「立憲と維新の薩長同盟が必要」前原氏が立憲・泉代表との会談で呼びかけ 相次ぐ党首会談の先に野党連携実現は

 
前原がまだ野党の枠内に存在していると勘違いしている。完全に維新に吸収され貧相な様子に落ちぶれている事をまったく感じていない宇宙人の様な前原。
神がかりのように延々と話すが、時代錯誤というか生まれてきた時代を間違ったと言って良い「おかしな人間」としか言い様がない。
恥を知れって言いたいわ。「共産党潰し」に躍起になっている賤しい人💢
 
立憲民主党の泉代表は今週、次の衆院選や選挙後の連携構築に向け、日本維新の会の馬場代表ら野党各党のトップとの会談を重ねた。そうした中、「立憲と維新の薩長同盟が必要だ」という提案が泉氏に投げかけられていたことがFNNの取材でわかった。世論調査でも、次の衆院選後の政権について自公政権の継続よりも野党による政権交代を求める声が上回る中、両党の連携の行方に注目が集まっている。

泉代表が野党党首と連続会談、6月には前原氏とも
泉代表は7月22日、立憲を支援する労働組合の中央組織「連合」の芳野会長を交えて国民民主党の玉木代表と会談した。そして翌23日に日本維新の会の馬場代表、25日には社民党の福島党首と相次いで会談した。
一連の会談を終えた泉氏は、「党として次の政権に向かって準備をしていくことの一環だ」と強調した上で、「新しい政権は現実路線でやっていくことを各党に伝えなくてはならない。非常に価値のあることだ」と語った。

実は、泉氏による野党連携の構築に向けたこうした動きは、2カ月近く前から始まっていた。FNNの取材で、泉氏が6月3日、教育無償化を実現する会の前原代表と会談していたことが判明した。
 
前原氏が提案した令和の薩長同盟
関係者によると、会談で前原氏は「立憲と維新の薩長同盟が必要だ」と泉氏に呼びかけた。泉氏もこれを否定せず、次の衆院選の候補者調整について「譲れるところは譲るべきだ」との考えも共有したという。

薩長同盟とは江戸時代末期の1866年、それまで反目し合っていた薩摩藩と長州藩との間に結ばれた同盟だ。土佐藩出身の坂本龍馬らの仲介で、薩摩藩の西郷隆盛・小松帯刀と長州藩の桂小五郎(後の木戸孝允)が会談して、両藩の同盟を結んだものだ。これにより徳川幕府への倒幕運動が大きく進み、明治維新を成し遂げる大きな転換点となった。

立憲と維新は政策や自民党に対する立ち位置などの違いから反目し合ってきたが、前原氏は、自民党に代わる政権の構築に向けて、立憲と維新の協力が必要だとして、自らが両党の仲介に努めていく考えを示した形だ。

この会談から約1カ月半。泉氏は維新・馬場氏との会談翌日の記者会見で、馬場氏との約3時間半という長時間に及んだ会談を次のように振り返った。

立憲民主党・泉代表:

維新は現時点で「自分たちが政権を担う力はない」という考え方を持っているので、政権を共にするとの考え方を示すことはなかった。自民党と立憲に対して、現時点では「等距離」。選挙結果でどこが過半数を得るかにらみながら、維新の政策をどう進めていくか考えている印象があった。

維新は現時点では立憲との連携には踏み切る気はなく、自民党と連携する可能性も視野に入れているとの認識を示した形で、立憲・維新の連立政権は簡単ではないことがうかがえる。

一方、幕末の薩長同盟の実現も難航したが、薩長両藩や坂本龍馬らの徳川幕府体制への強い危機感を背景に、薩摩藩による長州藩のイギリスからの武器購入の手助けなどを通じて信頼関係を深めて、同盟にこぎ着けたという経緯がある。

自民党派閥の裏金事件による自民党政治への不信の高まりは、幕末の徳川幕府への不信感とも重なる部分があるかもしれない。そうした中で、今後、立憲と維新が信頼関係を深めるようなプロセスや、政策の違いについて折り合えるような議論を経た上で、衆院選前の候補者のすみ分けや、衆院選で自公が過半数割れした場合の連立政権に踏み切るところまでたどり着くのかどうか。今後の動向に注目が集まりそうだ。

(フジテレビ政治部 木村大久)