50歳で管理職になったコロナ禍の一年目、必死に頑張って、結果、突発性難聴で入院したのが4年前のことでした。ブログを始めたきっかけです。
年齢的に少しずつ体力が落ちて、これまでみたいな無茶な頑張りはできなくなったと思い知った。
それから少しずつ、自分と向き合って管理職の責任や更年期の体調維持とか、年齢的にあとどのくらい自分のやりたいことができるのかとか…。自分の新しい毎日と向き合ってきました。
旅に出てみたり、映画を年50本見てみたり、ヨガに行ってみたり。そうこうしているうちに一年半前に仕事の異動があり、これまた新しいチャレンジを強いられ、ようやく乗り切ったと感じた昨年の秋。
気づけば54歳になり、50代も折り返し地点になっていました。
そんな時、自分で全く想定していなかった事態に見舞われました。
ずっと子育てと仕事を無事やり切ること、そして旅行に行くことしか考えずに生きてきたのに…。
なぜこんなことになったのか。
自分でもわからないままに、大きな力に振り回されるみたいにいきなり恋に落ちて、考える間もなくどんどん事態が動いて、気がついたらほんの1か月半でお付き合いが始まりました。
世間的には許されない恋です。
ネットをググれば似たような話が山のようにあり、批判しかない。どんなに純粋な気持ちだと言ってみても外から見ればただの不倫でしかない。
だから墓場までもっていく覚悟を決めて、飛び込んだ今の関係。
だけど、心は本来、自由なものなのではないのでしょうか?いくら法が私を縛っていても、私の心がどう感じるかは縛れないのでは?
私が恋に落ちたのは、私だけが悪いのか?
仮に夫が同じように恋に落ちたら、私は夫にそう思わせたのは私のせいだと思う。
当然、その心のままに付き合うという行動に出たことは法に反することなのだとわかってる。
けれど、私の人生は私のものだし、私の心は私のもの。
ただ、自分の家族も相手の家族も傷つけたくはない。これは私の我儘だから。
一方で50代、人生も折り返しを過ぎて、自分の気持ちに嘘をついて生きるのは違うとも感じてる。
だから私たちはお互いの家族は大切にするという前提で、自分たちの気持ちに嘘をつかないことを選んだ。そこは互いの価値観が一致していたから。
そんな、世間的にはずるいと言われるだろう、私の気持ちを、正直に残しておきたいと思っています。
風の時代になるのだそう。
何かに所属するとか、何かを所有するとかという概念が薄れていくと言われています。
新しいパートナーシップを考え、新しい自分を見つめてみたい。
これまでのブログとだいぶ内容が変わりますし、倫理的に許せないと思う方は読むのを控えてください。いつ終わるかもしれない50代の恋の個人的な記録として書くものなので、批判する方からの閲覧はご遠慮いただきたいのです。
