姑は、姑の頭の中にあるものだけが「世界」の全てです。15年以上観察することで、それがわかりました。


私は常に携帯電話を身に着けているわけではありません。なので、電話が掛かってきても気付かないことがあります。姑は、携帯電話で自分が連絡を取りたい瞬間のみ携帯電話を気にします。なので常に置きっ放しで、出掛ける際にも置いていくことがよくあります。


ある時キレた姑が、「嫌いなの⁉」と私を怒鳴りつけました。私に電話しても出ないとキレていたのです。私には私の都合があり、姑の都合に合わせて生きているわけではありません。私が電話しても携帯電話を携帯していない姑は出ないので、私は掛けることをやめました。後で着信履歴を見ると、8回も連続して掛けており、そのうち3回も留守番電話に録音していました。ストーカーでしょうか。


庭で会った時に怒鳴られたので、最も気になるご近所さんに今までその姿を見られている旨を伝えました。姑は考えてもみなかったようで、初めて知った様子。驚いてますますキレた姑は、「だから自分の方が正しいと思ってるの⁉」などいろいろ怒鳴っていましたが、口から出たのは


(どちらが)正しいか正しくないか

(どちらが)上か下か

(どちらが)間違ってるか間違ってないか

(どちらが)常識があるかないか


これだけでした。

それぞれの2択で世界を見ていたら苦しいだろうなと思います。


姑の場合、

自分が正しくないと否定されたと感じる

自分が上でないと悔しい

自分が間違ってるなんてありえない

自分が常識人でなければ間違ってる人間ということ


自分で自分を否定しないように、他人を否定することで自分を上に持ち上げています。このような考え方で80年以上生きてきて、まだこの苦しみを続けるつもりのようです。


姑は、アサリやホタテのような二枚貝に閉じこもっているような生活です。舅が他界してから外界とは極力接触しないようにしてご近所付き合いを断ち、ご近所さんに嫌がられて付き合いができなくなった人や、同じようにひと目を気にして引きこもりがちの人と親交しています。そういう人からのみの情報なのでますます偏りがちで、そういう人も姑のような考え方をしているようなので気が合ったのでしょう。しかも、相手の自分勝手ぶりに嫌気がさして付き添いを断ったりしています。それでも自分をかえりみるきっかけにしないのですから、筋金入りです。


姑にとって、貝の隙間を開けて「見たい」ポイントのみ見るのが、世界の全てです。なので、自分の価値観に沿うポイントのみを見て「やっぱり自分の考えで正しい」と確信するという繰り返しです。


ストーカーのような電話に気づかなくて良かったと思います。気持ちわるいですから。改めて、反面教師として自分をかえりみようと、つくづく感じる出来事でした。