寄合橋を渡り、藩校跡を探してやってくると・・・


ちゃ~る和歌山☆

角に説明が書かれた碑がポツンと立っていました。

こんな所に藩校があったの?と思うような場所でした。あせる


正徳3年(1713)、5代藩主・徳川吉宗によって儒学教育のため湊昌平河岸(現在の和歌山市湊紺屋町)に「講釈所」(後に講堂と改称)を創設しました。

吉宗が紀州藩主を継ぐまでの間暮らした伝法屋敷(拝領屋敷)に講釈所を設けたようです。

その後吉宗が将軍となったため衰退。


寛政3年(1791)、10代藩主治宝(はるとみ)が再興し、藩校学習館を開校しました。

東西約35メートル、南北約50メートルの敷地を占めていました。

学習館は、藩士およびその子弟の教育に当たり、

また、儒学者仁井田好古や国学者の本居宣長らが講義をしたとか。


慶応2年(1866)、真砂町岡山へ移転し、この時一般庶民にも門戸を開きました。

後の和歌山大学教育学部へとつながりるそうです。


ちゃ~る和歌山☆

ところで藩校跡の碑が立っている場所は、お酒酒造会社の「世界一統」の敷地です。v

ちゃ~る和歌山☆

世界一統の創業者は南方熊楠(みなかたくまぐす)の父親で、

早稲田大学の創立者であり、内閣総理大臣をつとめた大隈重信が、「世界一統」の酒名を命名したことによりその後社名も変更し「世界一統」となったとか。



※ 和歌山城と周辺パンフレット 36