上の中学生はただいま思春期真っ只中で、自我の出し方を全身全霊で模索中です。私も通ってきた道なので、「だよね~。30年くらい前にそれやってきたわ~。受けとめてくれたお母さん、ありがとう」と我が子を見て感じます。


でも、これを姑は受けとめられません。上の子の模索してる姿を見ていられずに、姑の思い描く範疇に孫を押し込めようとするのです。ずっと息子を押し込めようとしてきて、息子が苦しんでいるのは私のせいと言ってきた姑です。


私の観察では、姑はホタテやアサリなどの二枚貝の中にいて、うっすら隙間を開けて外の世界を見ているだけです。その隙間から見える範囲が世界の全てなので、自分の世界観と合う所だけ隙間から見て「ほらね、思った通り。やっぱり自分は正しい」と確認しているようです。


「孫がおかしい、それは私のせいだ」と思っている姑は、ある日、上の子が思春期大爆発のときに電話を掛けてきていたようです。私は常に携帯電話を手に持っているわけではなく、音を消していることもあり(寝ている間は必ず消音です)、気付いていませんでした。外に出たら「何で電話に出ないんだ」と姑がキレて怒鳴ったことで知りました。後々着信履歴を確認したら、8件もありました(ストーカーか💧)。


キレた姑から出てきた言葉は、

「上か下か」

「勝ちか負けか」

「正しいか間違ってるか」

だけでした。


これが、私が引っ越してきて以来15年以上続いています。


81歳になる姑は、世界をこの3つのフィルターを通して見ているのです。これは苦しいです。


自分が上でないと苦しいので、周りの人には自分より下でいてもわらわなければなりません。


自分が常に勝っていないと安心できないので、周りの人には負け続けていてもらわなければなりません。


自分が正しいというのがアイデンティティである為には、周りの人の方が間違っていないといけないのです。


誰かより下で踏みつけに遭いたい人、負けだと指摘されたい人、間違っていると糾弾されたい人なんて、なかなかいません。姑はそれを他人に求めているので拒否されて苦しいのですが、80年以上気付いていません。どちらが上か下か、どちらが勝ってるか負けてるか、正しいか間違ってるかのシーソーからは、早く下りたらもっと楽なのに・・・と思います。


もしかしたら、このシーソーに乗っているのが姑の幸せなのかもしれません。ギッコンバッタン、変化を楽しんでいるのかな(私にとっては公害ですけど)


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