TOSHIのブログ

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昔の話なんだけど、

私の隣の家に

おばあちゃんが住んでいた。

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんは

もうお年寄りであまり動けなくてさ、

ずっとベットにすわってた。

 

 

 

私のおばあちゃんじゃないのに、

孫のように可愛がってくれてね。

 

 

 

 

 

 

毎日のように

おばあちゃんの家に行っては

おりがみをしていた。

 

 

 

おばあちゃんは

手先が器用だったから

色々教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

私がおりがみを折るたびに

おばあちゃんにおりがみを

プレゼントしててね、

それをずっと飾っててくれた。

 

 

 

プレゼントするたびに

おばあちゃんは、

ありがとうって

笑いながら言うの。

 

 

 

 

 

 

それがすごく嬉しかった。

 

 

 

でも、

私が高学年になるに連れて

おばあちゃん家に

行かなくなったの。

 

 

 

 

 

 

そんなある日、

 

 

おばあちゃんが

亡くなったって言う

知らせが来た。

 

 

 

ショックが大きかった。

 

 

 

 

 

 

最後にあったのは

2年前くらいだったから。

 

 

 

お葬式が終わって数日たって、

おばあちゃんと一緒住んでいた

おじさんがウチに来た。

 

 

 

 

 

 

これ、

うちのばぁちゃんが

ずっと作ってたんだわ。

あの子にあげるって。

 

 

 

それは

おばあちゃんが編んでくれた

帽子とマフラーだったの。

 

 

 

 

 

 

ばぁちゃんからの伝言で、

おりがみのお礼だって。

 

 

 

これから寒くなるから

あったかくしてねって。

 

 

 

 

 

 

もうね、

それを聞いた瞬間

涙が出て止まらなかった。

 

 

 

だから

今でもマフラーは使ってる。

 

 

 

 

 

 

帽子はちっちゃくなっちゃって

もう使えないけど(笑)

 

 

おばあちゃんありがとう。

 

 

 

 

 

 

私は、

おばあちゃんの

孫ではないけれど、

 

 

 

私のおばあちゃんだと

私は思っています。

 

 

本日も、僕のページを読んで頂き

ありがとうございました。

一球投げるたび、

脱げそうになる帽子
かぶり直す。

 

 

同点の七回、

3番手でマウンドに上がった。

 

 

 

 

1点勝ち越されたが、

味方が追いついてくれた。

 

 

八回2死一、二塁のピンチも

ゼロで切り抜けた。

 

 

 

 

ぶかぶかの帽子は、

学校から借りた。

 

 

ほかにも、

身につけている

野球道具のほとんどが

もらいものだ。

 

 

 

 

グラブは体育の授業で使う

ソフトボール用、

 

 

スパイクは

部室に放置されていた。

 

 

練習着も

監督や先輩からもらった。

 

 

 

 

5人兄弟の母子家庭で育った。

 

 

野球道具を

買ってもらう余裕はない。

 

 

 

 

穴が開いたスパイクは

砂が入るし、

 

 

ソフトボール用のグラブは

生地が薄くて、ちょっと痛い。

 

 

でも、野球は楽しい。

 

 

 

 

今年5月、

小学4年の弟が

サッカーを始めた。

 

 

道具や食費など

出費がかさむ。

 

 

 

 

夜、母が涙を流す姿を見てしまった。

 

 

お金のことで悩んでいるようだ。

 

 

 

練習試合を終え、

自転車で帰宅していた時

「家族を助けられるなら」と決意し、

監督の携帯を鳴らした。

 

 

 

 

「野球辞めてバイトします」

 

 

これまでも、

家庭事情を知る監督や部長が、

 

 

体を大きくさせようと

プロテインや筋肉に負荷をかける

加圧パンツをプレゼントしてくれた。

 

 

 

 

マネジャーは、こっそり、

チームで一番大きいおにぎりを

つくってくれた。

 

 

でも、この時は

「辞めた方が」

の気持ちが勝った。

 

 

 

 

初めて告げられた監督は、

「絶対辞めさせたくない」。

 

 

両立できる方法

2人で考えた。

 

 

 

 

野球と両立出来るバイトを探し、

スーパーの品出しのバイトを見つけた。

 

 

仲間よりも早く練習を切り上げ、

スーパーに向かう日々だ。

 

 

 

 

九回裏、先頭打者に立った。

 

 

「死んでも塁に出よう」。

 

 

死球で出塁し、

サヨナラの本塁を踏んだ。

 

 

 

 

試合後、

 

 

「僕と同じ境遇の人の希望になれれば」

と笑顔で話し終えるとすぐ、

バイト先に向かった。

 

 

 

バイトと部活の両立は

とても大変。

 

 

しかし神様は

きっと出来ると思い

上記のような試練を

彼に与えたんだなぁと思う。

 

 

本日も僕のページを読んで頂き

小さい頃の私は、

わがままで自信家なのに

人見知りという三重苦

 

 

 

そんな私の両親は共働きで、

母さんが仕事から帰ってくるまでは

祖父母の家に預けられていました。

 

 

 

母さんはちょっと厳しい人で、

よく怒られたけど、

 

 

 

私は、

仕事へ行って

ご飯を作って寝る前に

絵本を読んでくれる

 

 

 

美人な母さんが大好きでした。

 

 

 

私が小1に進学した年の

夏だったかな?

 

 

 

母さんが

になったと聞きました。

 

 

 

それから母さんのお腹は

妊娠したみたいに

大きくなっていって、

 

 

 

気付いたときには

もう抗がん剤を止め、

自宅で寝たきりになりました。

 

 

 

モルヒネのせいで

朦朧として、

 

 

 

何度も同じことを

呟くようになった母さんを

気味悪がってしまってごめんね。

 

 

 

酷い床ずれも我慢して、

最後は静かに

旅立って行った貴方に、

私何もしてあげられなかった。

 

 

 

本当にごめんなさい。

 

 

 

8年経った今も

貴方に会いたくて泣きます。

 

 

 

母さんに会いたい。

 

 

 

抱きしめて頭撫でて、

大好きだよって言って欲しい。

 

 

 

生きる価値のない私が

代わりに死にたかったと

思うことも頻繁にあります。

 

 

 

母さんの事が大好きです。

 

 

 

僕の両親が元気なうちに

たくさんの親孝行をしようと

思います。

 

 

 

本日も僕のページを読んで頂き

ありがとうございました。

今年の5月まで

付き合っていた彼の話。

 

 

 

料理が好きで、

調理場でバイトしていた。

 

 

 

付き合い始めのころ、

私が作った味噌汁に

溶け残りの味噌が

固まって入ってたことがあった。

 

 

 

飲み終えてから気づいて、

恥ずかしさから

 

 

 

「どうして早く言わないの?!」

と怒った私に

「好きな人が作ってくれたものはみんな美味しいんだよ」

って言ってくれた。

 

 

 

彼は、よくおいしい料理を作ってくれた。

私よりかなり上手。

 

 

 

私の料理がまずければ

正直に「まずい」と言うようになった。

「料理が上手になってほしいから」

って。

 

 

 

料理するたびに文句を言われるから、

『長く付き合うと、やさしくなくなるんだなぁ』

なんて思って、せがまれても作らなくなった。

 

 

 

彼とは5月に別れた。

 

 

 

彼のことをすきかどうか分からなくなって。

 

 

 

彼は、優しかった。

彼から別れをきりだした。

私の気持ちに気づいていると思わなかった。

次第に冷たい態度をとっていってたんだと思う。

 

 

 

自分の鈍感さに、非道さに気づいて泣いた。

何度も謝ったけど、彼への仕打ちは消えない。

好きな気持ちが離れていくのを、彼はずっと気づいていた。

 

 

 

どうすることもできず、

いつものように振舞って、

ついには自分から私を手放した。

 

 

 

望んでないのに。

 

 

 

私よりずっとキツイ仕事をしているのに、

通ってきてくれて、

料理を作ってくれて、

愛してくれた。

 

 

 

思えば、別れの数ヶ月くらい前から

「俺のこと好き?」

って聞くようになった。

 

 

 

冗談のつもりで「嫌い」って、私。

 

 

 

寂しそうな顔は演技だと思ってた。

 

 

 

今になって思う。

 

 

 

まずくても、

不恰好でも、

それでも私の手料理が

良かったんだよね。

 

 

 

彼より下手で、

それを気にする私に、

料理を教えようとして

正直な感想を述べててくれてたんだよね。

 

 

 

なのにそのことに気づかず、

努力もせず、

手伝いもしないで

ご飯を作ってもらってた。

 

 

 

ろくにお礼も言わなかった。

 

 

 

今更遅いけど、ごめんね。

 

 

 

こんな女が最初の彼女でごめんね。

 

 

 

こんな私を愛してくれて、

本当にありがとう。

 

 

 

料理をすると彼が思い出される。

 

 

 

連絡をしたらきっとまた傷つけてしまう。

 

 

 

伝えたいけどもう伝えられない、感謝と後悔。

 

 

 

普段からありがとうを言える人は

すごいと思います。

 

 

 

小さな幸せこそ

大きな幸せなのかもしれません。

 

 

 

本日も僕のページを読んで頂き、

ありがとうございました。

中学の夏休みに

母親と大喧嘩した。

 

 

 

家を飛び出し、

朝まで繁華街とかを

ぶらついた事が

一回だけあった。

 

 

 

帰ると家族全員が居間に居た。

 

 

 

夜勤の父は

職場から抜け出して

帰ってきていた。

 

 

 

普段仲の悪い兄も、

車で私の事を朝まで

さがしていたらしい。

 

 

 

怒られると思ったら

父が帰ってきて良かった。

 

 

 

飯食え。

 

 

 

と言った。

 

 

 

でも、

 

 

 

私はまだ母が許せなかったので

口も聞かず部屋に閉じこもった。

 

 

 

数日後、

 

 

 

父の部屋の本棚で

初めて見るアルバムらしき物を

見つけた。

 

 

 

赤ん坊の写真だった

 

 

 

私の写真が貼ってあった。

 

 

 

その横に

母の物と思われる

日記が書いてあった。

 

 

 

それによると

 

 

 

私を産んだとき

母は難産だったらしく、

 

 

 

産まれた後も

未熟児だった私の世話が

大変だったらしい。

 

 

 

私の写真は

2歳ごろまで貼ってあり、

 

 

 

最後の方のページに

産まれてきてくれて、ありがとう

と書いてあった。

 

 

 

それを見て、私は大泣きした。

 

 

 

母と喧嘩した時に、

何で私なんか産んだんだよ

と言ってしまった

 

 

 

自分は、本当に馬鹿だと思った。

 

 

 

 

母はそれを聞いた時、

どんな気持ちだったんだろう

と思うと凄く泣けてきた。

 

 

 

その日、

母に謝った。

 

 

 

それから、

 

 

 

いつか

 

 

 

「産んでくれてありがとう」

と母に言いたいと思っている。

 

 

 

【産んでくれてありがとう】

恥ずかしくてなかなか言えない言葉

 

 

 

時間は待ってくれないので

早めに言えると良いですね。

 

 

 

後悔しないように

僕も母親にしてあげられることを

たくさんしてあげたいな。

 

 

本日も僕のページを読んで頂き

ありがとうございました。

父親が死んでしまったのが

中学三年生の時で、

 

 

 

それから母親は

一人で生計をたてていました。

 

 

 

四人姉弟の真ん中、

三番目の僕は

 

 

 

男一人だった事もあり

かなり、手を妬かせていたと

思います。

 

 

 

高校生になって

バイトをしても、

 

 

 

家計を助けるわけでもなく、

自分のためだけにつかっていました…。

 

 

 

兄弟がそうだったから

違和感がなかったといえば

そうなのかも知れないけれど、

 

 

 

一人で五人家族を

養える訳がなかったのです。

 

 

 

毎日、

朝から晩まで働き、

やりくりし、

 

 

 

学費を払せ、

必要な物を買ってもらい、

何不自由なく育てられて。

 

 

 

それが当たり前だとすら

感じていました。

 

 

 

高校入りたての頃に、

一番上の姉ができちゃった婚をし、

 

 

 

もう一人の姉が

大学に入り一人暮しをし始め、

 

 

 

残るは自分と妹だけになりました。

 

 

 

そんな時、

母親は会社の男性となかよくなり、

あまり家に帰って来なくなりました。

 

 

 

妹と二人で食卓を囲むことが増えました。

 

 

 

そんなある日、

 

 

 

会社で大きなリストラがあり

母親もその中の一人になっていました。

 

 

 

一気に生活は苦しくなりました。

 

 

 

母親は出稼ぎにいくと

僕らの暮らす街から離れ、

遠くで働きはじめました。

 

 

 

いつからか

家族がバラバラになっていて、

それが当たり前になっていました。

 

 

 

高校を卒業し、

就職をして半年ぐらい経った時でした。

 

 

 

未だに僕は妹を抱えながら、

生活費を母親に貰い生活していました。

 

 

 

新卒の給料では

生活が出来なかったから

というのもありますが、

甘えだったのだと今は思います。

 

 

 

会社に電話がはいりました。

 

 

 

母親が倒れたと。

 

 

 

意識不明だと。

 

 

 

夜だったため、

すぐに向かうことは出来ず、

翌日むかう事になり

会社を暫く休む事にしました。

 

 

 

脳梗塞の上、

くもまっか出血を併発し

 

 

 

「病院で手術しても助からないかもしれない」

 

 

と言われました。

 

 

 

白い壁の病院が

寂しい世界に思えました。

 

 

 

久しぶりに会った母親は

意識がなく、

 

 

 

話しかけても返事がないのだから…。

 

 

 

手術をしたあと病室で

母親が意識を取り戻し、

僕等にむかいこう言いました。

 

 

 

《大丈夫だよ転んだ訳じゃないから》

 

 

 

それが最後の言葉でした。

 

 

 

それから容態は急変し、

 

 

 

翌日医者から告げられたのは

 

 

 

植物状態で延命させるかという質問でした。

 

 

 

姿はそこにあるのに、

もう命はないのだと。

 

 

 

目を開けないんだと。

 

 

 

親を殺してしまいました。

 

 

 

機械を止めてもらいました。

 

 

 

今までごめんなさい。

 

 

子供のためにい生懸命働いたお母さん

 

 

とても輝いていると僕は思います。

 

 

本日も僕のページを読んで頂き

ありがとうございました。

ちょっとした事で

母とケンカした。

 

 

 

3月に高校を卒業し、

晴れて4月から

専門学生となる私は、

 

 

 

一人暮らしになる不安からか

ここ最近ずっとピリピリしていた。

 

 

 

「そんなんで本当に

一人暮らしなんて出来るの?

 

 

 

あんたいっつも寝てばっかで‥

 

 

 

ゴミ出す曜日は確認した?

朝は起きられるの?

火事だけには気をつけてよね?」

 

 

 

事あるごとに聞かされる

母の言葉にうんざりして、

 

 

 

ついに今日

 

 

 

「あぁー!もぉーうるさいなあ!!

自分で決めたことなんだから

大丈夫だって!!

 

 

 

わざわざ不安を煽るような事は

言わないでよ!!

 

 

 

すこしは私の気持ちも考えて!

 

 

 

最初っから上手くいくわけないでしょお!?

 

 

 

自分の娘なら

ちょっとくらい応援してくれたって

いいじゃん!!!」

 

 

 

自分でもビックリするぐらい

大声で母に怒鳴ってしまった。

 

 

 

はっとして

 

 

 

「やばい!怒られる」

 

 

 

と思ったが母は何も言わず、

悲しいような怒っているような

どこか複雑な顔をして、

そのまま車に乗って行ってしまった。

 

 

 

いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、

特に止めもせず、

イライラしながらもテレビや携帯を見て

一人で適当に時間を潰した。

 

 

 

夕方をすぎても、

夜になっても、

母は帰って来なかった。

 

 

 

遅い、遅すぎる。

 

 

 

まさか事故にでもあったのか‥?

 

 

 

冗談じゃない。

それだったら病院から

電話があるはず‥

 

 

 

なんて考えていたら

外で母の車の

エンジンの音が聞こえた。

 

 

 

「ただいまー」

 

 

 

いつも通りの母の声にほっとした反面、

なんでこんな帰りが遅いのか

問いただそうとした瞬間、

 

 

 

目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。

 

 

 

「何これ?」

 

 

 

と母に聞くと、

重たそうなその袋を見ながら

 

 

 

「あんたの薬。

 

 

 

一人暮らしするとき

薬がなかったら大変でしょう。

 

 

 

とりあえず一通りあったもの

買ってきたから。

あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」

 

 

 

頭痛薬、

咳止め、

湿布や包帯、

 

 

 

口内炎の薬、

のど飴など

 

 

 

袋の中には

ありとあらゆる種類の

薬が入っていた。

 

 

 

「こんなにたくさん‥」

 

 

 

驚いてもうそれしか言えなかった。

 

 

 

こんな時間まで私のために母は‥

 

 

 

「一人暮らしかぁー。

見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。

 

 

 

お母さん心配でね、

すごく寂しいのよ。

 

 

 

風邪引いた時とか、

本当はお母さんが

そばにいてあげたいんだけどねぇ。」

 

 

 

もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、

自分の不甲斐なさと

母への申し訳なさで顔あげられなかった。

 

 

 

薬だって決して安いもんじゃないのに。

 

 

 

自分の娘を応援しない母親なんて

居るはずないのに、

 

 

 

なんで気づいてあげられなかったんだろう。

 

 

 

もっと応援しろだなんて‥

 

 

 

一番私のことを思ってくれて

支えてくれたのは

他でもなくお母さんなんだよね。

 

 

 

分からず屋でゴメン。

 

 

 

いつも、いつも、

いつも、いつも、

ありがとう。

 

 

 

その後、

遅めの晩御飯を

母と一緒に食べました。

 

 

 

残り少ない

母の味を

 

 

もっと大切にして

行こうと思います。

 

 

 

大人になると必ず訪れる別れ…

 

 

 

娘さんの心配をしてくれいている母親に感動しました。

 

 

 

本日も僕のページを読んで頂き

ありがとうございました。

幼い頃に父が亡くなり、

母は再婚もせずに俺を育ててくれた。

 

 

 

学もなく、

技術もなかった母は、

 

 

 

個人商店の手伝いみたいな仕事で

生計を立てていた。

 

 

 

それでも当時住んでいた土地は、

まだ人情が残っていたので、

何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

 

 

 

娯楽をする余裕なんてなく、

日曜日は母の手作りの弁当を持って、

近所の河原とかに遊びに行っていた。

 

 

 

給料をもらった次の日曜日には、

クリームパンとコーラを買ってくれた。

 

 

 

ある日、

 

 

 

母が勤め先から

プロ野球のチケットを2枚もらってきた。

 

 

 

俺は生まれて初めての

プロ野球観戦に興奮し、

母はいつもより

少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

 

 

 

野球場に着き、

チケットを見せて入ろうとすると、

係員に止められた。

 

 

 

母がもらったのは

招待券ではなく優待券だった。

 

 

 

チケット売り場で

一人1000円ずつ払って

チケットを買わなければいけない

と言われ、

 

 

 

帰りの電車賃くらいしか

持っていなかった俺たちは、

外のベンチで弁当を食べて帰った。

 

 

 

電車の中で無言の母に

「楽しかったよ」

と言ったら、

 

 

 

母は

 

 

 

「母ちゃん、バカでごめんね」

と言って涙を少しこぼした。

 

 

 

俺は母につらい思いをさせた

貧乏と無学がとことん嫌になって、

一生懸命に勉強した。

 

 

 

新聞奨学生として大学まで進み、

いっぱしの社会人になった。

 

 

 

結婚もして、

母に孫を見せてやることもできた。

 

 

 

そんな母が去年の暮れに亡くなった

 

 

 

死ぬ前に一度だけ目を覚まし、

思い出したように

「野球、ごめんね」と言った。

 

 

 

俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、

最後まで声にならなかった。

 

 

 

母の唯一の後悔

涙が出ます。

 

 

 

本日も僕のページを読んで頂き

ありがとうございました。

5年前に飼っていた、

茶トラ猫。

 

 

 

姉が家出同然で出ていってしまって

家の雰囲気が暗かったので、

私は家ではできるだけ

明るく振舞っていました。

 

 

 

でも、本当は、

家族に仕事や恋愛の悩みを

相談したりしたかったんです。

 

 

 

だから、夜眠るときや、

誰もいないときに、

その猫によく相談しながら

泣いていました。

 

 

 

相談といっても、

猫だから黙って私を

見ているだけだったんですけどね。

 

 

 

その猫は、

私のお布団の中が好きで、

 

 

 

毎日夜になると、

ニョロニョロと入ってきては、

背中と腰の中間くらいのところに

ずっしりと寄りかかって眠っていました。

 

 

 

だけど、

その子は病気で

なくなってしまった。

 

 

 

裏庭に埋めるときに、

手紙を書いて

一緒に埋めました。

 

 

 

「いろいろお話を聞いてくれてありがとう。

オバケでもいいから時々会いにきてね」

 

 

 

といった内容を書きました。

 

 

 

そして、つい2、3日前のこと。

 

 

 

相変わらずの

人間関係からの

ストレスで貧血状態になり、

横になっっていました。

 

 

 

ウトウトしていると、

猫がニョロニョロと

お布団の中に入ってくる気配。

 

 

 

今は別の猫を飼っているので、

そいつだ思って気にしてなかったら、

 

 

 

ちょうど背中と腰の中間の辺りに、

寄りかかったのです。

 

 

 

ほんのりあたたかくて、

ずしっと重い感じ。。。

 

 

 

ん?この重みは…!!

 

 

 

「…心配して来てくれたの?!」

 

 

 

ってお布団の中をのぞくと、

すーっと重みが消えて、

誰もいませんでした。

 

 

 

全然怖くなくて、

 

 

 

むしろ死んじゃっても

心配かけてる自分が情けなくて、

しくしく泣いてしまいました。

 

 

 

そのまま泣きながら

眠ってしまったら、

 

 

 

夢にはご飯を食べてる

茶トラ猫がでてきました。

 

 

 

目が覚めてから、

お線香をあげて、

猫のエサをお供えしました。

 

 

いつまでも

飼い主の悲しみを

聞いてくれる猫

 

 

 

優しいですね

 

 

 

本日も

僕のブログを読んで頂き

ありがとうございました。

彼女が認知症になりました。

 

 

 

前から物忘れが激しくて、

ある日夜中に

突然昼ご飯と言って料理を始めたり、

 

 

 

ある日突然、

私は貴方の妹なのと言ったり。

 

 

 

これは変だと思い、

病院に行ったら

『認知症』

と言われた。

 

 

 

俺と彼女は、

結婚する約束をしていた、

 

 

 

給料三か月分とは言えないけど、

もう指輪も用意していた。

 

 

 

あとは、

これを渡して

プロポーズするだけだった。

 

 

 

でも彼女は、

もう殆ど俺のことを覚えていない。

 

 

 

一人じゃ何にも出来なくなって、

俺が介護するしか無かった。

 

 

 

仕事も辞めて、

彼女と二人ぼっちで家に引きこもって、

毎日、毎日、俺は彼女の右手を握り続けた

 

 

 

貯金も底を付き、

いよいよ生きていくためのお金が無くなった。

 

 

 

その頃から彼女の両親が

「娘を引き取りたい」

と言ってきた。

 

 

 

彼女の父親に

「君もまだ若いんだから、

これからの人生に生きなよ、娘のことは忘れてくれ」

と言われた。

 

 

 

でも、俺は忘れられなかったよ。

 

 

 

新しい仕事でも、

考えるのはいつも彼女のことばかり。

 

 

 

一年してから、彼女の実家を訪ねてみた。

 

 

 

でも、家には誰も居なかった。

 

 

 

彼女も、彼女の両親も町から消えていた。

 

 

 

彼女の家族が、

北陸の町で暮らしていると知って、

俺はすぐにそこに行ったよ。

 

 

 

海沿いの家に住んでてさ、

家に行くと彼女の母親は驚いていたよ。

 

 

 

俺は

「彼女に渡したい物がある、直接渡したい」

と言った。

 

 

 

「海で待っててください」

と彼女の母親は言って奥に消えたよ。

 

 

 

黒い浜辺で待ってると、

寝巻き姿の彼女を母親が連れてきた。

 

 

 

彼女の姿は、それは酷かったよ。

 

 

 

言葉に出来ないくらいに。

 

 

 

俺と彼女は浜辺に二人で座った。

 

 

 

彼女の母親は、気を利かしてくれたのか、

姿を消してくれていた。

 

 

 

彼女は、なにやらわけのわからないことばかり言ってたよ。

 

 

 

なんだったかな。

 

 

 

「世界一遠くて近い場所」

とか

 

 

 

「音の響きが聞こえない」

とか。

 

 

 

俺は彼女の左手を持って、

ポケットからある物を取り出した。

 

 

 

彼女の誕生石のエメラルドの指輪だ。

 

 

 

俺がそっと指輪をはめてやると、

彼女は嬉しそうにしてしばらく黙り、

そして泣いた。

 

 

 

自分でも、

なんで泣いたのか判らないみたいだった。

 

 

 

それを見ていたら、

俺も泣けてきちゃった。

 

 

 

俺は彼女を抱きしめて、

おいおい泣いたよ。

 

 

 

たぶん、二時間くらいじゃないかな。

 

 

 

彼女に、少し強く抱きしめられてるような気がしたよ。

 

 

 

認知症の人との向き合い方はとても難しい

 

 

 

だけど、最後まで愛を貫けたら良いなと思う。

 

 

 

本日も僕のブログを読んで頂き

ありがとうございました。