日本人は食事に対して重きをおいています
普段そんなつもりはなくても、多分フランスや中国と同じくらい自国の料理が好きで
海外に行っても4日くらいすると日本食恋しくなるのが日本人。

繊細な、凝った、美しいものが好きなのも
料理に季節感じたいのも
小さな小鉢に小さく仕上げられているのを美しいと感じるのも

そんな気持ちを持ちながらお弁当をみてみる

*母親自身が、いい母親である、と認識するためのバロメーター説
母親は自分の作ったお弁当を子供に持たせる。
そのお弁当は毎日、子供と、先生と、さらには子供の友人のお母さんに(間接的に)評価され
まるで自分の評価につながるような感覚がある。
幼稚園はお母さんにとっても自分がお母さんとしての社会デビューだから余計に
「〇〇ちゃんのお弁当、とっても美味しくていつも綺麗なんだよ~」なんて
無邪気な報告もサクって心に刺さってしまうような。
最近はSNSなんかもあるから子供介さなくてもお弁当が見えちゃうからなおさら厄介かも。

ご飯を大切にしている文化のもとでは、ご飯がうまく作れるかは重要、そうゆう理論なんでしょう。
だから劣等感かんじたり優越感になったり、ああ自分はお母さんちゃんとやってるんだなあ、と思える。
お弁当にはそんな機能がありますよ、って見方。
そもそもお弁当のクオリティだけで人間の良し悪しなんぞ決まらないんだけどね、気になるよね。

*学歴社会で子供を勝ち抜かせるための母親のトレーニングの一環説
日本は、とにかくいい学校に入ればいい会社にも入れる、ような学歴社会の要素が強い。
だから親(特に母親)はお受験のサポートをしたり習い事させたり、と
子供のサポートをする、という役割を負っています。
そうゆう点で幼稚園に行く娘・息子に毎朝20-45分かけてお弁当を作るのは
その後少なくとも10年以上は続くサポートの’練習・導入段階’なのである。
そんな考え方もあるらしい。ちょっと言い過ぎ感あるけど否めない感じもある。

*子供の心の支え説
学校や遠足でお弁当を開けるときの、なんかホッとした感じ。
お母さんが作ってくれたという安心感や好きなものを入れてくれた喜びなんかは
誰もが感じるものでしょう。

日本は内と外を切り離す文化が強いです
鬼はそと、福はうち
外国でもプライベートとパブリックを分ける価値観はもちろんありますが
日本の’そと’には「危ない、怖い」そんなニュアンスの含まれ方が強いみたいで。
学問的には ’うちーそと理論’ 的な感じで呼ばれていますが
つまりは幼稚園に行く子供たちは初めて”そと”に出るわけで危険や不安にさらされているわけです。
そんなときにお弁当というのは 完全に”うち”
ママが作ってくれたものを、おうちから持ってくる。”うち”のものをもってくることで
”そと”にいながらも”うち”を感じて安心することができる。

このブランケットないと寝れないって、持ってくる子いますもんね。
そこまでには明らかではないけども、理論上は同じ役割を果たしている。
そんな見方もあるのね。確かにそんな気もする。


この考え方が正しいかどうかではなくて
こうゆう考えかたもあるんだって思うと、人間は自分の行動を少し客観的にみれたりもする。
お弁当でさえもこんなに広げちゃう人類学者、マニアックな感じで好きです。

良妻賢母、明治時代の日本政府がこの考えを国として掲げなかったら今の日本はまた違ったのかしら。


もっと詳しくお弁当のこと、考えてみたくなったらどうぞ
Anne Allison, Japanese Mothers and Obentōs: The Lunch-Box as Ideological State Apparatus, Anthropological Quarterly, Vol. 64, No. 4, Gender and the State in Japan (Oct., 1991),