私はうつ病で2023年4月から休職していました。
<今回はかなり重たい話になりますので、うつ病に関心の無い方は読まない方が良いと思います。>
1か月毎の様子を記載したいと思います。
ずっと日記を付けていたので振り返ることができました。
◆2024年1月
年賀状を見て、複雑な気持ちになった。
どんな思いで年賀状を書いてくれたのだろうか。
本を読むことが苦痛になってきた。
奥さんが頑張っている姿を見ると、自分は何をしているのだろうと思ってしまう。
「リセットの習慣」という自己啓発本を読んでみたが、内容が全く頭に入ってこなかった。
他にも数冊読もうと試みたが、どれも頭に入ってこないため、読むのをやめることにした。
なぜか、次長からの降格がふと頭をよぎった。
眠れること、眠れないこと、そのどちらにも不安を感じ続けていた。
◆2024年2月
午前中はほとんど寝て過ごす日が続いた。
横になっていても、まったく良い方向へ向かう感じがなかった。
歯医者で顔に布を掛けられている時でさえ、さまざまなことが頭を巡っていた。
日記が5行ほどしか書けない日もあった。
書く力すらなかったのだと思う。
※うつ病において「眠る」という行為は、逃避反応の一つとされ、「寝逃げ」とも呼ばれる。
人間にもともと備わっている防衛本能であり、うつ病の時期によく眠るのは決して悪いことではなく、ストレス過多の状態から身を守るために必要な反応だと言える。
……と、なぜか日記に書かれていた。
病院では「今は過眠の時期」と言われた。
◆2024年3月
とにかく日記の内容が短く、書く力が全然なかったのだと思う。
日記には「ちょこザップ」のことが頻繁に出てくるので、運動だけは続けていたようだ。
映画『夜明けのすべて』を観に行った。原作と違う点があり少し残念に感じたが、仕方のないことなのかもしれないと思った。精神的な病気で苦しむ人は、思っている以上に多いのだろうと感じた。
上司から電話があり、「またかけ直す」というようなことを言われて通話が終わった。いつ連絡が来るのかとドキドキしていたが、結局その後連絡は来なかった。いろいろ聞かれると思い、どの月に何があったかメモをまとめて準備していたのに…。
この頃は、寝ているか、ちょこザップに行くかだけの生活を送っていたようだ。
会社を休んで一年が経とうとしていたことが、さらに罪悪感を強めた。
◆2024年4月
午前中はちょこザップに通い、午後はほとんど寝て過ごしている。
日記は短く、内容も同じようなことばかりだった。
仕事の定時(8時半~17時半)を強く意識するようになった。
錦糸町のサウナ「ニューウイング」にも行っており、そのときの面白かった出来事を覚えている。
◆2024年5月
土曜日、買い物に出かけることが苦痛になっていた。
本を読もうという気持ちはあるものの、いざ読もうとすると手がつかず、こんな状態で仕事ができるのだろうかと不安になる。
身体のだるさと気分の悪さが同時に襲い、起きていられないほど眠気が強かった。
奥さんからは「半年前より良くなっている」と言われたが、どうしてもそうは思えなかった。
ちょこザップではしんどくて走ることができず、そのことを奥さんに話すと「どんどん悪くなってない?」というようなことを言われた。
なぜか奥さんに負けたくないという気持ちが生まれ、ちょこザップも奥さんより行かなきゃと、変な焦りを感じていた。気がつけば、7日連続で通っていた。
さらに、車を家から出そうとした際、塀に擦ってしまった。
◆2024年6月
寝室にエアコンが設置された。
エアコンの件で奥さんともめてしまい、その後しばらくはギクシャクしていた。(自分がそう感じていただけかもしれない)
錦糸町の「黄金湯」に行き、とても気持ち良かった。
※この頃の日記を見ると、文章が不自然になっており、文字も乱雑になっていた。
左手で茶碗を持ちにくくなり、貧乏ゆすりもあったらしい。
ちょこザップでは、この頃は20分走っていたようだ。
久しぶりに自転車に乗ったところ、まともに乗れなくなっていた。
交差点で信号が赤なのに直進してしまい、奥さんに止められて助かった。
自分で選んだ靴を奥さんに「無難だね」と言われたことで、アディダスが嫌いになった。
風呂に入っている間はいろいろ考えるのに、上がるとすぐ忘れてしまう。
読んでいる漫画のタイトルすら分からなくなることがあった。
朝8時頃に起きられるようになる。
雨の日は気分がとても悪くなり、「普通の人は雨でも仕事をしているのに…」と思ってしまう。
錦糸町の「ニューウイング」にまた行き、少し楽しめた。
「次長としてやっていくのは無理だ」と言うようになっていた。
気がつくと、ちょこザップに11日連続で通っていた。
この頃から日記の文章がおかしくなり始めていた。
目の調子も悪くなってきた。
上司から電話があり、面談をしようと言われなかったのでホッとした。
修理に出していたイヤホンの見積もりが届いた。購入時は3万円ほどのイヤホンだったのに、修理費が3万円以上。結局、修理の見積もり料として3千円だけ取られることになった。
◆2024年7月
目の調子がさらに悪くなり、左右の像が重なって見えるようになってしまった。
精神科の先生に相談したところ、「薬はすでに最大量に近づいている」と言われた。
日記の内容も文字もおかしくなっていた。
7月19日の誕生日、上司から「今日の午前中に会えないか」と電話があった。約1時間ほど話をしたあと、次長からの降格を伝える辞令を渡された。
誕生日のケーキを買いに行く際の運転も危険な状態で、アクセルとブレーキを踏み間違えてしまい、大事故になるところだった。自分自身の状態が怖くなった。
その後、意識障害が起きる(かなり重い状態)。
※意識障害についての説明は別途記載予定。
※7月後半から8月10日頃までの記憶がない。
◆2024年8月
8月の日記は見るも無残なものなので割愛。
意識障害と併せて書くこととする。
◆2024年9月
奥さんの事が冷たく感じられた。
頭にくるというよりも悲しくなってきて、なかなか寝付けなかった。
自分も病気になって迷惑を掛けているから仕方が無いとも思ったが、奥さんがそういう人だと思うようになった。(病気のせいだと思う)
天気が中途半端で干すか干さないか迷うような日は嫌だった。気分が悪かった。
脳神経外科で昼の薬を勧められたが、車の運転に支障が出そうだったのでやめてもらった。
薬の仕分けを奥さんに手伝ってもらっていた。
チェックしてもらって本当に助かっている。感謝しなくてはいけない。
回覧板が無い無いと騒いでしまった。
自分が隣に持って行っていたらしい。
奥さんに一人の時間を邪魔しないで欲し的なことを言われたので一緒にいないことにした。
色々な人(小・中・高・大学の時の知り合い)に声を掛けまくってみたが、一部の人からしか返事は無かった。
Facebookの練習をしていた。
神経内科の後に食事をして、ちょこちょこ買物をしたが、奥さんに言ったら怒られそうなので言わないことにした。
意識障害のこと、今思うと次長から降格したことと斜視になったこと、奥さんに冷たくされたこと(思い込み?)があったことが原因かも知れない。炭酸リチウムだけでは絶対にそうならないと心の中では思っていた。
意識障害に本当またならないのだろうかという不安があって仕方なかった。
ジムで走りながらビデオを見て楽しんでいて良いのかと思った。
「それを言っているうちはダメだね」と奥さんには言われたが性格的なものなので難しいかもしれない。
小説を少しだけ読んでみたが頭に入ってこなかった。
自分の要らない話に付き合ってくれる人は感謝しなくてはいけないと思った。
錦糸町「ニューウイング」というサウナに行ってきた。
それなりに楽しめた。家に帰りたくなくてモスバーガーで時間をつぶした。
ジムの行き帰りに色々思いつくのだが、家についたら忘れてしまう。
自分は本当に頭がおかしくなってしまったのだろうか。
手帳を持ち運ぶことにした。
「はい」と言ってなるべく速やかにやること。
間違いはすぐに「すみません」と言うことを誓った。
家にいると気分が悪いので外に出ようしたが気分は全然良くならなかった。
早く実家に帰りたいと思っていた。
◆2024年10月
何をすれば楽しくなるのか分からない。
家にいると息が詰まりそうになるし、外に出ればすぐに疲れてしまう。どうしたら良いのか分からない。
奥さんと口論になったが、今の自分は「はい」と受け入れることが大事なのだと思った。眠いのに暑くて眠れず、さらに LINE の投稿の件でも奥さんと揉めてしまった。
意識障害になってからは、自分は強く主張できる立場ではないと理解していた。
そんな中、Facebook の「文房具好き」グループに投稿したら、たくさんの反応があって嬉しかった。
富山へ帰省した際にはステーキ屋さんに連れて行ってもらった。
前回来た時は味さえ覚えていなかったが、今回はしっかり味わうことができた。
昼食は「いさご」というお店でランチを食べた。
奥さんが好きそうなメニューで、いつか一緒に来られたらいいなと思った。
ガラス美術館にも行ったが、相変わらず不思議な建物でよく理解できなかった。
図書館で勉強している学生を見て、30年前の自分を思い出した。
その後、一人で総曲輪を少し歩いたが、人がほとんどおらず寂しい雰囲気だった。
久しぶりに奥さんへ LINE を送ったが、返事は冷たく感じた。
カウンセリングで「いろいろな人と話したほうが良い」と言われたので、Facebook や LINE で声を掛けてみたものの、ほとんど返信はなかった。
「静養」とは何だろう。普段とは違う環境に身を置くことなのだろうか。
とにかく調子が悪く、起きた瞬間からしんどかった。
谷津干潟にも行ってみたが、特に収穫はなかった。
朝ドラ(そのときは『おむすび』)とニュースを見る習慣ができた。
長時間テレビを見る気力は無かったので、短いニュースとドラマはちょうど良かったのかもしれない。
朝ドラは起きる理由にもなった。
ぼんやりしていても疲れるようになった。
元気がないときはずっと元気がなく、少し回復したと思うと今度は罪悪感で疲れてしまう。どうしてこうなってしまったのだろう。
本は読めないが、ブックオフで本を探すのは楽しかった。
運動後に爽快感があればいいが、疲れだけが残る。
平日は運動しているものの、仕事に復帰したあとも続けられるのか不安だ。
筋トレはできても、走るのは難しいかもしれない。
横浜「スカイスパ横浜」にも行った。
サウナは眺めが良くて気持ちよかったが、それ以外は普通だった。
カプセルホテルには慣れていないため、あまり眠れなかった。
Excel の勉強はそれほど苦痛ではないが、時間はかかりそうだ。
◆2024年11月
精神科の先生からは、「ジムに行くことは義務感を持つ練習だと思って続けてみてください」と言われた。
座ってテレビを見ていたら、ふと「アカシジアの時は本当に大変だった、あの地獄のような感覚はもう味わいたくない」と思い出した。
やってみたくて買ったものが家にたくさんあり、時間もあるのに手をつけられないのは、やはり病気の影響なのだと思う。
ゲーム、小説、漫画、ビデオ……やろうと思えばいくらでもあるのに、いざ始めようとすると体が動かない。
一つのことに集中するのは良いことだと思うが、すぐに疲れてしまう。
だからこそ、やりたいことを休み休み続けていくしかないのだと思う。
運動は一応続けているものの、食べる量が増えてしまい、つい間食までしてしまっている。
浦安の「舞浜ユーラシア」に行ってきた。
奥さんと一緒にサウナへ行くなんて、久しぶりのデートだった。
私が「毎日こんなことをして意味があるのだろうか」と弱気になったときも、奥さんは「会社に行くにも体力がいる。そのために今、基礎体力をつければいいんだよ」と前向きな言葉を返してくれた。少し気が楽になった。
体重を測ったら82.5kgだった。
自分がネガティブなことを言っても、必ずポジティブに返してくれる奥さんは本当にすごいと思う。
分かったのは、一度にたくさんのことを同時にこなそうとすると、頭が非常に疲れてしまうということだ。
一つのことに集中して疲れたら休む方が良いのか、それとも気持ちの切り替えを練習すべきなのか、そのあたりもまだよく分からない。
人からはよく「治すことがあなたの仕事だ」と言われるが、その“仕事”とは何なのか、本当にそれで治るのか、何をすればいいのか……運動だけでは治らないのではないかと考えてしまう。
リビングで奥さんと長女が好きなことをしているのを見て、「自分は邪魔をしないようにしなければ」と思ってしまう。それが自然にできるようになった時に、初めて“治った”と言えるのだろうか。
少し時間ができると、つい色々と考えてしまう。
・復帰したら、みんなどんな顔をするだろう
・どんな仕事を任されるのだろう
・朝、本当に起きられるのだろうか
・部長たちとうまくやっていけるのか
今考えても仕方ないと分かっていても、気になってしまう。
「復帰したらどうせできないんだから」と考えること自体が良くないのかもしれない。
「復帰したら……」という言い方をするのが良くないのかもしれず、今できることがあるなら、それを一つずつ手伝っていけば良いのだと思う。
斜視の件も、当時は本当に見えなかったのに、今は普通の眼鏡で見えるようになっている。
あれも意識障害の一つだったのかもしれないと、今になって思う。
X(旧Twitter)のフォロワーを整理して、約1000人減らした。
これで、変な投稿を目にすることも減って気が楽になった。
転職した人に話を聞くと、あまりプラスの印象ではない答えが返ってきた。
自分は何をやりたかったのか、改めて疑問が湧いてくる。
日曜日にアウトレットモールへ出かけたが、「明日が休みだからできたことで、平日だったら無理だったな」と考えてしまった。
それでも、家族全員で出かけた時間は疲れたけれど楽しかった。
産業医面談の際に「リワーク」ってどんなことをするのか聞いてみた。
自分でできることもあるのではと思い、いろいろ調べてみることにした。
リワークの資料を読んでみると、まだ自分にもできそうなことがあると感じた。
必須ではないなら、お金もかかるし、まずは自分の力で頑張ってみたいと思った。
朝ごはんはもっとしっかり食べた方が良いと思った。
そこで奥さんと相談して、前日の晩ごはんを半分残して朝食にする作戦を立てた。
精神科の先生のアドバイスをもとに、水曜日と日曜日は軽めの運動にすることにした。
◆2024年12月
「認知行動療法」を試してみることにした。
古本屋で安く手に入ったこともあり、まずはできる範囲で始めてみようと思った。
Excelで表を作る作業は、意外と楽しいと感じた。
少しずつ回復傾向にあり、悪いことを考える時間が減ってきたように思う。
奥さんは毎日5時半に起きて動いているそうだ。
そう考えると、仕事を終えて帰ってくればぐったりするのは当然だと思う。
それなのに自分のことばかり言ってしまい、反省しなければならない。
ちょこザップへ行くときはいつも気が重いのに、終わった後は爽快感こそないものの続けられている。それを考えると、運動にはやはり一定の効果があるのかもしれない。
ビデオを見たくなるのは、平日の昼間だからかもしれないと思い、自由時間を17時半以降にすることにした。
「認知行動療法」の本には、今まで手がつけられなかったことに挑戦してみるよう勧められていたので、自分なりにチャレンジしてみることにした。
ちょこザップから帰ってすぐに部屋着へ着替えるのはやめた。
部屋着に着替えると「もう外出しない」と自分に言っているようで、その後出かける気力が失われてしまうからだ。
ドトールで1時間ほど読書ができるようになった。
欲しかったものを買えると、やはり気分が良くなる。
17時半を区切りにすることは、自分にとって良いリズムなのかもしれないと感じ始めた。
ちょこザップへ行くとき、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながら移動したら、嫌な気分が半分くらい軽くなった。
1人で食事をするのは、どうやら気分的にあまり良くないようだ。
乾燥のせいか喉が痛い。身体の調子が悪いと気分も落ちるのだと改めて感じた。
小説を読むことは、たとえ定時であっても罪悪感を抱かずにできた。
以前から行きたいと思っていた珈琲店で、小説を1時間ほど読むことができて満足感があった。
散歩中に音楽を聴いていたら、嫌なことを少し忘れることができた。
40分ほどちょこザップで走ってみたところ、その疲れが出たのか調子がいまひとつだった。
午前中に段ボールと紙の片付けをした。集中していたようで、短時間で片付けが終わった。少しずつ物事に取り組めるようになってきたのかもしれない。
やりたいことを単語カードに書き出してみた。
何かをするにはお金がかかると思い込んでいたけれど、実はお金をかけずにできることがたくさんあるのだと気づいた。大きな発見だった。
Amazonで注文していたプロテイン用のシェイカーが届いた。
ちょこザップでは、まずは20分歩くことにした。
富山に帰省した。
※このブログに出てくる小説・映画は素晴らしい作品ばかりです。
私自身の調子が悪かったのです。
申し訳ございません。
