雨が続いたのですが、だからといって子供達は家の中だけでは満足できず、外へ遊びに行きました。小学生の我が子と近所の子たち数人で、落とし穴にたまった水をのぞきこんだりしています。もちろん、傘は邪魔になるのでさしません(潔い)。


お風呂の準備をしていましたが、長くなるようなら風邪をひくかもしれないと気にしていたものの、心配はいらなかったようです。


傘をさしていないのでびしょびしょになり、すっ転んで泥んこになったので、我が子は遊び仲間に「着替えたいから解散しよー」とフラットに声を掛けて戻ってきました。お互いびしょびしょドロドロなので、みんな帰ることにしたようです。


近所の子達は、「おなか空いた~。おやつない?」とごく自然に私に伝えてきます。私は我が子だけ良ければそれでいいとは思えないので、「うちの子もよその子も」というつもりで付き合っています。それが通じているからだと思いますが、図々しさも何もなく、ただ子供達は自分の親と同じように接しているだけなのです。我が子も遊びに行った先でおやつをいただくので、ご近所どうしそれは「持ちつ持たれつ」あるいは「お互いさま」でいます。


私は「これを言っていいかな」「どのタイミングで切り出そう」などいろいろ考えて、結局言えないままみんなに任せるという流れでした。そんな「気遣い」ですらないよけいなものを盛らずにサラッと言える子供達に、「勇気あるな~」と感じます。


でも、子供達はただ自然体でいるだけで、年齢は関係なく、上でも下でもない対等にお互いを受け入れて、気持ちを出し合っているだけです。勇気を出して口を開いているのではありません。大人でも子供でも、これができれば世界は平和です。自分勝手でも思いやりがないわけでも何でもない。ただ心がフラットなだけです。


この数年、姑や夫をどうにかしようと考えなくなり、自分の心に詰まりがないよう、日々細かいところを見てきました。


「大好きなコーヒーは、今どのカップに淹れて飲みたい?」

「トイレに行きたい。手を止めて今行こう」

「埃が気になった。このタイミングで掃除機掛けよう」

「掃除機をわざわざ持って来るのは億劫で掃除したくなくなる。じゃあ、100均に行った時にハンディワイパー買ってきて置いておこう」


こんな小さな日常ですが、「無かった事」「見て見ぬふり」という小さな詰まりがたまりたまって、ある時、爆発します。そういう時は、ここぞとばかりに「ついでにいろいろ」持ち出してしまいます。


特に家族にぶつけて、お互い気分がわるくなる。これを職場でやっている人もいました(家族に不満があり、よくキレて部下にあたる上司。上司の上役にはペコペコする)。


子供達に、改めて詰まりがないフラットな心の大切さや、お互いを尊重するってどういうことかを教わった雨の日の出来事でした。