大阪万博の影で苦しんでいる方がおられる…。狂っていると思いませんか?維新の姿勢「分断と差別」そのものです。

 


 

 朝食はせんべい1枚で、トイレには大便があふれ、新型コロナなどの感染症に約30人がかかった――。1月に起きた能登半島地震の初期の避難所について証言を集めると、命の危険につながりかねない状況だったことが浮かび上がった。

 

 最大617人が身を寄せた石川県輪島市の大屋小学校。市内に48ある指定避難所の一つだが、水や食料などの備蓄が一切なかった。

 避難所の「本部長」を務めた建具店社長の沢田英樹さん(62)によると、地震翌日の1月2日、被災者で水を分け合ったが、1人分はコップ半分ほどだった。コメも集めて炊いたが、1人分は握り飯ピンポン球1個分だった。

 

 支援団体の記録によると、1月10日は昼食が焼き鳥の缶詰1個、夕食は乾燥米。11日の朝食はせんべい1枚だった。

 トイレは数日で大便があふれ、有志が大便をおたまですくってゴミ袋に移した。

 衛生面の課題を抱える中、1月中旬には避難所内で新型コロナやインフルエンザ、ノロウイルスなどの感染症が広がり、約30人が症状を訴えた。

 感染症を防ぐために不可欠とされる段ボールベッドを設置し、土足禁止のゾーン分けができたのは2月初旬だった。

 沢田さんは怒りをこめて振り返る。「自分たちの命は自分たちで守ろうと必死だった。でも途中でもう無理だと何度も思った。俺たちは見捨てられたのか、と」

 能登半島地震では、避難生活の負担などで亡くなったとして、計30人が災害関連死と5月に認定された。避難所での新型コロナなどへの感染後に死亡した3人のほか、9人が避難所生活を経て、肺炎を患うなどして死亡していた。

 災害関連死の認定は今も続いている。朝日新聞の取材では、少なくとも148人の遺族が輪島市など6市町での認定を待っている。(赤田康和、近藤咲子)

 

 

<視点>食品配布会に長い列 行政は困窮者の声聞け 中村真暁

 
 
 毎週土曜の昼過ぎ、東京都庁前にはとてつもなく長い行列ができる。認定NPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」(新宿区)などが開く無料の食品配布会。「ありがたい」「ここがあってよかった」。物価高が続く中、みな安堵(あんど)の表情で米や果物が入った袋を受け取っていく。

 ここに通い始めた2019年は、100人以下の列だった。それが新型コロナウイルス禍に見舞われ、仕事や住まいを失う人が増えて利用者が急増。コロナの5類移行から1年以上たつが、最近も700人前後で推移し、今年5月下旬には過去最多の800人が訪れた。08年のリーマン・ショック後、日比谷公園に設けられた「年越し派遣村」の約500人も大きく上回る。
 
 利用者の様相も多様化した。以前は路上生活などの中高年男性がほとんどだったが、コロナ後はアルバイトを掛け持ちする若者や、足を引きずって歩く高齢者、赤ちゃんを抱っこする女性も来ている。それぞれが抱える困窮の背景も家庭内暴力や職場でのパワーハラスメント、介護離職などさまざまで、今まで隠れていた貧困の実態が露呈したようだ。

 生活保護が必要な人のうち、利用するのは2割という国の推計があるように、必要な社会保障制度を利用できていない人も多い。制度の存在自体を知らなかったり、利用に後ろめたさや恥ずかしさがあったりして、「自分の力で何とかしなければ」と思い込んでしまっている。中には相談に行った役所で職員に差別的な視線を向けられ、追い返された人もいた。

 配布会の光景が「普通」の状態として捉えられ、対処されないままほっておかれるのではないか―。にぎわいを取り戻す街中と比較し、最近はそんな不安が募るばかりだ。寄付で成り立つ配布会場のまさにその場所では、24年度に9億5000万円の都予算が計上されたプロジェクションマッピングが行われている。公的機関が果たすべき役割を考えると、違和感を抱かずにはいられない。
 そこで、都や区などの自治体職員に呼びかけたい。せめてこの場所で、相談会や生活保護申請を受け付けてもらえないか。配布会は困難さと直面している人々に出会えるチャンス。平日日中に役所へ行けない人や、役所に心理的なハードルがある人は多い。都庁周辺に限らず、同様の支援活動を行っている最寄りの場所でもいいだろう。市民が自ら申し出なければ制度を使えない「申請主義」から前進し、共助から公助につなげるきっかけを生み出せないか。

 この春、人々とともに生活課題に取り組む社会福祉士の資格を取った。社会的に排除された人々の解放を促すことが責務の一つ。それは、ジャーナリズムの役割とも重なるように思う。記者として、社会福祉士として地べたから発せられる声に、耳を傾け続けたい。