
弁慶が生まれた時に産湯を沸かした弁慶の釜にちなんでいます。
釜に見立てた最中は上下2つに分かれています。
上部はゆず餡、下部は粒餡が入っています。
歴史に弱い私でも、こうやって弁慶にまつわることが繋がって分かってくると楽しいです。
ほかにも色々あるかもしれないけれど、このへんで。