2月11日(木・祝) 今日はお休み😆
発症してこの週末で1か月になる。
相変わらず、右耳の状況は自覚としては変わらず。少し耳閉感が柔らかいできたか?と思うこともあれば、昨日は会議で複数人で話しをしていると、こりゃダメだな。と思うこともあり。
一人で静かな場所にいると、多少の耳鳴り程度しか気にならないんですけどね😅。
1か月で聴力、症状固定と書いてあるネット情報も結構あって、そろそろ治らない覚悟も必要か?と弱気になることも…。
あ、顔中に出た発疹は退院2週間にしてようやく落ち着いてきました。やはり時期や、副作用を調べるとステロイド剤の影響かな。肝心の治療効果がイマイチなのにね〜。
さて、働くお母さんである私、今日は「仕事と子育ての両立」を振り返ります!
私のこれまでの人生で、最も困難だったもの。人生の大きな乗り越えるべき課題であり、その分、得るものも大きかったもの。
うちには20歳と14歳の息子が2人おりますが、今日は長男の方のお話😅。
振り返ると子どもにはそれぞれ役割がある。
初めての子供だった長男は、私にとって戦友かな。お互いぶつかることも多かったけど、長男が支えてくれたことも多かった。
一年間の育休を終えて職場に復帰した時、とにかく前と同じように働かなくてはいけないと思っていた。
20年前(ホントについこの間な気がするけど)は今と子育てに関する考え方も違っていたし、制度も今ほど整ってはいなかった。
いざ保育園に預けて復帰してみると、まぁ病気するわ、するわ。週イチで熱を出してたわね。
私の実家は車で1時間くらいのところだったけど、両親は兄夫婦と同居していて、義姉が看護師で夜勤もあったから、兄夫婦の子供たちを見ている母に来てもらうことはできない。
夫は銀行員で休みは取れないというか、取らない人。この20年で子供のために休みをとったのは半日だけというようなカタブツ。
実質的に私が頼れて、一番力になってくれたのは車で1時間のところに住む姑だったけれど、復帰した頃はまだパートに出ていたので、そんなに仕事を休ませて来てもらう訳にはいかなかった。
私、子育てで2回、仕事を辞めようかと弱音を吐いたことがありますが、1回目は長男の育休明け半年頃。
長男は喘息の傾向もあり(これは成長して改善)、毎週休んだり、呼び出しされたりで「仕事続けられないかもしれません」と当時の課長に言ったら、「そんなこと考えなくていい」と怒られました😅。
今思えば、保育園に未満児で預けたら大なり小なり起こることで、成長と共に改善することだから、最初から「子供を産む前と同じように働く」なんて無茶な気持ちを持たなければそこまで追いつめられることではなかったのだけど。
夫は一切休みを取れないし、協力的な姑には今なら感謝しかないのだけれど、それでもやはり頼みずらく、先を見通せない辛い時期でした。
あの時、怒ってくれた(励ましてくれた)上司に今は感謝しています。
長男は未満児でなくなった頃から少しずつ丈夫になって、熱を出すことも少なくなったけれど、その頃に夫が離島に単身赴任。
そうこうするうちに中越大震災が起きて、半年くらい姑を我が家に拉致して?、残業と休日出勤の毎日が続いた。
この頃に、もう一度だけ、私は仕事を辞めようかとつぶやいたことがある。今度は長男の前で。
夫も単身赴任で、4歳の息子を姑に預けて毎日夜中まで仕事。姑だって家に義父を一人残して来てくれている。こんなにまでして仕事を続ける意味があるのかと。
そんな時、保育園児だった長男が
「お母さんばっかり仕事を辞めるなんてずるい。僕だって頑張って保育園に行っているんだから、仕事を辞めちゃダメ」と言った。
擦り込みって😅。1歳から母が仕事してる環境に置かれてきた長男にとって、仕事してないお母さんなんて想像出来なかったんでしょうね。
なんだか長男の言葉で目が覚めたというか、我に返って、あー働かなきゃなと思った次第です。
長男は割とハッキリと自己主張する子だったから、私も結構、感情的に怒って、ぶつかることも多かったけれど、彼には本当に助けられた。
こんな状況だったから、なかなか二人目を産む決心もつけられずにいた私に、長男が
「僕は一人でもいいから兄妹が欲しいんだよ」と言い続けてくたおかげで、次男がいます。
長男はそんな訳で、姑だけでなく、保育サポーターさんや、シルバー人材センターなど多くの方に預かっていただいて育てましたが、6歳違いの次男の時には私の気持ちもだいぶ変わり(もう子供がいない時のような働き方は出来ないも悟った)、それでも残業や休日出勤が避けられない時は、結構、長男が次男の面倒を見てくれました。
今思えば、アメリカなら児童虐待で捕まるな私😅と思いますが、小学校高学年の頃から次男を長男にお願いして仕事してました。
職場から一度帰って、夕ご飯を食べさせたら、戻って仕事する、そんな生活を4〜5年したんじゃないかな(当時も夫は単身赴任😢)。長男はよく私の職場に連れて行っていたから、そう言う意味ないでは母親の働く姿をよく知っていて、理解してくれていた。
長男はよく次男のことを「僕が育てた。」と言いますが、まさにその通りです😅。彼は自分で兄妹を望み、言葉どおりちゃんと弟の面倒を見た。
長男のおかげで私は仕事を続けられた。まさに仕事と子育ての両立の戦友でしたね。
次男が生まれる前まで長男を預かってくださった保育サポーターさんのところに、長男が大学に入る前に久しぶりにご挨拶に伺ってきました。
15年ぶりくらいだったけれど、おじさんとおばさんは本当に変わっていなくて、長男のことをよく覚えていてくれて本当に嬉しかった。
長男も家に入って顔を見たら、小さい頃のことをパーっと思い出したって😳。
お二人とも80代前後になり、お変わりなく元気でいることがどれだけ有難いことか、両親を看取った私にはよくわかる。
長男はたくさんの人に預かっていただいて、その頃はそれがとても気苦しかったのだけれど、子供にとって多くの人と関わり可愛かってもらうことの有難さが今ならわかる。
おかげで彼は人からの善意や優しさをきちんと感じることが出来る人に育った。誰かに預けることは悪いことじゃない。もしも今、そう感じているお母さんがいらしたら、少しでも我が家の話が参考になれば嬉しいと思ってブログに書きました。
子供は必ず大きくなるから、子育ての大変な時期はいつか終わりがくる。少しだけお母さんの重荷を誰かに預けることは決して悪いことじゃない。子供にとっても。
息子のおかげで仕事を続けられた私は、結果、仕事のおかげで息子の大学の学費が払えています😁!
初めてクラウドファンディングをやってみた。
学生と企業がコラボしたワークショップを去年見せてもらったんだけど、それが形になったそう。
これからを担う若い人たち、地元で頑張る企業さんを応援したいものです。リターン素敵!
安達紙器工業さんの紙製ポケットティッシュケースと花火柄ボックス。
