万博・カジノ問題や鯨処理費用不正疑惑、自民救済の政治資金規正法修正合意など、維新への批判が高まったことから国民の目先を変えようと3度目の大阪市廃止住民投票に言及。いい加減にしてほしい。

 

 

「男に二言はない」
吉村知事の辞書にはない言葉なんかな?

そういえば、奈良さんではない誰かの時も、市庁舎前のミャクミャク像が破損した際にも、玉川さん出禁の時も、万博無料招待の件も、自らの発言に対する責任を軽く考えてるところある…

 

 

 

これです。
高校生に浴びせたこの発言は一生許せません。

 

 

 

高岡達之氏、維新馬場代表の3回目の“大阪都構想”意欲に「普通は1回だろうというのがホンネ」

 
読売の解説者に言われまでに落ちぶれた維新。馬場や吉村、藤田、音喜多の余りにも汚い手法に呆れ返っているのが正直な気持ちであろう。「あいつらは異質な危ない集合体だ」って、今頃気がついたか。
 
 
読売テレビ特別解説委員の高岡達之氏が10日、同局の情報番組「かんさい情報ネットten.」に生出演。日本維新の会の馬場伸幸代表が3回目の「大阪都構想」に意欲を示したことについて言及した。

馬場氏は9日、「選挙ドットコム」のYouTube番組で、個人的な意見として「やらなければならない」「日本の国にとって必要」などと発言。法律を改正して投票権を大阪府民に拡大し、3度目の住民投票実施に意欲を示した。

番組ではこの発言について取り上げ、「しつこい。往生際が悪い」「全然かまわない」といった賛否両論の街の声を紹介。月曜コメンテーターの92年バルセロナ五輪女子アーティスティックスイミング銅メダリスト奥野史子さんも「20年の段階で吉村(洋文大阪府知事)さんが『もうやらない』とおっしゃったので、もうないものと思ってたので、『え?またやるん?』って、正直思ってしまいました」とストレートな感想をぶつけた。

番組では馬場氏の発言について、政党支持率が低迷する維新の現状を踏まえ、馬場氏が焦っていると分析。

さらに、吉村氏がこの日、「まずは万博」と25年大阪・関西万博に注力するとした上で、「その後は何が起こるか分かりません」と含みを持たせたことを受け、万博終了後、27年4月の吉村氏の知事任期満了に向けて「都構想」という目玉政策を必要とする可能性を指摘した。

高岡氏は「万博が無事に終われるかどうかすら先が分からない」とした上で、「住民投票っていうのは、本当に重い決断を皆さん個人個人がされてる。普通は1回だろうというのがホンネでしょう」と住民の思いを代弁していた。

 

「参加するというまで永遠にメールが来る」万博遠足反対の市長怒り爆発『学校単位』ではなく『個人』での招待求める

 
大阪・関西万博に子どもたちを無料で招待する事業を巡り、府内のすべての学校に訪問を希望するかの意向調査について意義を唱える大阪府交野市の山本景市長。

10日記者会見を開き、「あまりにも理不尽だし強権的。参加をするというまで永遠にメールを送り続けられる」と不満を訴えた。
 
大阪府は、万博に子供たちを無料で招待する事業をめぐり、府内のすべての学校に訪問を希望するかどうか、5月末までに回答を求めるアンケートを行った。

およそ9割の学校から回答があり、全体のおよそ7割が訪問を希望、およそ2割が「未定・検討中」だったことが分かっている。
 
■「学校単位で行かなくてもよい」と交野市長
しかし、会場へのアクセスや昼食を食べる場所などがあいまいで、学校現場から不安の声が相次いでいる。

交野市の山本市長は先月、「市内の小中学校は、現時点で参加意向がない」と明らかにしたうえで、「学校単位で行かなくてもよい」との認識を示していた。
 
■アンケートに訪問を「希望しない」は存在せず
このアンケートの選択肢には、万博に訪問を「希望する」もしくは、「未定・検討中」のみで「希望しない」が存在しない。

アンケートの回答期限後の今月3日、交野市で「未定・検討中」を選択した学校に1通のメールが届いた。

■訪問希望の『催促か』学校にメールが届く
 
 
メールには、訪問希望の場合は7日までに連絡の催促に加え「5月31日までに登録いただいた学校様を優先に割り付け致します」との記載があった。

意向調査のはずが、参加すると回答した学校が優遇されるように見える。

そして7日、来場希望を登録していない学校に対してさらに以下のような内容のメールが届いたのだ。

7日のメールでは、3日付けのメールについて「誤った表現がありましたこと心よりお詫び申し上げます」と謝罪し、5月までに回答した学校を優先に割り付けるという文面は無くなっている。

■「参加をするまで永遠にメールが送られてくる」と交野市長『学校単位は止めるべき』と主張
 
 
これについて10日、改めて記者会見を開いた交野市の山本市長は以下のように述べ、怒りをあらわにした。

交野市 山本景市長:
意向調査なんであくまでどれだけの人が利用するか見積もる調査のはずなのに、いつの間にやら申し込みに話がすり替えられていた。
『参加しない』という選択肢がないので、参加をするというまで永遠にメールを送り続けられる。催促されるのはあまりにも理不尽だし強権的

 山本市長は『参加しない』の選択肢を加えた意向調査をもう一度行うことや、学校単位の縛りを無くした希望参加にする考えを示している。

 

「残念石」が京都から大阪・夢洲へ、万博に巨石建造物のような大迫力のトイレ出現

 
大迫力のトイレって…何から何まで維新の思考回路が止まっている歩調に合わせて万博が」すすむ。凄いものが出来あがるぞ。未来を語る万博ではなくて「ここはどこでしょう?やたら広場があって簡易トイレに列が出来、何をしに来たんだろう」となること間違いなし。維新は万博はひと言で言うなら「どうでもいい」、失敗したら政府に責任を押し付ければいい『恫喝・恐喝・威嚇』でもしておけば政府は引っ込むとたかを括っている。維新の目標はあくまでも「カジノ」なのだ。
 
こういう記事が万博協会から綺麗な広報が流すのだ。全て税金、中身は自画自賛、「命が危うい」ガス爆発、台風襲来・大雨になると夢洲万博会場は陸の孤島となり帰れなくなることは一切書かれていない。
 
維新の手法「嘘とペテン」美辞麗句だらけの広報紙に要注意だ。
 
 
 高さは2.5〜3mと、大きなものは人の身長の2倍近くある。重さは7〜13トン。花こう岩の塊である巨石は、会場内で圧倒的な存在感を放っている。会場でたまたま巨石を見かけたパビリオンなどの関係者の中には、「巨石文明の建造物のようだ」「イギリスのストーンヘンジに似ている」といった感想を漏らす人がいたという。本物の石が醸し出す力強さを感じるのかもしれない。

 夢洲に巨石を運び込んだのは、3人の若手設計者チームである。小林広美氏(Studio mikke)と大野宏氏(Studio on_site)、竹村優里佳氏(Yurica Design and Architecture)だ。3人は共同で、若手設計者20組が万博会場内の合計20施設を設計する業務の公募に手を挙げた。審査の末、20組のうちの1組に選ばれた。

 3人はいずれも関西で活動している。小林氏と竹村氏は建築、大野氏は環境計画が専門だ。竹村氏は海外でも仕事をしている。

 設計することになったのは、会場の西工区①にできる「トイレ2」である。平屋建てで、延べ面積は60.54m2。構造は鉄骨造、一部木造だ。概要だけ見ると、どこにでもあるトイレが出来上がるように思える。
 
「トイレ2」を設計した3人。左から小林広美氏、竹村優里佳氏、大野宏氏(写真:小林 広美、大野 宏、竹村 優里佳)
 
↓ガス爆発が起きえる場所でもある
 
トイレ2は万博会場の「西工区①」にできる。大屋根(リング)に近い位置になる(出所:2025年日本国際博覧会協会)
 
 だが3人は大胆な提案を用意していた。それが冒頭で述べた残念石の利用である。トイレ2の設計コンセプトは、「いのちをもつ庭」とした。

 設計コンセプトの説明で3人は、「自然の力と人の手でつくられた石を人と同じように『いのちある存在』として建築に取り込み、いのちをもつ建築・庭をつくる。建築として生まれる場は、残念石と人の距離がこれまでより少し近いものになる」としている。こうして万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」を実現する。

 そもそも、残念石とは何か。今から約400年前の江戸時代初期、天下統一を果たした徳川幕府は「大坂城」を再建するため、各地の山から大量の石を切り出させた。近畿や中国地方を中心に、数トンの重さがある巨石が大坂城に向けて出発した。

 だが運搬の途中で石が落下したり、何らかの理由で使われないまま放置されたりする石も少なくなかったようだ。今なお、そうした石が関西エリアなどに数多く残っている。

 大坂城までたどり着けなかった石はいつしか、「残念石」と呼ばれるようになった。

 そんな残念石に3人は目を付けた。大阪で開催される万博に現代の建築物の一部として残念石を用いることで、400年の時を経て本来の目的地だった大阪に巨石が運ばれ、そそり立つ。そんな物語を描いた。

 石という自然素材を使うことにした背景には、大阪・関西万博ではサステナビリティーが大きなテーマになっていることが挙げられる。しかも万博のために石を切り出すのではなく、今ある石をそのまま使い、利用した後は元の場所に戻す。

 今回、夢洲まで運んだ残念石は、京都府木津川市が管理しているものだ。24年5月13日にトラックで京都から大阪まで運ばれた。残念石には、当時の藩の刻印や矢を使って切り出した時の痕跡である「矢穴」が残っている。400年前は石を切るのも運ぶのも全て人力だった。