「大規模で投入する必要」能登豪雨のボランティア拡大へ 石川県の馳浩知事が方針

 
小池晃さん
能登半島地震被災者の医療費窓口負担と介護保険の利用者負担の免除は9月末までです。地震の復旧も途上の上、豪雨災害が加わったのですから、延長は当然です。
9月17日、10月以降も延長するよう厚生労働省に求め、「延長する」と回答しました。
ところが、いまだに事務連絡が発出されず。
本日の問い合わせにも、「一両日中」の回答。
もうすぐ9月は終わります。
政府は、機能不全に陥っているのか。
能登の苦しみに背を向けているのか。
無責任にもほどがあります。
 
能登豪雨の被災地に「ボランティア」を「大規模で投入する必要がある」などと石川県の馳知事。あくまで「ボランティア」は個々人の自発的な意思によるものであって「投入」するものでは決してない。まして災害復興は「公」の責務。ボランティアありきの時点で論外。
 
石川県民の皆さん…言いたくはないのですが『馳知事を粗大ゴミとして放り投げてくださいな」目線が狂っているとしか言いようがない。頭まで筋肉マンには指揮官何ってできっこない。今間での行動で一目瞭然。腹がたって仕方がない!
 
 
能登豪雨による浸水被害で24日活動を始めた県のボランティアについて、石川県の馳浩知事は、24日の災害対策本部会議でボランティアを大規模投入する考えを示しました。

石川県能登地方に出されていた大雨特別警報が解除された22日以降、馳知事は珠洲市と能登町、輪島市を連日視察しています。

24日、馳知事は「一日も早く泥かきなどのボランティアを大規模で投入する必要があると痛感した」としてボランティアを拡充させる方針を示しました。

しかし、現地ではボランティアの派遣先を調整する現地の社会福祉協議会で人員が不足するなど、受け入れ体制が整っておらず、県では、NPO団体やボランティア団体と連携して早期の拡充を目指します。

県では地震とは別に追加募集したボランティアを24日と25日に40人ずつ現地に派遣していて、仮設住宅から泥のかきだしなどを行っています。

県は「規模は桁違いになる。どんどん入っていただきたい」としています。

 

 

「自分の部下扱い」石川・馳知事「ボランティア大量投下」無神経発言に批判殺到 震災時から変わらぬ“軽視”姿勢

 

 

 9月26日午前現在、死者11名、行方不明6名と、甚大な被害をもたらした能登豪雨。孤立集落では自衛隊のヘリによる救助活動が続いているが、一般家屋の復旧のため、ボランティアも続々と現地入りしている。

 

「石川県は、NPO団体やボランティア団体と緊密に連携して、ボランティアのみなさんの被災地入りをおこなっています。おもに住宅からの泥のかき出し、家具の搬出などの手助けが作業の中心です。しかし道路が寸断されていたり、宿泊施設が足りなかったりするため、活動は思うように進んでいません」(社会部記者)

 2024年1月1日には、最大震度7の巨大地震が能登を襲った。そこからの復興も、いまだ進んでいない状況だ。地震直後に本誌が現地を取材した際も、倒壊したままの家屋や、ひび割れた高速道路が見られた。こうした震災の爪痕が、豪雨災害からの復興・復旧作業を妨げているのだ。

 石川県の馳浩知事も、これに危機感を抱いたのか、珠洲市、能登町、輪島市を連日にわたり視察しているが……。そうしたなか、知事の「不用意なひとこと」がひんしゅくを買っているという。

「9月24日に開催された災害対策本部会議で、知事は『被災者の方々から、とにかく電気、水、通信のライフラインの確保をお願いしたいとの、切実な声をちょうだいした』と住民の要望などを紹介しました。

 その際に『1日も早い復旧のためには、ボランティアのみなさんのお力が不可欠』と訴えましたが、『1日も早く、泥かきなどのボランティアを大規模で投入する必要があると痛感した』とも述べたのです。この『投入』という言葉に批判が集まってしまいました。

 1月の能登地震の際にも、ボランティアの宿泊施設の整備不足などを記者陣から指摘されており、かねてから馳知事の“ボランティア軽視”の姿勢は指摘されてきました。この姿勢がいまだに変わっていないと感じた人が多いからこそ、この『ボランティア大量投入』のひとことに火がついてしまったのでしょう」(前出・社会部記者)

 たしかに、慈善行為をおこなっているボランティアの方々を、まるで自らの指揮命令系統下にあるような発言ととれなくもない。

 Xにも《ボランティアをあたかも自分の部下扱い》《アルバイトでも募集するつもりの感覚》《ボランティアは、都合のいい無償の労働力かい。もう少し、ボランティアの方々をリスペクトしよう》など批判のポストがあがっていた。

 ネット上には、「言葉尻をとらえるな」「あげ足取りだ」と、馳知事を擁護する声もあるが、言葉ひとつで信頼関係が崩れることもある。馳知事と石川県民の信頼関係は、いま、良好だろうか――。

 

断水・停電 疲れ果て 土砂崩れ 

安全早く 

能登豪雨現地ルポ

 

 

 記録的な大雨で土砂災害が発生した石川県の奥能登地方(能登半島北部)では、道路の寸断で複数の集落が孤立状態になっています。同県珠洲市の市街地から山を越えた外浦地域の集落では25日、住民らが二次災害への不安や断水・停電が続く中で生活の不便さを訴えました。(田中真聖、丹田智之)

 日本海に面した珠洲市折戸町で暮らす男性(65)は、強い雨が降り続いた21日の朝に「ガサッという音がして家の裏の崖が崩れた」と話します。

 同居する80代の母親と近くの公民館に避難し、自宅に戻ると裏山の土砂や倒れた木が外壁に押し寄せていました。「もう一回、同じ場所が崩れたら家がつぶれてしまう。早く安全に住めるようにしてほしい」と市に対応を求めています。

 折戸町では川の増水で橋のたもとにある水道管が破断し、集落の一部や仮設住宅で断水が続いています。

 元日の地震でも断水を経験した男性(73)は「毎日2~3回、山の湧き水をくみに行き、トイレや洗濯に使っている。風呂は温めた水を頭からかぶる。2度目の災害による断水で、もういやになった」と疲れ果てた様子です。

 夫と同市馬緤(まつなぎ)町に住む女性(76)の自宅は床下まで浸水。土砂や流木でふさがれた川と裏山の両方向から水が押し寄せました。「まるで池のような状態だった。山の方から2~3個の大きな岩が落ちてきて怖かった」と振り返ります。

 女性は大雨の予報が出ていた20日の夕方ごろに近くの施設へ避難しました。

 大雨の影響で停電し、4日がたっても復旧していません。水道も少量の水が出るだけ。「自宅の片付けは日中に行い、夜は避難所に戻る生活を続けている」といいます。地震で自宅が準半壊し、公費解体を待っている狩野さん。8月まで同県宝達志水町の親せき宅で避難していました。「少しずつ日常が戻ってきた中で襲った豪雨災害。家の裏にある崖も再び崩れそうで心配だ」と不安を募らせています。

 

能登豪雨

避難所 食料届かず

党災害対策本部が政府追及

 
 
 日本共産党国会議員団の能登半島豪雨被害対策本部(本部長・小池晃書記局長)は25日、能登半島を襲った豪雨の被害状況と政府の対応について聴取し、被害把握の遅れや避難所などの支援体制に課題があることがわかりました。

 能登半島地震被災者共同支援センター(石川県羽咋市)責任者の藤野保史前衆院議員は、避難所の寝具や食料支援が不十分で、元日の地震直後の状況が繰り返されていると指摘。「備蓄や県からの支援が届いているはずだ」と答える内閣府の担当者に藤野氏は、「行き届いていないところもあるのが現実だ。自治体任せにせず国が実態把握と適切な対応に取り組むべきだ」と強調しました。

 小池氏は、9月末で期限切れとなる医療費の窓口負担と介護保険の利用者負担の免除について、「『延長する』と言いながらなぜまだ正式な通知が行われていないのか」と追及。厚生労働省の担当者は「最終調整中」と繰り返しました。小池氏は、「一日も早く通知して、被災者に安心してもらうべきだ。いまだされていないのは異常事態ではないか」と批判。厚労省の担当者は「なるべく早く通知できるよう尽力している」と述べるにとどまりました。

 浸水、損壊した住宅の被害認定については、地震による被害を受けた建物でも新たにり災証明などの申請が必要とされています。井上哲士参院議員は、「住んでいる人にとっては地震と豪雨の被害は一体のものだ」と指摘。担当者は「指摘の通りだが、個別の対応が必要だ」と述べました。

 関係省庁間で情報共有する「関係省庁災害対策会議」や内閣府の「災害対策室」が設置されている一方、政府の災害対策本部が設けられていないことについて藤野氏は、「被災者にとってみれば地震被害の上に今回の豪雨被害が重なってきた。状況がより厳しくなる中、どう再建に対応するかスピード感を持って、一日も早く希望を示せるよう取り組んでほしい」と要請しました。

 

「地震の時よりひどく感じる」豪雨の能登でボランティア始動 仮設住宅やスーパーで、県内外から40人集結

 
 
 記録的豪雨に見舞われた石川県能登地方で支援活動に当たる県の災害ボランティアが24日、輪島市に到着して活動を始めた。宅田町の仮設住宅団地では、県内外から集まった40人が、泥まみれになった部屋から家電や家具を運び出したり、部屋の掃除をしたりするのを手伝った。被災者からは感謝の言葉とともに、今後への不安も聞かれた。(大野沙羅、星野大輔)
 
◆浸水した家具を運び出し、濡れたものを乾かす
 21日の豪雨では市内を流れる河原田川が氾濫し、142戸が集まる仮設住宅団地「宅田町第2団地」の一帯が冠水した。県は市から要望を受け、2日間で40人ずつボランティアを募集。担当者によると、すぐに予約は埋まり、初日は20~70代の男女が参加、早朝にバスで金沢を出発し、午前11時すぎに到着した。
 
 ボランティアは3人一組で、浸水した冷蔵庫や洗濯機などを廃棄するために部屋から運び出したり、ぬれた布団や本を外で乾かしたりするのを手伝った。
 
 豪雨で避難所に身を寄せる1人暮らしの早瀬輝造さん(62)は「断水して着替えも泥だらけなので片付けができなかったけれど、一瞬で終わった」と笑顔。ただ、今後について「部屋の消毒は必要ないのか、ここがどれくらい安全なのか。どうすればいいか分からない」と不安を口にした。
 
 活動した川崎市の宮田友紀さん(52)は「少しでも被災者の方の笑顔を見られたら」。愛知県武豊町、警察官の川北裕介さん(41)は「言葉で表現できないくらい気の毒で、早く復興してほしいのにもどかしさがある。(被災者には)気持ちを切らさず頑張ってほしい」と話した。
 
◆震災ボランティアとして利用していたスーパーが…
 
 
 輪島市町野町の「もとやスーパー」では、兵庫県内の大学生で構成される「能登応援サークルネットワーク」のメンバー6人が泥にまみれた家具や商品を運び出した。3月以来、断続的に町野町でボランティア活動を続けている神戸学院大3年の藤原勝利さん(21)は「店は昼食の買い出しで利用していた。地震の時より被害がひどく感じる」と話した。
 
 本谷一知(もとや・かずとも)社長(46)は「感謝しかない。ボランティアが来ると、守られているなと思う」と話した。
 
 

「せっかく直した」白米千枚田が土砂崩れ 稲刈り終えた直後に能登豪雨…管理担う愛耕会「今は何も考えられない」

 
 
 石川県奥能登地方を襲った豪雨で、国名勝の白米(しろよね)千枚田(石川県輪島市白米町)では複数箇所で土砂崩れが起きた。能登半島地震で田にひびが入るなど甚大な被害を受け、関係者の懸命な復旧作業で今月上旬に稲刈りを終えたばかり。度重なる打撃に、管理を担う白米千枚田愛耕会のメンバーは「今は何も考えられない」と言葉を失った。
 
 白米地区は国道249号の土砂崩れで一時孤立。市中心部と行き来できるようになった24日朝「道の駅 千枚田ポケットパーク」に、地震で地区外に避難していた住民らが集まった。パーク脇に広がる千枚田は、ところどころで土砂崩れの跡が確認された。会によれば、2キロほど離れた山中にある取水口一帯も崩壊。田に水を引くのが困難になっている。
 
◆「やっと一歩進んだのに、5歩も6歩も下がった」
 海岸沿いの斜面に1004枚の田がある千枚田。地震の影響で、今年は5月に約120枚だけ田植えをした。9月上旬に愛耕会のメンバーのほか、有償で田を借りて耕作体験できるオーナーや、ボランティアも参加して稲刈りをし、来年の作付けに向けて気持ちを新たにしたところだった。
 
 豪雨後に初めて田を見たという愛耕会の山下博之さん(65)は「せっかく直したところが、また崩れてしまった」と肩を落とした。会の白尾友一(ともかず)代表(60)は先行きが見通せない状況に表情を曇らせた。「一生懸命やってきて、やっと一歩進んだのに、5歩も6歩も下がった感じ。何とかしたい気持ちはあるけど、今は何も考えられない。これから会のメンバーら皆と相談したい」
 
 同地区は21日朝から孤立し、同パークに住民約15人が避難してきたほか、復旧工事の関係者数人が取り残された。その1人、姉川俊寛さん(43)は他の工事関係者と共に、車中泊を続けながら重機を使って周辺の土砂を取り除き、早期の開通につなげた。姉川さんは「道が通らないと、ライフラインも復旧しない。住民が困らないよう『何もせんわけにはいかん』という思いだった」と振り返った。(上田千秋)