簒奪された京阪京津線 | 京阪大津線の復興研究所

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大津線とは、京阪の京津線と石山坂本線の総称です。
この大津線の活性化策を考えることが当ブログの目的です。
そのために、京阪線や他社の例も積極的に取り上げます。

京都市交通局による「民業圧迫」の最大の被害者は、京阪の京津線です。

 

かつての京津線の営業区間は京津三条―浜大津11.1kmでしたが、1997年10月11日、京都市営地下鉄東西線の開通に合わせ、西側の京津三条―御陵間が廃止されました。翌12日以降、京津線の列車が御陵から東西線の京都市役所前(一部は太秦天神川)まで直通するようになり、現在に至っています。路線図はこちら

 

部分廃止前の大津線(京津線と石山坂本線の総称)は、京津三条―京阪山科間が輸送人員および収入の約半分を占めており、ここが大津線で唯一の黒字区間でした。東西線乗り入れと引き換えにその大部分が廃止されたため、大津線の輸送人員と収入は激減しました。

 

『鉄道統計年報』によれば、京津三条―御陵間廃止前の1996年度の大津線の輸送人員は1日あたり80,764人でしたが、廃止後の1998年度には約40%減の48,107人にまで落ち込みました。

 

同じく、1日あたりの収入は、1996年度の991万円が、1998年度には約33%減の663万円に落ち込みました。この結果、大津線の営業係数(支出÷収入×100)は、償却前202%・償却後254%に悪化してしまいました。

その後、京津線で2002年11月30日から、石山坂本線で2003年10月4日からワンマン運転が実施されたことなどにより、1998年度に1日あたり1,681万円だった大津線の支出は、2009年度には960万円にまで減少しています。これにより、大津線の営業係数は、償却前123%・償却後160%まで改善されました。

 

しかし、大津線が今日に至るまで赤字路線であることに変わりはありません。京阪は2004年秋を目途に大津線を分社化する方針を打ち出したことがありますが、自立経営の見通しが立たず先送りになっています。

 

拙著【偽りの公共交通】で述べたように、この問題は京阪側の不手際によるところが大きいのですが、結果的には京都市交通局が民間企業の収益区間を奪い取る形となりました。

 

この状況を打開する対策として、拙著【関西私鉄王国の復興計画(下巻)】 では、京阪線が地下鉄東西線乗継時に運賃を割り引く見返りに、東西線が大津線乗継時の運賃割引を拡大することを主張しました。

 

さらに、特に需要が見込める京阪山科駅から京都都心方面においては、地下鉄山科駅を基準にして運賃を算出することも提案しました。ただ、昨今の京都市交通局の苦しい台所事情を考えれば、現実的には難しいのも確かです。

 

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