新宿駅で声を上げる『デスノート』出演俳優の半径5mの空洞…仕事激減も「俳優は発言しないと存在意味がない」無関心を切り裂く“ボッチ”単独デモ「ガザでの大量虐殺を止めよ!」

 
たったひとりでも声を上げる人がいる。東京でも、北海道でも、沖縄でも。その姿を見て「やばい人」と思う人も少なくないだろう。その反応は、いまの社会を象徴している。古澤さんが自身を“異物”と表するように、ぼくたちの社会は、不都合な現実、目を背けたい事実、すぐに答えが出ない難題を「無関心」という被膜で覆い、見ないようにしているのではないだろうか。おかしいと思っても、その声を飲み込み、不正から目をそらしているのではないか。だが、「無関心」という薄っぺらい皮膜を切り裂く異物が異物でなくなるとき、本当の意味での自由や民主主義が実現できるのではないかと思う。
 
 
 
「Free Free Palestine!(パレスチナを解放せよ)」「Stop Gaza Genocide!(ガザでの大量虐殺を止めよ」)
 
東京の街角で声を上げ続ける俳優がいる。毎日。しかも、たったひとりで。

俳優・古澤裕介さん(48)

日本のほとんどのメディアは関心を示さないが、海外メディアに多く取り上げられるなど世界的に注目される存在になった。なぜなのか、会いに行った。(HBC北海道放送:山﨑裕侍)

■東京の街角で“ぼっち”単独デモ
古澤さんとの“出会い”はSNSだった。1月6日、ぼくが監督したドキュメンタリー映画「ヤジと民主主義 劇場拡大版」の感想を古澤さんがⅩに投稿してくれたのを発見し、リツイートした。古澤さんは「甲羅干し懸垂」というアカウント名だった。投稿された動画をクリックすると、最初は奇妙な映像だった。地面に置かれた画面には夜の繁華街の一角が映る。人ごみの向こうで何やら黒い服を着た人がメッセージボードを持って立っている。

“イスラエルによるガザ地区侵攻に反対の声を上げるため、たったひとりで東京の街角に立っている”

それが分かり、ぼくたちは互いにフォローしあうようになった。彼が「古澤裕介」という俳優だと知ったのは、しばらく後だった。

6月1日(土)、ぼくたちはJR新宿駅南口で待ち合わせした。予定時間に現れた古澤さんは、想像よりも背が高かった。「よろしくお願いします」と初めて対面するぼくに丁寧に挨拶する。仕事がある平日は夜に活動するが、仕事がない土日は日中に街角に立つ。去年10月のガザ侵攻が始まってから、毎日1時間立っているという。

古澤さんはカバンに入れていた紐のついたプラカードを首にかけ、スカーフをまいた。

「スカーフはパレスチナ民族衣装でクーフィーヤという抵抗のシンボルです」

準備をしていると外国人から次々と声を掛けられる。在日フランス人の女性は、プラカードを一緒に持ち記念撮影をした。日本の大学を卒業したばかりだというパレスチナ人の男性も、古澤さんと握手して、傍らで見つめていた。みな古澤さんのインスタグラムを見て、会いに来ていた。この活動をはじめてから古澤さんのインスタグラムのフォロワー数は13万5000人まで増えた。そのほとんどが外国人だという。

外国人と挨拶を終えた古澤さんは、おもむろに歩道の真ん中に立ち、声をあげはじめた。

「新宿駅ご通行中の日本人の皆様。パレスチナのガザ地区でいま多くの民間人がイスラエル軍の国際法違反、国際人道法違反の攻撃により、大量に殺されている」

「多くの民間施設が空爆され、病院が破壊され、学校が破壊され、決してやってはいけない戦争犯罪を何度も何度も繰り返し、ついに7ヶ月半も経ってしまいました」

■周囲の半径5メートルにできた“空洞”
土曜日の午後、華やかな服を身にまとった若者たちや旅行中の観光客でごった返す新宿駅南口改札前の歩道。古澤さんの姿をみて足を止める人はほとんどいない。一瞥して何事もなかったかのように歩き去るか、存在すらも視界に入っていないように通り過ぎる人たち。古澤さんの周囲半径5メートルにぽっかりと空洞ができていた。古澤さんの言葉の射線は、日本政府、そして日本人にも向けられる。

「我が国はG7先進7か国のひとつであるにもかかわらず、多くの日本人はガザ地区の惨状に対し無視を決め込み、他国で起こってることには関心を払わず、声を上げても意味がない。そして『戦争反対、人権侵害を止めろ』と声を上げたところで、何の効果もないと諦め続け、沈黙を続けているようですが、国際社会に生きる人間として沈黙するということは、このイスラエルの戦争犯罪に対し加担している。容認していると言われても文句は言えない状況です」

アメリカやイギリス、日本の大学生たちが抗議の声を上げている。連帯しよう。そう訴え続ける古澤さんの言葉は、温んだ休日の街の空気に、かすかな振動を起こしているようだ。だが日本人からの反応は薄い。手ごたえをどう感じているか質問すると、意外な答えが返ってきた。

「道行く人に『ぜひとも共感してくれ』という気持ちでやってなくて、自分という異物、鬱陶しい存在、『戦争反対』とか言ってるうるさい存在になりたいんですね。そのことによって、その人の脳裏に刻み込んでもらいたい。ただ平和的にやってると記憶に残らないと思う。あえて異物として存在するようにしてます」

■発言する義務が俳優にある…
去年10月7日、イスラム組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃から始まった今回のガザ侵攻。古澤さんは、ひとり自宅で新型コロナウイルスの後遺症のため寝込んでいた。そんなときテレビの画面から流れてくる悲惨な映像を目にして、心が処理しきれなくなったという。「街に出て自分の体をさらしてみよう」と思い、『大量虐殺を止めろ』というメッセージをプラカードに書いて、ひとりで立った。それが始まりだった。

舞台演劇から俳優をスタートした古澤さんは、ドラマ『デスノート』(日本テレビ)や『浅草キッド』(Netflix)、映画『闇金ドッグス』などに出演し、CMにも多く起用されている。ガザ侵攻への抗議活動をする理由には、俳優という要素も大きい。

「俳優という職業をしているため、人前で発言することは恥ずかしくない。自分の特性も生かして、ひとりで活動するというのもあったんです」

発言する義務が俳優にあると考えている。

「俳優のような人前に出る仕事をしてる人こそ、どんどん発信しなきゃ意味がないと思うんですね。文化というのは、政治や人々の暮らしとか、社会とか世界情勢、時代の流れに直結している。それに対して意見もできないのであれば、それは文化と言えるのか。俳優は発言しないと、存在する意味がないと思います」

■街角での単独デモを初めてから、俳優の仕事は激減
両親は政権与党を支持する保守的な考え方で、「俳優の仕事に差しさわりがある」として古澤さんの活動に反対しているという。案の定、街角に立ち始めてから、俳優の仕事はほとんどなくなった。それでも活動をやめるつもりはないという。

そんな古澤さんに海外メディアの取材が相次ぐ。アルジャジーラ、CNN、アラブニュース、トルコ国営通信…英語ができないため取材を断ったメディアも多いという。ぼくの取材で10社目。そのうち日本のメディアはHBC以外では「しんぶん赤旗だけ」と話す。

「でも、自分は取材を受けようと思ってはやっていなかった。まったく無視されても続けるつもりだった」

古澤さんを突き動かしているのは、単純な怒りではない。ある海外メディアから「日本人はことが過ぎたら、虐殺とかも忘れてしまいますよね」という言葉が心に刺さったという。

「迫害を受けながら国際社会から見放されてる人たちを、いままで知らぬ存ぜぬのふりをしてきたし、自分にはどうしようもないことだといって無視を続けてきたということを突きつけられた。この活動は止められない。今は年単位で続けようと思っています」

活動が終わりかけたころ、古澤さんに挨拶する若者がいた。古澤さんと同じスカーフを巻き、手には「パレスチナについて知ろう、話そう」「Free Free Palestine」「Stop Gaza Genocide」と書かれたダンボールの切れ端を持っている。彼もまたひとり、抗議のスタンディングをしているという。

■「無関心」という皮膜を切り裂く“異物”が異物でなくなるとき…
たったひとりでも声を上げる人がいる。東京でも、北海道でも、沖縄でも。その姿を見て「やばい人」と思う人も少なくないだろう。その反応は、いまの社会を象徴している。古澤さんが自身を“異物”と表するように、ぼくたちの社会は、不都合な現実、目を背けたい事実、すぐに答えが出ない難題を「無関心」という被膜で覆い、見ないようにしているのではないだろうか。おかしいと思っても、その声を飲み込み、不正から目をそらしているのではないか。だが、「無関心」という薄っぺらい皮膜を切り裂く異物が異物でなくなるとき、本当の意味での自由や民主主義が実現できるのではないかと思う。

改札口に消えていく古澤さんの後姿を見てそんな感想を抱いたら、後日、彼からメッセージが届いた。

「自分、言い忘れたことがありました。それは、自分は何者でもなく、そして特別な存在でもない、交換可能な存在でありたいとおもってます。自分のような行動は普通のことなのだと思います」
 
◇HBC北海道放送:山﨑裕侍

北海道放送(株)