12月17日、新潟市で開催されたウクライナ国立フィルハーモニー交響楽団の演奏会に行ってきました。


ウクライナフィルは、スラブ最高峰の楽団と言われているそうですが、私は今回が初めて。

きっかけは、演目のドボルザークの新世界と、ベートーヴェンの第九。たまたま新聞広告を見て、年末だし、これは聴いてみたいなと思っただけの単純な理由。


公演の一週間前、私は仕事でホノルルに行っていました。

長岡市は太平洋戦争開戦の契機となった真珠湾攻撃を指揮した山本五十六元帥の出身地。

ちょうど真珠湾攻撃のあったその日に、奇しくもホノルルを訪れることに。

現地では78年が経つ今も

「remember pearl harbor」

として、この日に追悼式典が行われています。

一方で長岡市は終戦直前に、模擬原子爆弾が投下され、その数日後には大規模な空襲を受け、わかっているだけでも1488人もの尊い命が失われた街。

かつては敵同士であったホノルルと長岡が、不幸な過去を乗り越えて、今は姉妹都市として互いに平和を願いあう関係に。

コロナ禍で往来が難しかった4年の間に、ウクライナ侵攻やイスラエルとハマスの紛争など、平和が保たれていることは決して当たり前ではないと改めて思わされるようなことが多く起こりました。

それを思えば、日本人の私が、真珠湾攻撃のあったその日にホノルルを訪れることが出来たことは、ある意味、奇跡であり、平和の恩恵なのでしょう。

仕事でお会いしたホノルルの方々は皆温かく、私たちを迎えてくれました。


そんな経験のあとに訪れた、ウクライナフィルの今回の公演。

一曲目のドボルザークが始まるやいなや、その静謐で繊細な音に心を奪われました。

もっと力強いタイプの演奏か?と勝手に思い描いていたので、かえって気持ちを持っていかれた気がします。

「交響曲第九番新世界」はドボルザークがアメリカにわたり、その新しい世界から故郷ボヘミアへ向けた曲だとか。皆が一度は耳にしたことのある旋律と、自分が今年一年思いもかけない場所に立たされ、そこで見ることになった新しい景色を重ねて感慨深く聴かせていただきました。


2曲目は言わずもがな、ベートーヴェンの第九。

演者がウクライナフィルということを深く考えないままに足を運んだ公演だったけれど、彼らの来日はなんと4年ぶり。

それまで各年で来日していたのに、コロナ禍とウクライナ情勢を受けてようやくの来日公演。

これまで彼らはどのような気持ちで演奏を続けてきたのでしょうか。

コロナ禍が始まった頃、「音楽は不要不急のもの」と言われる風潮が世界中であったけれど、ましてや戦争となれば、どれほど演奏を続けるのに困難があったことか。それでもウクライナの国民は彼らの演奏を求めていたとのことで、ネットには停電した劇場で演奏している動画などもアップされています。

今回の公演には、指揮者のミコラ・ジャジョーラさんの「武器はいらない。楽器があるから。」

という言葉も紹介されています。

1980年代にロシアで音楽監督をとつめた彼は、今の情勢をどのように思い、受けとめているのか。

それでも、彼らの静謐で繊細な、だからこそ強い信念をうかがわせるような演奏を聴きながら、人を動かすのは武力ではいけない。心を動かす美しい何かでなければと強く感じた次第です。


ベートーヴェンの第九、もちろん一番の聴かせどころは、合唱との共演による「歓喜の歌」。

「抱き合え、数百万の人々よ」「すべての人々は兄弟となる」とウクライナフィルと共に歌い上げた現地日本の合唱団の歌声はまさに歓喜に満ちたものでした。


アンコールで指揮者がウクライナの国旗を掲げながら、合唱団が歌い上げた「ウクライナの祈り」は観客が思わず涙ぐむような、祈りに満ちた音楽でした。

日本で育った私にはおそらく理解することの及ばない、ウクライナのこれまでの歴史と今の情勢ではあるけれど美しい音楽は間違いなく心に届いたし、新しく訪れる年がウクライナや、イスラエル、ガザ、そして今なお様々な苦しみに苛まれているすべての人たちにとって、明るく希望に満ちたものになってほしいと願います。


誰もが美しいものを美しいと

笑いあえる世界に。




ウクライナフィルの演奏ではありませんが、ドイツのバンベルク交響楽団が2022年のロシアのウクライナ侵攻直後に公開した、「ウクライナへの祈り」オーケストラバージョンを。

楽団は20カ国からもの楽団員で構成され、ロシアとウクライナ出身の演奏家も含まれるとのことで、動画に寄せられた指揮者のメッセージが心を打ちます。