11篇 指切りをした その16
日曜日の午後、買い物に出た私は街中で兄を見掛けた。一人だったので声を掛けようと、足を一歩踏み出した所で思いとどまった。兄の隣に駆け寄った女性が居たからだ。その女性に見覚えがあった。以前、交差点で信号待ちをしている兄を見つけた時に、隣に並んでいた女性だ。二人は何か言葉を交わしながら、連れ立って人混みの中へ消えて行った。兄のあんな嬉しそうな笑顔を初めて見た。恋人同士なのは間違いなさそうだ。これまで女性関係の話など聞いた事が無い兄だ。真面目な交際の筈だ。そして結婚…。ここまで考えて、あれ、私一人で先走っているのでは、と苦笑した。
兄が結婚するとしたら、私は一緒にいられないな、とふと思った。新婚夫婦が住むには、今のアパートは古くて狭い気がする。もっと新しくて広い家に引っ越した方が良いと思う。当然、私は邪魔者になる。私だって新婚夫婦と一緒に暮らすのは辛いものがある。独立した方が良いに決まっている。兄の足枷になる事だけは避けたい。もともと大学進学が決まった時点で、一人暮らしを始める心算で居たのだから、両親も反対はしないだろう。麻美だって一人暮らしをしているのだから私だって出来る。
何にしても兄に相談しなければならない。兄だって結婚を考えているのなら、私の一人暮らしを反対はしない筈だ。とは思うものの話を通さなければ先には進めないだろう。
ねえ、お兄ちゃん、相談があるんだけれど…。
此のところ、仕事が立て込んで帰りが遅かったけれど、今日は久しぶりに帰宅時間が早かったので、夕食の後片付けを済ませてから話を切り出した。
なんだ、珍しいなあ。
それほど切羽詰まった話では無いだろうと、兄はのんびり私を見て言った。
私ね、一人暮らしを始めようかと思ってるの。
深刻にならない様にさり気なく言い出した心算だった。それでも兄には衝撃だったのかもしれない。
なんで、俺がなんかしたか。
一瞬、声が出なかったが、一息ついてから絞り出す様に言った。
ううん、とても良くして貰ってるし、感謝してるよ。
色々取り繕うよりも、やっぱり彼女の事を話した方が良さそうだ。私は正直に打ち明けようと思った。