先日、父が他界しました。


私は訃報を受けてからも、ずっと穏やかな気持ちでいました。


持病があると感染した時に重篤化しやすいと言われていましたが、父は透析を受けていたので、念のためにコロナ禍の3年間はほぼ会うことがありませんでした。たまに電話はしていました。自分の心と相談しながら過ごしてきたので、父に対しては悔い無しと言い切れます。


姑には相変わらず手を焼くことがありますが、怨念を溜め込まずにそのつど心を解放するように心掛けてきました。どんな些細な日常も、「いま自分はどうしたいか」という気持ちを採用して過ごしてきた結果、自分の心に詰まりがなくなったから、そんな時でも穏やかでいられたのだと思います。


私が自分の心に集中するようになってから、夫はだんだん姑の影響を受けなくなっていきました。私が自分に集中する前は、私側のお葬式や結婚式に対して何かとケチをつけていた夫ですが、父の訃報を受けてからずっと親身になってくれていました。「またかよ!」とイライラすることなく、ずっと穏やかな気持ちのまま父の葬儀を済ませることができたので、夫にはただただありがたく感じています。


「他人は変えられない。変えられるのは自分だけ」


よく聞く言葉です。


私は「そんなことよく聞くから知ってるし、ずっと自分を変えようとしてる!」


そう思ってきました。でも、現実は1ミリも変わらない。苦しいまま。


「なんで⁉」

「何が足りないの⁉」


ずっとそう思って怒りや無力感などを味わってきましたが、結局のところ


「夫がこうしてくれれば・・・」

「姑がこうだったら・・・」


の域から出ていませんでした。


父親を亡くすという非常時に、

「自分を変えてこれて良かった」

「夫を変えようとしなくなったら夫が変わった」

と実感できました。


日常生活の中で、ひと目を気にして他人を優先するのではなく、自分で自分の心を大切にできると、他人の心も大切にできるようになります。以前の私のように頭を抱えている方は、

「どっちの足から靴を履く?」

そんな些細なところから、自分の感じ方に目を向けてみてほしいです。小さな日常の積み重ねが、非常時にでも実感できるほどの心の器に成長していると思います。