夫が「もうすぐ結婚記念日だな。29回目か。」

と普通に言った。

「そうね!」と言いつつ、内心、複雑…。

この人は相変わらず、何も気づいてはいない。


たぶん、彼に出会わなければ、平凡な夫婦でいただろう。表面上は今もそうだけど。

結婚して子どもを産んだら、恋愛はしないものと思ってきたし、仕事でたくさんの男性と関わっても、異性に対するアンテナはしまって生きてきた。

夫を家族として、唯一のパートナーとして一生を終えることができたんじゃないかと思う。

彼と再会して付き合ってからも、夫に対する態度は何ら変えていないし、関係も変わらない。

ただ、夫婦の仲を良好に保つにあたって必要なことが何となくわかった気がする。


まず第一に、私が夫とすれ違ったのは人間性と精神性のズレ。

付き合っていた頃や結婚したばかりの頃だって、根本は同じだったはずだけど、私も幼かったし、恋は盲目だからその片鱗が見えても見えないフリをしてたのだと思う。子どもがいなくて、2人だけなら、夫の人としてのバランスの悪さや未熟さを受けとめる余力もあっただろうし。

けれど人生経験を重ね自分なりに成長した分、どうしてもこのズレが相容れない。そのことに気づいてしまってから、夫の根本的な人としての部分を見ないようにしてやり過ごしてきた。

幸い、自分のことが最優先の夫は、子どもや私と過ごすより、ひとりでやりたいことをする人だったから、生活もかぶらない。子どもが大きくなった今、家族がそろうのは食事だけ。

いつしか、心も生活も、夫とは別々の日々。

かと言って、喧嘩するわけでもないので、側から見たら問題のない夫婦だと思う。

去年、彼と再会して付き合いはじめてから、私はもうひとつ、気づいたことがある。

もしかしたら、私たち夫婦もそこが出来ていたらもう少し関係が変わっていたかもしれないな。


彼とは離れているから、交際のほとんどはLINEと電話だけ。数ヶ月に一回、デートはするけれど。

彼はいつも言う。

「離れているからね、気持ちをちゃんと言葉にしたい。すれ違うのは嫌だから。」

50代半ばのカップルが毎日のLINEで愛情を送り合う。初めは恥ずかしくて、ハートの絵文字さえ、送り返せなかったけど、最近は随分と慣らされたと思う😅。

でも、好きな人から好きと言われたら、ちゃんと返したいと思うようになった。

彼からのストレートな言葉で心がぎゅーっと熱くなることを知って、同じ幸せを彼にも感じてほしいと思うようになった。

言葉にすることの大切さ。求められることの実感。

大袈裟かもしれないけれど、生きている意味がわかった気がしている。

それくらい、離れていても彼との毎日のやり取りで愛情を感じてる。


海外のご夫婦を見ていると、年老いてずっと仲睦まじい様子のご夫婦が多いなと思う。

それに比べて、日本人は子どもが産まれると男と女ではなくなってしまうというか、ただの家族という関係になり、気がつけば心がすっかり離れてしまうカップルも多いと思う。

私も多分にそうだった。そもそもの発端は人間性のズレではあったけど、もしも、それでも…。

お互いに愛の言葉を伝え続けて、互いを求め合って暮らしていたならば、こうはならなかったかもしれないな。

その努力をしなかったことは、私の反省すべきことだと彼に出会って気がついた。ずっと夫のせいにしてきたけれど、歩みよることを私はしなかった。


久しぶりに夫と二人でお寺で行われた音楽ライブに行ってみた。次の週には彼とのデートを控えて。

仏様の前の、仏堂に座って歌を聴きながら、それでも仏様は私を罰しないのではないかと感じた。

だって、心は仏様にも縛れないのではないか?

人を好きになることは倫理観や常識、戸籍で縛れるものではない。

50代半ばの私は人生を考えた時、正直に彼への気持ちを大事にしたいと感じている。

もしも明日、人生が終わるなら?

何をしたいかと問いただしたら、間違いなく彼に会いに行くはずだから。

人生は深い。自分の全く想定外の方向へ進んでいくものだな。