先月の4月29日

和歌山県日高郡日高川町(旧中津村)へ行ってきました。ニコニコ


以前から麻巳子が気になっていた


癒しの和歌山

「芳澤(沢)あやめ」の故郷を訪ねてみました。

(看板は道の駅に建っていたものです。)


みなさんは芳澤あやめをご存知ですかはてなマーク


旧中津村は芳澤あやめの出生の地と知られています。


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きのくに中津荘の広場には芳澤あやめの銅像が建っているので見に行ってきました。ニコニコ


でもいったい芳澤あやめって誰?

って思われる方もいられますよね。あせる


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黄色い花芳澤あやめ黄色い花(1673~1729)


説明板には、

『元禄から享保年間にかけて、歌舞伎女形の開祖として一世を風靡した芳澤あやめは、延宝元年(1673) ここ小原長滝で生まれた。幼名を千太良と言った。』

などとありました。


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そして、


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こちらはかまきりトンネルにあった芳澤あやめ。


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トンネル前の橋の親柱にも芳澤あやめ。


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芳澤あやめにちなんでか、村の花もあやめです。ニコニコ

(こちらは道の駅にありました。)


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あやめ橋の親柱にもあやめの花がありました。


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もっと色々「あやめ」があったけれどキリが無いので。あせる

とにかく村中であやめをアピールしています。ニコニコ

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第2鳴滝キャンプ場には、遊歩道があり、入口に

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「芳澤あやめ生家跡」とあったので行ってみました。


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どこに生家跡があるの~?と思いながら

竹林の遊歩道を登って行くと到着しました。

5分ぐらいで到着したかな?

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こちらにも説明板がありました。


『 当時この草深い山里でも旅回りの歌舞伎芝居がよく興行された。

千太良は小さい頃から芸事に魅せられ、よく楽屋をのぞき見したと伝えられている。

 太鼓や拍子木を打たせれば役者も舌を巻く程であり役者としての天性が親方の目に止まり、所望されるまま一座の人となり、運命の役者修行に出てみごとな大輪の花を咲かせた。

その芸は、三都(江戸、京、浪速)に聞こえ享保2年(1717)45歳の時、当時の俳優として最高位の惣芸頭になり、その後日本無双と賞賛された。

初代中村富十郎は、芳澤あやめの三男にあたります。』


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この下に見える石垣で囲まれた付近に芳澤あやめの生家があったとつたえられています。

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足元が悪かったので近くまで行きませんでしたが、竹林の向こうに石垣が見えました。

今はひっそりとして、こんな所によく人が住んでいたな~と思うような場所でした。