ゴールデンウィーク前半の来週、埼玉に住む大学時代の友人に会いに行くことにしました。

卒業して早30年。

53才になった今、振り返るとあっと言う間だったなと思います。


子どもの頃に、浦島太郎の「竜宮城で過ごしたほんの数日が実は何十年もの長い時間で、玉手箱を開けそれに気づく」なんてことは、竜宮城マジック以外のなにものでもないと思っていたけれど、今となると、あれは人間の時間に対する体感を見事に物語に仕立てたお話だったと感じます。


埼玉に住んで東京の大学に通った4年間。

生まれ育った新潟を離れて、一人暮らしをして、全国各地から集まったたくさんの友人たちに出会った時間はまさに人生が大きく開けていった、そんなタイミングでした。

新潟の小さな片田舎で、周りに住む人たちが皆わかるような小さな世界で育ち、なんとなく「都会は怖い」と感じていた小心者の私。

大学という、それまで過ごした中学や高校とは全く違う、自由で縛られない場所で日本全国から集まった多くの友人たちといろんな形で出会い、仲良くなることで、外の世界への恐れや偏見、思い込みをちょっとずつ取り除き、生きる楽しさを知って、自分なりに新しい世界に飛び出した四年間。

こんなに長い時間がたっても、あの頃のおそるおそる小さな扉を開いていった時の気持ちや、楽しくて楽しくて友人たちと笑いころげたいくつもの瞬間のキラキラした気持ち、地元への就職を決め、卒業してそれぞれの道に旅立つ時の、あのなんとも言えない気持ちが鮮烈に思い出されます。


新潟と関東なんて日帰りできる距離だし、卒業してもすぐにまた会えると信じていた。

「絶対にまた会おうね!」と固い約束をかわして別れた友人たちとは、お互い就職して結婚して子どもを産んで…。

学生時代とは明らかに変わってしまった時間の流れがお互いを遠ざけ、毎日の暮らしに追われて、いつしか疎遠になった、多くの友人たち。


そんな大学時代の友人の一人が、亡くなった母と同じ難病であると知ったのは、今年のお正月。


年賀状終いを決めて、最後の年賀状にLINEのQRコードを入れて送ったところ、連絡を取り合うことに。

当時はスマホも携帯もなくて、あの頃の友人たちとは年賀状だけの付き合いになっていたけれど、仲の良かった友人たちは連絡をくれて、令和のコミュニケーションがようやく取れるようになりました。


お互いに家庭や仕事を調整し、ようやく再会の約束が整ったのは昨日のこと。

LINEだけでは彼女の現在の病状の詳しいところはわからず、決して晴れやかな気持ちだけで会いに行くことは難しいけど、たとえそれが玉手箱を開けることになってしまったとしても、私は約束を果たさないといけない気がしています。

そして、久しぶりに大学時代を思い出して、なんだかキラキラしたものが心に芽生えてくる、不思議な気持ちでいます。

若い頃は50代の自分なんて想像もしなかったし、年齢を重ねることはマイナスなものでしかないと思っていたけれど、意外と人間は変わらないものだとわかったし、いくつになっても楽しむことはできる。


30年って長くて短い。

あの頃の気持ちは昨日のことのように覚えているのに、Googleマップで自分の住んでいた街の地図を見てみると、記憶はやはりおぼろげです。

せっかくなので、昔住んでいた場所や大学にも行ってみようと思っていて、もはや友人との再会だけでなく、大学生だった過去の自分と50代になった自分の再会ではないかと、不思議な気分に心を揺らしています。