俯瞰して見られるようになって気付いたことが、いろいろあります。今日もそのひとつ。
友人の発言についてです。
毎日朝晩姑に怒鳴り込まれていた頃、特に上の子が園児だった頃は、誰かに会うと「また姑に怒鳴りつけられた。しんどい・・・」としか話す内容がありませんでした。誰にも打ち明けられないと考えていたので、その頃は誰に会ってもほぼ挨拶だけでした。ママ友どうし集まって話している人達を見ても、「何をそんなに話すことがあるんだろう」と思うだけ。口をついたら出てくるのが姑に怒鳴られるという話題しかない私は、輪の中に入って行く気にもなれず、外から眺めるのが精一杯でした。
スクールカウンセラーに毎週(あるいは隔週)吐き出させてもらうことで、半年以上掛けてなんとか自分自身を取り戻してから、やっと挨拶以外の話ができるようになってきました。それでやっと、姑に怒鳴られること以外の話題が自分の口から出るようになりました。そんな自分に驚いたものです。
毎日怒鳴り込まれていた頃のつらい話をできる人が、少しずつ増えていきました。姑が私をコントロールしようとするのは相変わらずでしたが、生きるか死ぬかというギリギリの毎日を送っていた頃より自分の心が軽くなり、重過ぎて話せなかったことも打ち明けられるようになったのです。私がひと付き合いをするのにこの嫁姑関係は外せない話題で、それを受け入れてもらえる人と(だけ)だんだん繋がっていくようになりました。
私が家庭の現状を話すと、ある友人はとても心配してくれました。同じように嫁姑問題という悩みを持っていたのです。その友人は核家族として暮らしていましたが、よく掛かってくるお姑さんからの電話や、年に何度かの帰省で直接顔を合わせるのにつらさを感じていました。
私は(敷地内)同居です。友人は、子供の為にも別居しなきゃと言います。夫に別居するつもりは全くありません。そう伝えると、子供の為に離婚してでもその場を離れるべきだと言います。もちろん、私の生活環境も配慮しての発言です。思いやってのことだというのはわかるのですが、言葉が刃となって刺さりました。しばらく、会うたび心配して別居や離婚を口にするので、それが負担に感じる日もあったくらいです。
その頃は、その友人の言葉がなぜ刃になるのかわかりませんでした。でも自分の心にフォーカスしていって、やっとわかるようになりました。
私は家族になる為に引っ越してきました。姑も夫も義妹も排除するつもりはありません。だからこそ悩んできたのですが、友人は、私が大切にしたい「家族」を自分の手で壊せと言っているのです。そして、それができない私を否定しているように感じていました。
自分のことを思ってくれる人を無碍にはできません。だからこそ、刃となって刺さっていたのです。これも、友人関係を俯瞰してみないとわからないことでした。やはり一歩引いてみるのは大切です。
他人を変えることはできない。
変えられるのは自分だけ。
よく聞く言葉です。
自分の心に耳を傾けて毎日を暮らすようにしても、すぐに目の前の現実は変わりません。それが徐々に、自分のやりたいことをやってみると、他の人もやりたいことをやっているだけだと受け入れられるようになって、目の前の現実が変わってきたと感じられるようになってきました。
ただ「ひどいことを言う人」としか思えない精神状態だったら、家族や友人を失うだけだったことでしょう。大変な時はなかなか近付き過ぎていることに気付けませんが、自分や相手の持ち味を知ることができる数秘術などの力も借りて、日々のアップダウンを楽しみながら暮らしていこうと思います。
