姑は「ありがとう」を多用します。でも、ずっと言われるたびにモヤっとして「何それ」としか思えませんでした。


私が妊娠中、姑は私に庭の草取りをしなくていいと言ってくれました。でも、真夏の暑さの中でも姑は相変わらず草取りをしています。買い物から戻った私は、横を素通りして玄関に入ることはできず、「ありがとうございます」と声を掛けました。


とたんに姑はキレて、その場で怒鳴り散らしました。「ありがとう」でキレる人を見たのは初めてです。わけがわからず怒鳴り続ける姑を見ていましたが、よくよく何を言っているのか聞いてみると「自分の家を自分できれいにして何が悪い(だからありがとうと言われる筋合いはない)」ということでした。


「女の人が結婚して家を出たらもうよその人だから、そうそう実家に行くもんじゃない」という考えの姑は、ずっと「どこにも行くとこがないからここに置いてほしいんやろー!」と私に怒鳴り続けてきました。「ありがとう」とは庭木の剪定に来てくれる庭師さんに対して言うことで、私に雇われているわけでもないのに、自分の家を自分できれいにしているだけだから「ありがとう」と言われる筋合いはないとのこと。


家族に対して「どこにも行くところが〜」とは怒鳴りつけません。つまり私は、家族として認識されていないということです。「置いてやってる」私に、この家の主人面されたことが気に入らなかったと解釈されます。


お金を払うような相手にしかお礼を言わないの? 


お金を払う人間は自分より下ということ?


常に上下関係があり、上の人間が下の人間に向ける言葉が「ありがとう」?


金銭のやり取りを介して自分に価値をもたらす人間だけが感謝の対象?


姑の考え方や価値観すべてに「?」が浮かびます。

姑は言い足りなかったようで、しばらくして離れへ来てまた延々怒鳴りつけ、さらに内戦電話を掛けてきて怒鳴り続け、そのあと私の携帯電話へメールも送り、留守番電話にも録音しました。相当気に入らなかったようです。


以来、その姑に「ありがとう」と言われると引っ掛かりを感じてモヤモヤしていました。「姑は立場が上だー!」と怒鳴り続けてきましたから、下だと思っている私だから「ありがとう」と言えるのです。感謝の言葉にありがたみを感じない唯一の人が姑です。


姑の話はよくわかりません。姑の頭の中にある情報と全く同じものがなければ理解できない話し方をするのです。


ある朝、姑が離れに来て子供と話していました。母屋へ戻る際に、私にありがとうと言いました。こういうことがよくあります。姑と話していた子供に聞いても、子供もありがとうの意味がわからないと言います。何の脈絡もないのです。またモヤモヤし始めましたが、ここで気付きました。


姑の「ありがとう」は「おはよう」の同義語なんだと。ありがとうを何か良い言葉として使っているに過ぎない。いつも姑の話はわかりません。姑の頭の中にあるものと同じものは、私の中にはありません。姑は私と同じ日本語を使っているようで、実は違います。姑にしかわからないのですから。息子がわかりにくい話にイライラしていても「相手に伝わるような話し方」に変えるつもりはありません。私にも子供にも夫にも理解できない話し方をし続けています。


親子でも100%一致して理解できることはありません。姑は別個の人間で、使っている言語も似ているだけで別物です。


ありがとうは挨拶の言葉。


やっと「ありがとう」に対するモヤモヤが晴れました。近付き過ぎると見えなくなります。私が他人の家の話として聞いていたら、すぐにわかったことです。俯瞰してみる大切さを改めて感じました。私の心にフォーカスすると、家族として受け入れてほしいと思ってるんだな、と改めて感じます。


姑を数秘術で鑑定してみると、「お世話したがり」だということがわかりました。これは生まれ持った素質なので、自分より他人のことを常に気に掛けて何かしたいのは特性です。姑がgiveしたいものと、こちらが受け取りたいものが違うだけ。他人どうし完全に一致することは難しいですから、何かしたいと思っている、その気持ちだけ受け取っておこうと思います。