2月17日(水) 今日は在宅勤務
朝から雪だったので在宅勤務で助かりました😅。私が在宅の日は大雪になる確率高めです。
ただ、気温が下がったせいか、首から背中までガチガチに凝って辛かった。コタツに入ってパソコン打ってたんですけどね〜。
以前、コメントで突発性難聴は適度な有酸素運動と水分摂取を心がけると良いとアドバイスいただきましたが、間違いなく私は血流が悪い。治療効果が上がらないのはだからかなぁ。主治医も冬は発症率が高いって言ってたな。
さて、先日、テレビドラマ「朝顔」(今期のドラマでは一番好き)を見ていたら、ついにお父さんがアルツハイマー型認知症だと判明して、亡くなった父を思い出してしまいました。
うちの父は72歳まで仕事をしてましたが、仕事を辞めたとたんに認知症が判明。
環境が変わると良くないとか、母の入院が心労になったのでは?とか色々と考えたけれど、原因なんてわからない。
認知症の症状は人によって様々だと言われるけれど、父の場合はまず人の顔が見分けられなくなった。短期記憶は意外にしっかりしていて、ご飯を食べたのを忘れるとか、徘徊するとか、問題行動はあまりなかったな。
今思うと、徘徊などは認知症の直接的な症状ではなく、本人の不安感などから引き起こされる周辺症状と言われるものだそうで、亡くなる半年ほど前まで自宅で過ごせた父は、ずいぶんと幸せだったのだと思う。
進行を遅らせる服薬もしていたので、最初の5年くらいはゆっくりと進行していた。
一緒に暮らす家族の顔はわかっていたし、嫁に出た私と姉の区別は段々と難しくなっていったようだけど、小さな子供を連れているのが私と認識していたようで息子たちのことはかなりまで可愛いがってくれた。
「俺は忘れてしまうから、お前たちの名前と誕生日を書いておくんだ」と、孫たちから聞きとってノートに書いては眺めていたっけ。
そんなだったから、当然、母が父の介護をすることになるのだろうと皆が思っていたのに、まさかの母が難病を発症して5年ほどで寝たきりになった。それまでゆっくりと進行していた父の認知症も母に合わせるかのように、脳出血をきっかけにどんどん進んだ。
末っ子でずいぶん可愛がってもらった私は、父が私のことをわからなくなっていくことがとても切なかったけれど。
結局、何度か脳出血を繰り返して身体も弱り、最後は嚥下が出来なくなって、胃ろうはせずに看取り。発症して10年が経っていた。
英語では認知症のことをロング・グッドバイと言うそうだけど、確かに長い時間をかけた静かなお別れだった。
父は認知症になったことで、母が病気で弱っていく悲しさや、母の死を認知しないで済んだのではないかと思うし、いつも家族や人のために働いていた母は病気になった事で最後はたくさんの人からお世話をしてもらった。病気にならなければ父の介護も母がして、最後まで誰かのために働く人生だっただろう。
じゃあ、二人とも病気になって良かったとは思わないけれど、人生とは不思議なものだと思う。
何が良くて、悪いのか、物事が起こる理由があるのか。考えても仕方ないことだけれど、そうでも思わなければうけとめられないことが人生には起こることがある。
(本日の課長補佐)
いくら寒くても、お尻が熱くないのでしょうか😅
