「この映画は日本への悪口というものではない。日本が今そして将来、どういう姿勢を取り、人類の教訓としていくのか。この会場に来ている世界各国の若者もそれを学びたがっている」

 

試写を前に来場者にあいさつするキム・テヨン監督(左から3人目)。(撮影/小川直樹)

 

 1923年の関東大震災直後に起きた朝鮮人虐殺について、韓国人スタッフが記録・製作したドキュメンタリー映画『1923 関東大虐殺』が完成し(本誌3月29日号既報)、5月13日、東京・永田町の参議院議員会館講堂で試写会が開かれた。

 韓国の映像制作会社インディコムが4年前から製作。韓国では7、8月に公開を予定し、日本では今年中の上映を目指している。それらに先立ち、キム・テヨン監督らスタッフを交えて初公開された。関東各地で虐殺事件を調査し犠牲者を追悼してきた市民団体関係者や日本で学ぶ留学生ら100人を超える人が鑑賞に訪れた。

 上映時間は118分。市民団体、韓国の遺族、学識者、政治家ら膨大な数の証言を集め、それらを場面描写とともにつないでいく構成になっている。

 時間を割いて紹介しているのは、「ほうせんか」理事の西崎雅夫さん、「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の平形千恵子さん、日朝協会埼玉県連合会会長の関原正裕さん、「関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会」代表の山本すみ子さん。それぞれの思いや若者向けに行なっているフィールドワークの様子などを描いている。

 1982年から東京・荒川河川敷での朝鮮人虐殺を調査してきた西崎さんは「私は最後にギリギリで(当時の目撃者から)話を聞くことができた世代。すごくリアルで、昨日のことのように憶えている」と映画の中で証言。平形さんは「ドイツでは(ホロコーストなど)悲惨なことがあったが、歴史を隠さず、継承している。日本は歴史を明らかにしないと、繰り返されていくんじゃないかという恐怖はある」と述べている。

 映画を見終わった西崎さんは「時間をかけてたくさんの証言や資料を集め、各地の現場にも足を運んでいる。表面をなぞるのではなく、とても丁寧に作られていると感じた」と感想を話した。

責任を回避する政府
 映画では真相究明に尽力してきた人々を描く一方で、震災時と現在の日本政府の姿勢を厳しく問う。震災2日後、当時の内務省警保局が「朝鮮人は各地に放火」と地方長官(現在の知事)に伝え、虐殺発生の原因を作りながら、その後は責任回避や隠蔽に転じたと指摘。横浜などにいた欧米人が虐殺を目撃したが、彼らの目撃談を海外新聞が報じると、日本政府は神経をとがらせ、打ち消しに躍起になったことも描いている。外国から文明国とみなされなくなることをおそれたのだった。

 歴史の事実と向き合おうとしない姿勢は現在も同じだという。昨年5月23日の参院内閣委員会で、杉尾秀哉議員(立憲民主党)が朝鮮人虐殺に関する政府の認識を質問。当時の谷公一・防災担当相は「政府として調査した限り、政府内に事実関係を把握することができる記録が見当たらなかった」と正面から答えなかった。この質疑の様子は映画でも描いている。

 試写会開催に協力した杉尾氏は「1年たっても前進を見ていないが、決してあきらめるわけにいかない。日本と朝鮮半島との真の民族和解、友好を実現するにはこの問題は避けて通れない」と試写会の冒頭あいさつで述べた。福島瑞穂参院議員(社民党)も「公文書はたくさんある。100年前の虐殺は地続きで、今もヘイトスピーチや排外主義が日本の中にある」と危機感を示した。

 試写後、スタッフや出演者が参加者と意見交換を行なった。キム監督は「44年前から(日本の市民団体が)深い思いをもって追悼してくれたことを知り、驚きを感じた。現場で涙を流したこともある。みなさんの努力のおかげで作品を発表できた」と感謝を述べた。出演者の米イースタン・イリノイ大学のリー・ジンヒ教授は「この映画は日本への悪口というものではない。日本が今そして将来、どういう姿勢を取り、人類の教訓としていくのか。この会場に来ている世界各国の若者もそれを学びたがっている」と語った。

小川直樹・編集部