今日は和歌山も梅雨明けしたと思われると発表がありました。
仕事帰りに青空の空を見ると、今年も夏がやってきたんだと思わせるお天気でした。
でも、仕事でマスクをつけて動いていたら「熱中症になるのでは!!?」と思わせるぐらい顔が暑かったです。
そして、今年も7ヶ月が過ぎようとしています・・・。
自分用の覚え書きになっているので、また長くなってしまいました。
お時間のある時に度も暇つぶしにでもお読みくださいね。
角長さんでお醤油を買った後は、
向いに建つ角長職人蔵へ案内されて見学に行きました。
昔から気になっている職人蔵の木看板がかわいいです
角長職人蔵は、慶応2年(1866)に建った80平方メートルの仕込蔵です。
かつて使用していた蔵で、開館していれば中に入ることができます。
天保12年(1841)創業の醤油醸造所に受け継がれる製造工程を、実際に使われていた仕込樽や圧搾機などの道具と合わせて見学できるようになっています。
見学料は無料です。
以前は撮影禁止でしたが個人での使用の撮影はOKになっていました。
入口を入ると右側に昔の脱穀機が展示されていました。
上にも桶など展示されている!
残念ながら上には行けなかったです。
手摺のような梁のような横木にあるブツブツは、もしかして酵母菌かな?
蔵の中は薄暗く、道具も昔使用していた物なので、重みのある雰囲気です。
チェックし忘れたけれど、棚に展示されている中央の桶みたいなのが醤油かすりかな?
敢えて職人蔵と名付けたのは、蔵人の掌(てのひら)で、この様にすり減った謂れがあるからだそうです。
江戸時代 角長の集金袋
蔵内はそれほど広くはないけれど、ひとつひとつ説明を読んでいると、それなりに時間が経ちますね。
私たちは撮影に時間がかかりましたが・・・。
展示ケース内の展示物です。
安政3年 雑物入
黒板には免許番号と、加納醤油製造場 営業主 加納長兵衛と書かれています。
1 平釜
小麦の煎り釜で、江戸時代から明治にかけて使用されたもの。
小工場では現在も使われているそうですよ。
2 甑(こしき)
大豆を蒸す器の一種の蒸籠(せいろう)です。
下を見ると和釜になっていて、ここに水を入れて加熱して蒸気を出すそうです。
3 小麦割砕機(かっさいき)
足踏み式の小麦ひき割器です。
全部木製であるのも珍しいそう。
4 ぶんじ
語源は不明で、現在のスコップのこと。
説明板前の升のことかと思ったら、画像で調べるとその前の長い柄のついた道具のことのよう。
木製であるのは、鉄が醤油の色を冴えさせないからとありました。
5 麹室と諸蓋
レンガ造りの麹室です。
一部、昔の麹室の材料を使用して、構造を模して再現されていました。
入口、天井の空気の自然出し入れで、麹の温度を調整したと説明板にあったので、天井を見たら開け閉めできるような戸が見えました。
そして、蔵人の責任者は入口にムシロを敷いて夜を明かしたとあり、苦労があったのだなと思います。
諸蓋も地方によって形状が異なり、湯浅のは四方が丸みを帯びた形をしています。
関東は真四角だそうです。
6 仕込桶
手すりのない階段は、常時桶類を肩に担いだ名残です。
水が良いといわれる湯浅の井戸水を、ため桶に入れ肩に担いでこの仕込桶に入れました。
階段に立入禁止の看板があったので、上には行けなくて残念。
仕込桶の中も見てみたかったけれど。
天井から吊るされた大きな籠に「塩溶かし用竹籠と竹蒸籠」とあります。
どちらも塩水を作る為に、中に塩を入れて水につけ、塩水を作る道具です。
奥から入口方向を撮影
諸味運搬用の桶と背負子(しょいこ)
手前の杓は諸味を桶から取り出すときに使った。首振り柄杓とあります。
折り返し
きつねとたぬき
見ての通り名前のような形状をした桶。
海南市の酒蔵でも見たのですが、道具や機械なども似たような感じなので、お酒作りとお醤油作りは似ているのかなと思ったり。
お酒と同じく搾り袋もあります。
搾り袋は、自家で綿の実を買い、糸にし機(ハタ)で織り、夏の強い海岸の小石の上で柿澁につけて強度をつけたそうです。
男柱
すごく太い柱です。
7 締木(しめ木) 乄木とも書くそうです。
江戸時代~明治期に使用した現物で、石の重さと梃(てこ)を応用した醤油絞りきです。
現在も漬物業の一部で使われているようです。
上部の水車状の道具は「きぬ巻き」とよばれ、梃を上下するのに使用されました。
「ぽたぽた三升」といわれた醤油屋の訓戒は
「根気よく板木(ばんぎ)を使って長時間かけ、最後の一滴の醤油まで絞れ」
ということだそうです。
実際の石の数は10個程度なければならないそう。
これが醤油搾り船かな?
14 足踏み水汲器
下の井筒の出所は、川広商店(沖津?氏)である。とあります。
井戸の中を確認するのを忘れました。
8 三州釜
醤油のタキ釜です。
搾った生揚醤油は桶で垽(おり)を取り、この釜に入れ、松の割り木でたき、泡を取りつつ煮付めます。
現在も行われています。
9 澄まし桶
火入れ後は澄まし桶に入れ、熱い醤油を冷まし乍(ながら)垽(おり)を下げて、清澄を計ります。
同時に完成された醤油を保存する容器でもあります。
しかし最近は桶屋が無くなり補充が不可能だそうです。
桶と焼印
桶には所有をはっきりさせるために、名称を焼印にして使用しました。
分かりにくかったけれど、黒い桶にも焼印があるのが分かりました。
蔵の中央あたりに昔の電話室がありました。
電話機をさわらないでくださいと電話の横に貼り紙されていました。
ガラスケースの展示物
一番奥に帳場がありました。
入口からだと正面奥にあたる場所です。
角長さんはダイワハウス工業さんと日本通運さんのCMに登場したようですね。
写真がありました。
「朝味噌 夕醤湯」
元和歌山県知事の仮谷志良の筆があります。
なんとなく分かる気がする言葉で、醤油と味噌の町・湯浅だとイメージしました。
でもなんで醤油ではなくて醤湯なのだろ?
どうでもいい話なのですが、独身時代、友人と仮谷知事のことをカーリーと呼んでいました。
湯浅醤油の起源について知りたい方は、こちらを読めば分かります。
おつかれさまでした。