今回も、俯瞰できるようになって気付いたことを綴ります。


・怒鳴りつける→こうある「べき」を強制する

・自分は「正しい」「常識がある」「(姑と違う考え方は)間違ってるから正してやる」→自分基準しか有り得ない

・見栄を張る→気を遣っているつもり(このくらいして当たり前)


上記は、

姑の言動や行動→姑の意識や思考

です。


姑の私に対する表現の仕方は最悪です。今までブログに綴ってきたような話をして、姑に対して好意的な発言をする人はいませんでした。終戦の3年前に生まれた姑世代の近所のお年寄りにも、「私も嫁姑関係では酷い目に遭ったけど、あんたも相当酷い目に遭ってるね」と言われたりします。


でも、気付いてしまいました。私は姑ほどあからさまに態度に出していないだけで、→の右側は同じだと。。。


私は(今思えば)かなり画一的な考え方で、他人に気を遣っているようで「こうすべきでしょ。なんでやらないの」と、むしろ「私は気を遣ってそうしてるんだから、あなたも私に同等の返しをすべきでしょ」と思っていました。


「自分縛り=他人監視」というかなり嫌な奴です。

気を遣っているつもりなので、悪気はありません。これも姑です。私は姑と出方が違うだけで、同じ穴のムジナでした。


私は自殺を試みるほど姑のその押し付けに悩んできましたが、私はずっと自分が嫌いでした。これは目の前に表れたカラクリです。


「相手は自分の鏡」・・・ほんと、その通りでした。


「腑に落ちた」という内蔵感覚での大きな気付きでした。気づいたら、今から向き合っていけばいい。


「生きている限り、遅過ぎるということはない。スタートラインはいつでも引き直せる」


ある人がよく言っていた言葉です。姑も私もまだ生きています。ずっと「家族」を始めるに至っていないと思ってきました。何年たっても、スタートラインが来ない。


ここまでしないと気づかないくらい、私は「べき」でガチガチに固まっていたようです。些細なことでも自分の心の声に耳を傾けて「自分は今どうしたい?」を繰り返してきて良かったです。思考ではなく心にフォーカスすることで、世界は変わっていきます。


友人にも「雰囲気が変わった」「話しやすくなった」と言われるようになりました。私は写真が嫌いなのでほぼ自分の写っているものはありませんが、きっと10年前と比べてみたら表情も違っているかもしれません。


自分の強烈な「べき」が引き寄せたものは、絵に描いたように同等な強烈さだっただけなのだと、やっとわかりました。


 



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