日本の国民は、これから何十年かかけて、自民党バカ議員が犯した罪の責任を彼らの代わりに負って、そのツケを払うことになるのだろう。

 

 

 6月5日、厚生労働省は、2023年の人口動態統計を発表した。その内容は、極めて深刻なものだ。

 

 1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は1.20で過去最低を記録した。これまでの最低は22年と05年の1.26だったので、かなり大幅な低下だと言って良い。外国人を除く出生数は前年比5.6%減の72万7277人で人口の自然減は84万8659人だった。前年よりも5万人多い。人口はただ減少しているというだけでなく、そのペースが加速しているのだ。

 出生率の低下には様々な要因があるが、出産年齢の上昇もその一つだ。23年における第1子出生時の母の平均年齢は31.0歳となり初めて31歳台になった。上昇傾向が止まらない。

 また、日本では婚外子が少ないので、婚姻数が減ると出生数に直接響く。23年の婚姻数は、前年比6.0%減の47万4717組。50万組を戦後初めて割り込んだが、これにより、2~3年後の出生数を特に押し下げると予想されるため、少子化はさらに悪化する可能性が高い。

 このままだと日本の人口はどこまで減るのだろうか。

 国立社会保障・人口問題研究所の推計では、23年に1億2400万人だった日本の人口は56年に1億人を切り、70年に8700万人に減少することになっている。

 ただし、この推計は、70年まで出生率が1.36程度の横ばいで推移するという前提に立っている。「出生率が1.20で、しかも下がり続けると見込まれる」という現実との乖離は大きい。

 現に、今回の発表によれば、出生数は23年公表の国立社会保障・人口問題研究所の推計よりもおおよそ10年早いペースで減少していることになる。日本の人口は、今後もこれまでの推計よりもかなり速いスピードで減少するのは確実だと考えた方が良いだろう。

■形ばかりの子育て支援策

 人口が減少を続ければ、労働力人口が減り、成長率が下がり、税収も下がり、年金などを支える人口も減り、消費が減少し、社会全体の需要減が成長率低下に拍車をかけ、財政赤字が拡大し、国債発行が増え、円の信認が下がって円安が進み、輸入物価は上昇し、賃金は上がらず、国民生活は貧しくなり、いずれは経済が破綻する可能性が高くなる。ということが予想できる。

 人口減少を止めるには、子供の数を増やすか、海外からの移民を増やすか。どちらか、あるいはその両方を進めなければならない。これは自明のことだ。

 政府ももちろん、そんなことはよくわかっている。

 そこで、岸田文雄政権は、子育て支援策を推進すると言って、23年4月にこども家庭庁を設置した。ただし、これによって何かが大きく変わったということはなく、子ども関連の政策のうち、内閣府や厚労省が担ってきた事務を一元化するというものにとどまり、文部科学省などの子ども関連政策の統合は同省などの反対でできなかった。これだけではほとんど意味がないものだったのだ。

 厚労省の人口動態統計が発表されたのと同じ6月5日には、子育て支援のための実質的な政策を進めるために、子ども・子育て支援法の改正法が成立した。その内容の紹介は省略するが、子育て世帯への様々な給付の拡大が実施される。現金給付のほか、働いていなくても保育園を利用できるというようなサービスの拡大も含まれていることが喧伝されている。

 しかし、子育て世代の若者からは、この程度の給付では不十分だという批判があり、専門家からもこれで出生率が上がることは期待できないという声が大半だ。

 

■子供を持つべきという男女が大幅に減少

 実質賃金が下がり続けていてはとても子どもを持とうという気持ちになれないだろうし、働き方改革や女性活躍の環境整備も中途半端なままだ。学校教育の費用や過剰な受験戦争も重い負担となっている。さらに社会保障を含めた将来不安、戦争準備が進み徴兵制が導入されるのではないかという不安など、障害を挙げれば限りがない。

 そうした負担や不安を取り除いたとしても、そもそも結婚したくないとか子供を持ちたいとは思わないという人も増えている。

 21年の出生動向基本調査によると「いずれ結婚するつもり」と答えた未婚者の割合は15年調査と比べ男女ともに5ポイントほど減少した。「結婚したら子どもを持つべき」と答えた人も男性で20.4ポイント、女性では30.8ポイントも減っている。

 古くからあった、「人は、いつかは結婚し、子どもを産み育てるものだ」という固定観念は崩壊していると見るべきだろう。

 もちろん、結婚したい、子どもが欲しいという人たちのためにその障害を取り除き、支援策を講じることは必要だが、それだけでは、出生率を大きく上げるところまでは行かないのが現実なのだ。

 子どもを産み育てるかどうかは、もちろん、個人の選択の問題である。したがって、政策的に子どもを産み育てる障害を全て取り払っても子どもが減り続けるのであれば、それは個人の自由な選択の結果だから、決して悪いことではないと考えて受け入れるべきなのかもしれない。

 その場合は、人口減少を前提とした社会の維持を考えるということになるが、これは極めて難しい課題だ。というのは、例えば介護一つだけを取ってみても、目の前で団塊の世代が後期高齢者になっていき、大量の介護難民の発生、老老介護、介護離職、さらにはヤングケアラーなどの問題が深刻化して、経済社会が回らなくなるのではと危惧されている。

■人口減少、少子化…でも移民は反対の矛盾

 そこで、強力な政策的誘導策で、「子どもを産まなければ損」というような状況を作り出すのかどうか、真剣に考えることが必要になる(もちろん、その社会的効果が出るのは20年先ということにはなるが)。

 子どもを1人産んだら1000万円給付、2人目は2000万円給付などということができれば効果はあるのではとも思うが、そのための費用は年間7兆円以上になり、財源(最終的には増税)確保に合意を得るのは容易ではない。

 結局のところ、今から、少子化が止まらないという前提で社会の仕組みを作り変えていくしかないのだ。

 その際、最も重要なテーマは、移民の受け入れの拡大と移民人口増大を前提にした新しい社会の構築である。

 自民党の保守派の議員たちは、移民受け入れを正面から認めることに反対している。あくまでも、人手不足対策としての「労働力」導入対策として外国人を見ているのだ。

 しかし、そのような狭量な了見のままでは、今日のように外国人の人権侵害が横行して世界から批判される状況は改善できないし、経済停滞の中での円安進行もあって、外国人に選ばれない国となり、移民を大量に導入することにしても必要な数だけ移民が入ってこないということになってしまうだろう。

 私がかつてインタビューした著名な投資家、ジム・ロジャーズ氏はこう述べている。

 「子を生まず、移民を受け入れることも嫌なのであれば、生活水準の低下を受け入れるしかない」

 「ところが、……日本人は、現状を維持したいと思っている。……そのためにお金を借りて生活水準を維持しているのが日本の現在の姿だ」(以上、『日本への警告』講談社+α新書)

 「このままいけば日本は50年後か100年後にはなくなってしまうかもしれない。日本人はいなくなり、日本語は話す人がいなくて滅んでしまっているかもしれない」「日本が豊かになるには移民を受け入れるほかない」(以上、『ジム・ロジャーズ お金の新常識』朝日新聞出版)

 また、フランスの賢人で歴史人口学者のエマニュエル・トッド氏も、

 「人口問題は、数十年の潜伏期を経て一気に発現してきます」

 「人口減少は日本にとって最大にして唯一の課題です」と警鐘を鳴らしている。そして、「移民受け入れ」と「少子化対策」は二者択一の問題ではなく、双方を同時に進めるべきだと断言している。(以上、『老人支配国家 日本の危機』文春新書)

 いずれも、日本にとって非常に参考になる言葉だ。

 

■「人口減少問題」より「お金」の議員

 移民を本格的に受け入れるとなれば、議論すべき論点は山のようにある。しかも答えを出すのが極めて難しい難問ばかりだ。

 実は、人口減少問題は、30年前から議論されてきた。私が経済産業省の課長補佐だった1990年代初めには、「長期ビジョン」の議論が盛んだったが、その検討の中で、私たちも議論を始めていたのをはっきり記憶している。

 しかし、これまでの30年間、自民党の時代錯誤の排外主義的移民反対主義者たちが存在していたため、彼らの反対をうまくかわしながら、外国人を建前上は「単なる労働力」「短期滞在者」としてのみ受け入れるという弥縫策に終始してきた。

 また、少子化問題も、選挙のための人気取りとしての給付政策ばかりで、女性活躍や男性の働き方改革、さらには家庭の負担を社会で分かち合うという構造的な改革を避け続けてきた。

 少子化問題は、防衛力強化などよりもはるかに国家安全保障にとって重要だということに自民党のおっさん議員たちはいまだに気づいていないように見える。

 彼らは、これほど深刻な少子化を前にしても、武器弾薬を増やせば国家を守れると考えているようだ。まさに「お花畑に住む人々」と言って良いだろう。

 そして、彼らの最大の関心事は、いかにして領収書なしで使える金を守るかということ。そのために必死なのだ。

 「人口問題は、数十年の潜伏期を経て一気に発現」するというトッド氏の言葉は、今の日本にこそ当てはまる。本来なら、とっくの昔に手を打っておくべきだったということなのだ。

 しかし、危機感ゼロの自民党裏金執着議員たちに任せている限り、彼の言葉はなんの役にも立たない。

 もちろん、そんな議員を選び続けた国民にも大きな責任がある。

 日本の国民は、これから何十年かかけて、自民党バカ議員が犯した罪の責任を彼らの代わりに負って、そのツケを払うことになるのだろう。

古賀茂明