今週末は何の予定もない週末。

何をするかと考えた結果、これまた半分は仕事のお付き合いのようですが、昨日はクラシック音楽講座を聞きに行ってきました。


帰りに見た空。トロイメライの似合う夕刻。


地元の音楽ホールのラウンジで、そこの理事長さんが熱く語るクラシック音楽の世界。

春から10回シリーズで行われていて、好評につき特別にチェロとピアノの生演奏付きで総集編をすると言うので、参加してきました。

想像を超えて有意義な時間を過ごせたので、今回はその感想などを。


この頃、疲れてるとクラシック音楽が聴きたくなります。

子育てに追われていた頃は、なかなかコンサートに足を運ぶ余裕がなかったけれど、今の部署になって仕事柄、クラシック音楽を聴く機会が増えました。

久しぶりに聴くクラッシックは、不思議と癒されるんですよ…。


情報社会に生きる私たち。

スマホを持つようになり、コロナ禍で更に拍車がかかり、気がつけば「情報おばけ」のような生活を送っている…。

朝起きてから、夜寝るまで、常に言語化された情報を浴びるように脳に詰め込んでいる。


勤務時間外だろうが休日だろうが、スマホには

LINEや連絡ツールで職場から連絡が入る。

テレビや新聞で気になるニュースがあれば、すぐにスマホやパソコンで検索して関連情報を探す。

仕事中も私生活でも気になることや、わからないことがあれば、すぐに検索…。

だらだらとテレビを見ている時でさえ、スマホをチェックしたり、テレビ番組が面白くなければAmazonプライムだとか、YouTubeだとかを検索する…。

検索、検索、また検索…。

気づいた時に何でもすぐ調べられて、なんて便利な世の中になったのだろうとは思うけど、

脳は常に言語化された情報を入れ続け、疲労困憊してるのかも。


クラシック音楽はその点、多くが言葉を介在しない、純粋な音と旋律の世界。

特に生演奏で聴くそれは、研ぎ澄まされた音が振動とともに身体に直接伝わって、なんだか癒されるんですよね。

宮澤賢治のセロ弾きのゴーシュでも、動物たちがチェロの振動が身体の不調を癒すなんて言っていたっけ…。


講座で紹介された曲は知らない曲も多くて、それはそれで良いものだけれど、知っているメロディというのは安心して旋律に身を委ねる心地良さがありました。

今回はシューマンのトロイメライがそうでした。

昨日は新潟の冬にしてはめずらしく、日が差して

いて、夕刻だったのでブラインドの隙間から金色の光が差し込んできてとても美しかった。

そこで、トロイメライの優しく叙情的で甘く心をしめつける旋律を聴くのは、本当にうっとりとしてしまい、懐かしい思い出までが蘇ってきた。

子どもの頃に、母親からシューマンのトロイメライの話を聞いたことがあったなと。


昭和11年生まれで戦後の貧しさを知っている世代の母は、村長さんの娘で、当時としては珍しく高校まで行かせてもらった。

お嫁に行くまではお勤めもせず、家で花嫁修行をしていたそうで農村にしてはオシャレさんだったのでしょう。ラジオでクラシック音楽を聴いていたようで、シューマンとかフォスターに夢中になった話をまだ小学生だった私に聞かせてくれたことを思い出しました。

その後、農家に嫁いで慣れない田んぼ仕事をしなくてはならなかった母の、宝石のような青春の思い出だったのかもしれません。


講座の冒頭で、「セイロキスの歌碑」という曲が演奏されました。

なんでも古代ギリシャの墓碑に残された、世界最古の旋律として残された曲なのだそうです。

その墓碑には言葉も残されていたそうでご紹介がありました。

ゆったりと音楽を聴きながら、ああそうよねと大きく頷いた午後でした。最後にその墓碑に残された言葉を。


命あるうちは輝いてください
けっして思い煩わないでください
人生はほんのつかの間
時はいつも命の期日を求めています