「異常国会」原因は与党

比例削減・副首都法案撤回を
田村委員長が会見

 

 

 

 

 

 

 

 日本共産党の田村智子委員長は3日、国会内で記者会見し、異常な国会をつくり出したのは自民党と日本維新の会だとして、衆院比例定数削減法案と「副首都」法案を与党が撤回し、国会を正常な状態に戻すべきだと表明しました。(関連記事)

 田村氏は、異常な国会となっている原因は、衆院議長の下に置かれた選挙制度協議会で選挙制度の改革を議論している最中に、与党の自民、維新両党だけで比例定数削減法案を一方的に提出したことにあると指摘。しかも、野党が反対する中、連立政権合意によるものだからと与党のみで審議入りをごり押しし、野党が不在のまま質問時間を消費する「空回し」を強行した上、採決までちらつかせてきたと批判しました。

 さらに、参院で審議が行われなくても、衆院で法案を採決してから60日たてば、衆院で再可決・成立させることができる「60日ルール」を念頭に、国会会期の大幅延長案が与党内で取り沙汰されていると指摘。「『国会には野党はいらない』『参院も必要ない』と言うに等しい、自民と維新による民主主義破壊、独裁政治そのものだ」と批判しました。

 定数削減法案と「副首都」法案の審議は現在中断していますが、与党は皇室典範改定案の審議後に再開させる考えを示しています。

 田村氏は「これでは異常な国会のままであり、民主主義破壊を許すことになる」として、2法案の撤回が国会正常化に不可欠だと強調。高市早苗首相による答弁拒否の姿勢も大問題だとして、野党が要求する予算委員会での集中審議に応じるべきだと主張しました。

 

 

「日の丸」振るのに迷う日が来る? 国旗損壊罪法が奪う“自由”

 
 
 
 
 日の丸の旗を、私が初めて振ったのは41年前の1985年10月26日、東京・国立競技場だった。

 86年にメキシコで開かれるサッカー・ワールドカップ(W杯)のアジア最終予選で、日本と韓国が激突した。

 高校3年生の私はサッカーには詳しくなかったが、友人に誘われて観戦した。後に「伝説の日韓戦」と言われた試合だ。

 68年のメキシコ五輪での銅メダル獲得以来、日本サッカーは長い低迷期に入っていた。84年4月のロサンゼルス五輪最終予選では4戦全敗。メキシコW杯予選も苦戦が予想された。

 ところが、強敵の北朝鮮を破るなど快進撃を続けた。最終カード、ホームアンドアウェー方式で争う日韓戦の結果次第で、悲願のW杯初出場が決まることになった。

 当日、競技場近くで日の丸の小旗が配られていた。スタンドは6万2000人の超満員。人数以上に驚いたのは、日の丸の多さだった。大小無数の旗が風にひるがえる。「こんなに多くの日の丸を見たことはない。きれいだ」。そう思った。

 試合は前半に2点を先取された。前半終了間際、敵陣で日本がフリーキックを得る。木村和司選手が右足を振り抜くと、ボールは韓国選手の壁を越えて、相手ゴールに突き刺さった。

 その瞬間、後にも先にも聞いたことのない大歓声。隣の若い男性が「メキシコだー! メキシコだー!」と絶叫して小旗を振っていた。私も振った。スタジアムに、日の丸の波が広がった。

 日本は1―2で敗れ、韓国での第2戦も負けてW杯出場はならなかった。

 それから41年。日本代表は劇的に強くなった。現在開催中の北中米3カ国W杯では惜敗したが、強豪中の強豪ブラジルを苦しめた。その未来は明るそうだ。

 しかし、日の丸を巡っては暗雲が垂れこめている。

いびつな「立法事実」
 国旗・日の丸を損壊する行為などを処罰する法案が今国会に自民、日本維新の会、国民民主、参政の4党によって共同提出された。

 昨年、自民と維新は連立合意書に日本国旗損壊罪の創設を盛り込んだ。高市早苗首相も就任前から制定を望んでいた。

 6月30日、衆院本会議で法案は可決された。しかし採決では、全野党が欠席。立法を目指していたはずの国民民主と参政が賛成しないという、「永田町珍劇場…