災害が起きるたびに、避難生活のストレスなどが原因で亡くなる「災害関連死」が報告されています。

こうした中、専門家が“避難所の先進地”として注目する国がイタリアです。
過去の災害を教訓に、被災者の“命と健康を守る避難所”の仕組みづくりに取り組んできました。

いったいどんな避難所なのか?現地を取材しました。
(「国際報道2024」キャスター 栗原望)

まずベッド、トイレ、キッチン
避難所を設営する大規模な訓練があると聞き、私たちはイタリア中部トスカーナ州のピサに向かいました。

訓練は、全国に支部を持つボランティア団体による1000人規模のもので、実際の災害時の避難所と同じ設備を使って行われます。

到着した広場で驚いたのは、運び込まれる大量の資材。大きなトラックからはテントや照明機材などが下ろされ、コンテナも次々と設置されていました。

 

運び込まれる資材
 

イタリアの避難所の「設備」はどのようなものなのか。まず、目に入ったのが、避難者のためのテントです。

 

テント内のベッド
 

中に入ってみると、簡易ベッドがおかれていて、隣との間隔もとられています。横たわると、足をしっかりと伸ばすことができました。今回の訓練では、参加者も実際にこのテントに宿泊します。

 

 

トイレとシャワーが備え付けられたコンテナもありました。蛇口をひねるとお湯も出ます。車いすでも使えるよう、スロープや手すりがついたトイレもありました。

こうした設備が、停電や断水の際にも使えるよう、給水車や発電機も持ち込まれていました。

訓練会場を回る中で、ひときわ目を引いたのが、食事を作るための設備です。

 

キッチンコンテナ
 

調理用コンテナの中を見せてもらうと、レストランのちゅう房のような光景に驚きました。シンク、冷蔵庫、オーブン、スライサーまで備え付けられていて、パスタをゆでるための設備もありました。

コンテナとテントもあわせた広いキッチンのエリアでは、ボランティアが700人分の夕食を料理していました。鍋にはトマトソースのトリッパがグツグツと煮え、ローズマリーなどのハーブのいい香りが立ちこめていました。

 

 

さらに、キッチンスタッフ専用のトイレまで備え付けられていて、驚きました。災害時に、被災地では感染症が広がることがあります。キッチンスタッフが感染し、食事を介して避難者に病気が拡大することを防ぐためです。

会場設営の責任者は、生活に必要な設備を発災後すみやかに整えることを目指しているといいます。

 

ボランティア団体「アンパス」会場設営責任者 チェキーニ・クリスティアーノさん
 

「テントとトイレ、そして、キッチン。この3つは、100人ぐらいでかかれば、1日で設営できます。トスカーナ地方では“Pappa=まんま、Nanna=ねんね、Cacca=うんち”という言葉があります。“食事、睡眠、トイレ”は、緊急の時にはとても大事なことです」
 

ボランティアが30万人 “プロ”も
イタリアがもうひとつ力を入れてきたのが「ひと」の仕組みです。

イタリアでは、ボランティアが中心となって避難所の設営や運営を担います。その全員が事前に訓練を受けて登録した人たちです。
こうしたボランティアが全国におよそ30万人いるといいます。

 

 

中には、普段の仕事や専門性を生かした、いわば“プロ”もいます。実際に、作業をしている人たちに話を聞いてみると、電気関係の仕事をしている人が配線工事を担い、水道関係の仕事の人が水道まわりの工事を行っていました。
ボランティア団体「アンパス」理事 アレッサンドロ・ベニーニさん
「ボランティアは専門性に応じ、さまざまな育成コースがあります。キッチン、ロジスティックス、子どもの世話、通信関係などさまざまです」
こうしたボランティアを国が支援することが法によって規定されていて、災害現場に向かう際の移動費などの実費は国が負担し、社員が出動した企業には、国から金銭的な補助もあります。

専門的な知識や技術を持つボランティアが、すぐに被災地に向かうことができる仕組みを国をあげて作り上げているのです。
過去の災害から学んだイタリア
「充実した設備」と「訓練を受けたボランティア」。イタリアはこうした避難所の運営の仕組みをどう作り上げてきたのでしょうか。

きっかけとなったのは、1980年に起き、2700人以上が犠牲になったイルピニア地震。自治体やボランティア団体の統率がとれず、救援が遅れました。

その反省から、災害対応を担う国の機関「市民保護局」を設置。そして、避難所の運営の仕組みも見直したのです。

テントやトイレなど、避難所で必要な資材は、国が中心となって全国の拠点に整備し、すぐに持ち出せる状態で保管しています。国の責任者によると、資材は250人ごとに80セット準備されていて、2万人の収容に対応できるといいます。

自治体でも備蓄は行っていますが、大災害のときには、国が地元自治体や関係機関と調整の上、この資材を送り出すのです。

 

市民保護局の倉庫
 

災害時に消防や軍、ボランティア団体などの各組織が何をいつまでに行うのかを記した国のガイドラインもつくられています。ボランティア団体は、24時間以内に食事の提供を目指すことになっています。

 

市民保護局 緊急事態管理部 ルイジ・ダンジェロ部長
「地震が発生したとき、私たちが最初に被災地に派遣するのは、捜索・救助のチームです。道路が寸断している場合には、代替ルートも探します。それと並行して、避難所を設営するチームも活動を始めます。発災後12時間以内には、避難所設営のチームが現地に向けて出発します」

 

市民保護局には、警察や消防などとともにボランティア団体の代表も詰めています。災害が起きるとすぐに被災した自治体の状況を確認し、支援の方針を決めます。

どこにどのような規模の避難所を設けるのか、専門家や消防が危険がないか確認した上で、ボランティアが現地に向かいます。
市民保護局 緊急事態管理部 ルイジ・ダンジェロ部長
「過去の地震では、避難所の設置を完了するのに数日間かかったこともありました。私たちもまだまだ学び改善しなければならないことがあります」
 

被災地では
私たちは、実際に避難所での生活を経験した人にも話を聞きたいと、2016年に大きな地震に襲われた街を訪ねました。

イタリア中部に位置するアマトリーチェは、マグニチュード6.0の地震で多くの建物が倒壊、239人が犠牲になりました。歴史ある建物が壊滅的な被害を受け、市の中心部ではいまも復興に向けた工事が続けられていました。

 

アマトリーチェ中心部
 

当時を知る人に話を聞くと、地震のあと、すぐに避難所が設置されたといいます。地震から4日後の映像には、広場にテントが整然と並んでいる様子がうつっています。

 

発災4日後の避難所
 

ファビオ・ダンジェロさん
「地震翌日は、さすがにパニーニなどの冷たい食事しか提供できませんでしたが、2日目からはパスタなどの温かい食事を提供できるようになりました」
実際に避難所に身を寄せた人に話を聞くと、避難生活に必要なさまざまなサービスが展開されていたことも教えてくれました。

 

 

避難所に身を寄せた住民 アンジェリーナ・レオーニさん
「すぐに簡易トイレが届きました。その後、トイレとシャワーが使えるようになり、お湯も出ました。小さな薬局も作られて、薬を手に入れることもできました」
さらに、郷土料理のパスタ・アマトリチャーナがふるまわれ、救われた気がしたといいます。
 

避難所に身を寄せた住民 アンジェリーナ・レオーニさん
「食事はすべておいしかったです。みんなで集まり、笑ったり、冗談を言ったりしました。避難所であっても、です。私たちは大災害に見舞われましたが、その1時間は地震のことを忘れることができました」

 

アマトリーチェ ジョルジオ・コルテッレージ市長
 

アマトリーチェの市長は、被災した自治体が、国や外部の助けを十分に得られるシステムは大切だと話してくれました。
アマトリーチェ ジョルジオ・コルテッレージ市長
「大災害のとき、私たちの市だけでは十分に動くことができません。災害が起きれば市の職員にも被災者や犠牲者が出ます。私たちの場合もそうでした。だから外部からの支援が必要なのです。そのために、国の市民保護局が存在しているのです」
避難者に寄り添う 温かい食事
今回取材した避難所の訓練では、ボランティアが実際に寝泊りすることで、避難した人たちが生活する環境の一端も経験します。私たちも一泊させてもらうことにしました。

まず参加させてもらったのは食事。会場には、巨大な食堂のテントが作られ、テーブルや椅子が並べられています。

 

食堂
 

驚いたのは、スタッフが、ひとの間を行き交いながら配膳してくれることでした。

被災した人たちが長い列に並ばなくてすむようにしているといいます。ゆっくり座って料理を待つことができ、避難者をいたわろうとする気持ちを感じました。

 

 

この日の食事はパスタと肉料理。実際の避難所でも、毎日昼と夜は、2皿は出すようにしているといいます。

私も、一口ほおばると、本格的なレストランで味わうかのようなおいしさ、そして、その温かさに、思わず「ボーノ」とうなりました。

 

 

高齢者や食事に制約がある人にも対応するといいます。

キッチン担当のフランチェスカさんに聞けば、これが当たり前なのだと答えてくれました。

キッチンの責任者 フランチェスカ・アンブロジーニさん

キッチンの責任者 フランチェスカ・アンブロジーニさん
「家を失ったり、大災害にあったとき、心の慰めとなり、安らぎとなるのがまず食事なんです。温かい食べ物は体も温めてくれますが、心も温めてくれますから。被災した人が家にいるかのように感じてもらえたらと思っています」

テントで一晩過ごしてみたら…

食事のあとは、テントでの宿泊も経験させてもらいました。シャワーを浴び、横たわると、簡易ベッドのおかげですぐに寝付けました。

しかし、夜中、同じテント内の誰かのいびきで目が覚めてしまいました。雨も降り始め、テントに雨音が響いていて眠れなくなりました。

翌朝、再び取材を始めようとすると、体が重く疲れが抜けていないことに気が付きました。ベッドがあるとはいえ、普段とは異なる環境で暮らすことは、体力を奪われるものなのだとあらためて気づかされました。

そのことを、会場設営の責任者クリスティアーノさんに伝えると、こんな答えが返ってきました。

ボランティア団体「アンパス」 会場設営の責任者 チェキーニ・クリスティアーノさん
「この体験は、国民にどんな不具合が生じるのかを理解するために役に立つと思います。プライバシーもなく、他人の物音で目覚めてしまうような環境をボランティアも経験することで、不便な生活においてどんな困難があるかを知ることができるんです。この活動が始まったときにはテントは今のような物ではありませんでした。寒くて、設営にも時間がかかり、もっと不便なものでした。今では快適さが増し、改善されています。常に改善を続けているのです」

日本の専門家は

イタリアの避難所から日本は何を学ぶべきなのか。避難所・避難生活学会の榛沢和彦医師は、「国が中心となった支援」のあり方だといいます。

新潟大学 特任教授 榛沢和彦医師

新潟大学 特任教授 榛沢和彦医師
「イタリアでは、大災害のとき、国が中心となって調整を行い、被災地の外から、“ひと”と“もの”を送り込み、避難所を運営します。一方、日本でも国によるプッシュ型支援などの取り組みが始まっていますが、避難所の運営主体はあくまで市町村や住民です。そのため、現場は頑張っていても、市町村ごとの予算規模や人員によって差が出ており、市町村の職員は自らも被災した中で運営に当たっているのが現状です。日本でも“市町村中心の避難所支援”から、“国中心の避難所支援”へと変わることが必要だと思います」

そして、何よりも、避難所をどんな場所にしていくのか、社会全体で議論していくことが必要だといいます。

新潟大学 特任教授 榛沢和彦医師
「避難所は耐えしのぐ場所ではなく、元気になる場所であるべきです。イタリアの人たちは“避難所で命と健康を守ることは、復興へ向かうための早道でもある”と話していました。日本でも、ひとりひとりが“こんな避難所がほしい”と声を上げていくことが大事です」

取材を終えて

東日本大震災が起きたとき、取材をさせてもらった避難所では、冷たい体育館の床で休み、小雪の中で食事の列に並ぶ人たちの姿がありました。また、自らも被災した自治体の職員が避難所の運営に奔走するのもみてきました。今回の取材を通して、自分たちの中でも、非常事態だからそれで当たり前と思っていた部分があったと気づきました。

取材中、印象に残ったのが、ボランティアたちが口にしていた「ベネッセレ(精神的な健康や快適さ)」という言葉です。「避難所を少しでも快適な場所に近づけることで、心とからだの健康を取り戻してもらいたい」と多くの人が話していました。避難所という場所のとらえ方の違いにはっとさせられました。

「避難所をどんな場所にしたいのか」
私も考えながら、今後も取材を続けたいと思います。

(「国際報道2024」「おはよう日本」で放送)

「国際報道2024」キャスター
栗原望
東日本大震災後に福島局で勤務
原発避難について調査報道番組を制作
その後も、報道リポーターとして災害現場を取材

 
 

能登半島地震 あすで7か月 今も農業用ハウスで避難続ける人も

 
 
能登半島地震の発生から8月1日で7か月です。石川県輪島市では今も仮設住宅に入居できず、農業用ハウスで避難生活を続けている人たちがいます。

輪島市の保靖夫さん(70)は市の中心部から4キロほど離れた長井町で暮らしていましたが、元日の地震で自宅が全壊したため、野菜を栽培していたハウスに避難しました。

近くの公民館に避難することも検討しましたが、多くの人たちが集まっていたため、近所の人たちも含め30人ほどで農業用ハウスでの避難生活を続けました。

その後、仮設住宅に入ったり市外に移り住んだりした人たちもいますが、保さんたち2世帯3人は仮設住宅への入居の順番を待ちながら今もハウスにとどまっています。

暑さが厳しくなっているため、天井にシートを使って直射日光を遮ったり、扇風機を使ったりしてしのいでいて、夜は災害用に開発されたテントのような小屋で寝ています。

もうしばらくは農業用ハウスでの生活を続けることにしていますが、仮設住宅に入居できない状況が続けば避難所となっている近所の公民館に移ることも考えているということです。

保さんは「仮設住宅に入るのが待ち遠しいです。いつごろになるのか連絡があれば安心できるし、それまで頑張ろうと思えるのですが」と話していました。

石川県内ではおよそ6800戸の仮設住宅が必要とされていて、30日の時点で8割ほどにあたる5498戸が完成しましたが、残りの一部はことし11月までかかる見通しです。