「部屋は血の海になっていた」首相側近・木原誠二氏、妻の元夫が自宅で“謎の不審死”…“捜査一課・伝説の取調官”が明かす《木原事件》の全容

 
この事件と共に会計して貰いたい問題がある。それは維新馬場代表の「社会福祉法人の乗っ取り」「ドレミ福祉会」の理事長に就任しているのだが、馬場氏が同法人の設立者である高齢女性の認知機能の低下を把握しながら成年後見制度を利用することもなく、自筆証書遺言を書かせたり任意の財産管理契約をさせていたという事件である。国会議員は特権階級ではない。しっかりと調査するべきだ。
 
 
 2006年4月10日、都内の閑静な住宅街で一つの「事件」が起こった。その日、不審死を遂げた安田種雄さん(享年28)は、木原誠二前官房副長官の妻X子さんの元夫である。事件当時、X子さんは「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述したという。通称「木原事件」と呼ばれるこの“怪死事件”を巡り、1人の元刑事が週刊文春に実名告発をした。
 
「はっきり言うが、これは殺人事件だよ」

 木原事件の再捜査でX子さんの取調べを担当した佐藤氏は、なぜそう断言するのか。実名告発に至った経緯とは――。ここでは、佐藤氏が「捜査秘録」を綴った『 ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録 』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。

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文春に掲載された「木原事件」の記事に驚いたワケ
「週刊文春」の記者から初めて接触があったのは、2023年の7月13日のことだった。記者は直接、俺のところにきたわけではなかった。以前、住んでいた家の隣人のもとを訪れて、名刺を置いていった、と連絡があったのだ。用件が何かはわかっていた。俺は文春にあの話をするべきかどうか、しばらく考えていた。

 後に「木原事件」と呼ばれることになる事件を報じた記事が「週刊文春」に掲載されたのは、その1週間ほど前のことだった。

 当時、すでに警察官を退職して1年が過ぎていた俺は、ときおり市役所の人材センターでアルバイトのような仕事をしていた。お金には困っていないから、旅行をしたり、パチンコに行ったり、しばらくのんびりしようと考え、毎日を過ごしていた。

 そんな日々のなかで、刑事をしていた頃の記憶も、だんだんと過去のものになろうとしていた。ところが、文春に掲載された「木原事件」の記事は、そんな俺にとっても驚くべきものだった。というのも、警察内部の誰かがリークをしなければ、決して書くことのできない記事だったからだ。

佐藤氏は再捜査で重要参考人の取調べを行っていた
 記事は〈岸田最側近 木原副長官 衝撃音声 「俺がいないと妻がすぐ連行される」〉と見出しを打ち、2006年に起きたある殺人事件――一度は「自殺」とされた殺人事件―が、12年後に再捜査された際の詳細が報じられていた。

〈伊勢国の玄関口として栄えた愛知県名古屋市のベッドタウン。2018年10月9日、澄んだ空を射抜くように複数台のバンが商業施設に滑り込んだ。その日の最高気温は27度。夏の残り香が漂う中、後部座席を降りた警視庁捜査一課の捜査員らは、隣接する分譲マンションの4階を目指す。築12年、約80平米の部屋には、老夫婦がひっそりと暮らしている。捜査員の1人が手にしていたのは捜索差押許可状。そこには「殺人 被疑事件」と記されてあった。
 
「この日、家宅捜索が行われたのは、06年4月10日未明に覚知した不審死事件に関するものだ。本件は長らく未解決の扱いだったが、発生から12年が経過した18年春に、未解決事件を担当する捜査一課特命捜査対策室特命捜査第一係が中心となって再捜査に着手していた」(捜査関係者)〉……。

 そう始まる記事を、俺は眼を皿のようにして読んだ。なぜなら、自分自身がその再捜査で重要参考人の取調べを行い、捜査にも深くかかわっていたからだった。

「部屋は血の海になっていた」安田種雄さん不審死事件の全容
 不審死事件の内容は次のようなものだ。

 ――2006年4月10日、都内の閑静な住宅街で、ある「事件」が起こった。その日、不審死を遂げたのは風俗店に勤務する安田種雄さん。警察に通報したのは、貸していたハイエースを深夜に返してもらおうと、その家を訪れた種雄さんの父親だった。

 父親が種雄さんの家に着いたとき、玄関のドアは開いたままになっていた。電気の消えた2階の居間には種雄さんが横たわっており、寝ていると思った父親は「おい、この野郎。こんなところで寝たら風邪ひくぞ」と体を揺すって起こそうとした。ところが、足の裏に冷たいものが伝ったのを感じ、照明のスイッチを点けると、部屋は血の海になっていた。そして、眼下には、タンクトップを血に染めた種雄さんの遺体があった。

 通報時刻は10日の午前3時59分。すぐに管轄である大塚署員が駆けつけた。その際、種雄さんの妻であるX子は子供2人と2階の奥の寝室で寝ていたといい、「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述した。

 警察の当初の見立ては覚醒剤乱用による自殺ではないかというもので、その理由は、2階のテーブルと作業台の上に覚醒剤が入ったビニール袋が発見されたからだった――。

 俺は「週刊文春」の記事を読みながら、「異様な終わり方」をしたこの事件をめぐる再捜査の様々な場面が脳裏に浮かんでくるのを感じた。

 捜査はX子の聴取が行われていた2018年10月、国会が始まるタイミングで消え入るように終わった。俺は国会が閉会すれば再び捜査が開始されると思っていたが、結局、捜査が本格的に再開されることはなかった。
 
捜査一課時代の上司から「文春読んだ?」と電話が…
 それにしても――と俺は思った。

「週刊文春」の記事はこの事件の捜査が辿った経緯を、あまりに詳細に伝えていた。何しろ、捜査を行っていた俺ですら5年が経ち、すでに記憶があやふやになっていたそれぞれの捜査の日付が、記事のなかでははっきりと正確に断定されている。そんなふうに日付を断定するのは、報告書や捜査官のメモなどの裏付けがなければ絶対にできない。

「じゃあ、誰が喋っているんだろう」

 俺が知人から文春の記者の連絡先を伝えられたとき、電話をしようと考えたのは、そういう好奇心からだった。

 そもそも、事件を報じた「週刊文春」の記事の存在を俺に知らせてくれたのは、捜査一課時代の上司だった栗本徹係長(仮名)だった。2023年7月初旬のことだ。

 電話をかけてきた栗本係長は言った。

「文春読んだ?」

「いや、読んでいません。何ですか?」

「あの事件のことが載っている」

 この時点では、俺はまだ「週刊文春」が事件を報じたことを知らない。すぐにYouTubeで雑誌の内容を配信している番組を見た。

「もしかして、リークしたのは栗本さんじゃないんですか?」

「違う。でも、何だか俺が疑われちゃっているみたいでさ」

リークしたのは自民党の幹部か管理官なのでは
 警察内部でも、文春の記事は、すでにそれだけ話題になっていたという。

 情報の出所はどこなのか。俺の見立てでは、後に岸田文雄政権で官房副長官を務めることになる自民党の木原誠二氏が、事件の参考人だったX子の夫であったことから、おそらく警視庁の管理官が自民党の幹部に説明した資料が漏れたのではないか、というものだった。政治家が絡んでいる案件では、上に「捜査を進めていい」という許可を取ることがあるからだ。

 その際に“交換条件”として、捜査の報告が行われる。だから、リークしたのは自民党の幹部か管理官なのではないか……。実際、この事件では捜査の中止が告げられた後も、上司から「資料を見せて欲しい」といった要求があった。
 
 

「はっきり言う、これは殺人だ」木原誠二氏妻の元夫“怪死事件”に驚きの新事実が…“捜査一課・伝説の取調官”が週刊文春に実名告発した経緯

 
 
 2006年4月10日、都内の閑静な住宅街で一つの「事件」が起こった。その日、不審死を遂げた安田種雄さん(享年28)は、木原誠二前官房副長官の妻X子さんの元夫である。事件当時、X子さんは「私が寝ている間に、隣の部屋で夫が死んでいました」と供述したという。通称「木原事件」と呼ばれるこの“怪死事件”を巡り、1人の元刑事が週刊文春に実名告発をした。

「はっきり言うが、これは殺人事件だよ」

 木原事件の再捜査でX子さんの取調べを担当した佐藤氏は、なぜそう断言するのか。実名告発に至った経緯とは――。ここでは、佐藤氏が「捜査秘録」を綴った『 ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録 』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)

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実名告発した理由
 なぜ俺は実名で告発することにしたのか。その理由は、文春の記者が書いた、記事の次の記述に尽きる。

 少し長いが、記事から引用したい。

〈佐藤氏に電話で再三協力を呼びかけたところ、深い溜息の後、感情を吐露したのだ。

「警察庁長官のコメントは頭にきた。何が『事件性はない』だ。あの発言は真面目に仕事してきた俺たちを馬鹿にしてるよな」

 佐藤氏が言及したのは、その数日前の7月13日に開かれた、露木康浩警察庁長官の定例記者会見のこと。露木長官は、種雄さんの不審死について、こんなコメントを残していた。

「適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」

 佐藤氏は一呼吸し、吐き捨てるように言った。

「事件性の判断すらできないのか。はっきり言うが、これは殺人事件だよ。当時から我々はホシを挙げるために全力で捜査に当たってきた。ところが、志半ばで中断させられたんだよ。それなのに、長官は『事件性が認められない』と事案自体を“なかったこと”にしている。自殺で片付けるのであれば、自殺だっていう証拠をもってこいよ。(文春の)記事では、捜査員が遺族に『無念を晴らす』と言っていたが、俺だって同じ気持ちだよ」
 
 さらに佐藤氏の口から零れたのは、後輩たちへの偽らざる思いだった。

「あのとき捜査に関わった30人以上のメンバーは誰しも、捜査を全うできなかったことで今でも悔しい思いをしている。文春の記事を読めば、現役の奴らが並々ならぬ覚悟で証言しているのがよく分かるよ」

 そして――。

「俺は去年退職して、第一線を退いた。失うものなんてない。職務上知り得た秘密を話すことで地方公務員法に引っかかる可能性がある、だ? そんなことは十分承知の上だ。それより通すべき筋がある。現役の奴らの想いもある。もう腹は括った。俺が知っていること、全部話すよ」

 こうして“伝説の取調官”は、ポロシャツにチノパン姿で小誌取材班の前に現れた。粗野な口調には時に温かさが滲み、穏やかな眼光は時に鋭さを見せる。そんな佐藤氏への取材は、5日間、計18時間にわたった。

 仲間たちが作った捜査資料を必死の思いで読み込み、全身全霊でX子さんと向き合った佐藤氏の記憶は、約4年9カ月が経った今でも詳細で鮮明だった。そして、そこから浮かび上がったのは、驚くべき新事実の数々だった〉

佐藤氏が考えた記者会見の「勝算」とは?
「木原事件 妻の取調官〈捜査一課刑事〉実名告発18時間 木原は『俺が手を回したから』と妻に…」と題された記事が掲載された「週刊文春」は7月27日に発売された。

 同誌の竹田聖編集長と片岡侑子デスクから「実名で記者会見をしないか」という提案を受けたのは、その前日のことだ。俺はその提案を二つ返事で受けた。

 記者会見に臨むに当たって、俺の頭の中にあったのは、「事件性はない」という露木長官の見解に議論を呼び起こすということだった。

 まず、この事件が「立件票」が交付された「事件」であること。それを俺が実名で伝える。そのことによって、露木長官と俺の「どちらかが噓をついている」という状況を作り出せるだろう、と考えたのだ。

 俺には勝算があった。それは、俺が警視庁の元警部補として実名で記者会見を行い、事件に関する情報を喋れば、その行為について「地方公務員法違反の“秘密の漏洩”に当たる」という声が上がるだろう、ということだった。
 
「俺はこの事件は殺人事件だと考えている」
 なぜ、地方公務員法違反が「勝算」になるのか?

 それは、この事件に関する「秘密」とは何かという問題に関係しているからだ。

 俺が地方公務員法違反に問われるケースとは、安田種雄さんの事件に関する「秘密」を喋った場合である。

 改めて言うまでもないことだが、俺はこの事件は殺人事件だと考えている。その前提で「週刊文春」の取材にも応じているし、記者会見にも臨んだ。

 一方の警察トップである露木長官は「事件性はない。適正に警視庁が捜査」したと語っている。

 事件を巡って、俺と露木長官は、そもそもの前提が異なっているわけだ。

記者会見を行う前に恐れていたこと
 7月28日の記者会見で、俺は「この事件には事件性がある」ということを繰り返し述べた。その俺の話が警察の捜査情報=「秘密」であり、地方公務員法違反に当たるというのであれば、それはすなわちこの事件が「自殺」ではなく「殺人」だと認めることになる。俺を地公法違反で摘発する代わりに、露木長官は「事件性はない」という発言を撤回し、捜査を再開せざるを得なくなる。

 これが記者会見を行った目的の1つだった。

 逆に恐れていたのは、記者会見で「なぜそんなでたらめを言うのか」と記者に質問されたり、警察庁から「長官が『事件性がない』と正式に発表しているのに、なぜ佐藤は噓の会見を開くのか」というコメントが発せられることだった。その場合、露木長官が「真実」を言っていることになってしまい、俺は存在しないでっちあげの事件について語っていることになってしまう。

 そんなことを考えながら、俺は記者会見の当日を迎えた。

佐藤 誠/週刊文春出版部