旧優生保護法(1948~96年)による不妊手術の強制は憲法違反だとして被害者が国に謝罪と損害賠償を求めて全国で争われている裁判で29日、5件の上告審について最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)で口頭弁論が行われ、原告が苦しく悲しい被害体験を語り、除斥期間適用の不当性を訴えました。

 

 大阪、東京、北海道、兵庫、宮城各訴訟の原告・代理人が裁判官15人を前に陳述。手話通訳と要約筆記が配置され、さまざまな障害のある支援者らのべ約350人が傍聴しました。

 各原告・代理人は、個人の尊重を掲げた憲法のもとで国が優生保護法を制定し、「障害者を狙い撃ちにして『不良』と決めつけ、子孫を残さぬように根絶やしにすべく、本人の同意をえることすらせず」「口にするだけでも惨(むご)たらしい手術を強制的に実施」した「戦後最大の人権侵害」を厳しく批判しました。

 加害者の国が弁論で争ったのは1点のみ。不法行為から20年経過すると賠償請求権が消滅する除斥期間を適用するかどうか、です。適用しないと「法的安定性を阻害」「訴訟全般に影響」などとのべました。これに対して原告は、差別・偏見のもとで提訴が困難だった事情があり“手術から20年過ぎて訴えても遅い。国を免責する”というのは「著しく正義・公平の理念に反する」と厳しく反論しました。

 高裁判決でただ一つ除斥期間の適用により仙台高裁に訴えを退けられた佐藤由美さん(仮名)と飯塚淳子さん(仮名)について提訴の経緯を代理人がのべました。飯塚さんは97年から被害を訴え始めましたが、国は謝罪も調査も拒否。手術記録が廃棄され、裁判を起こせませんでした。

 2018年に佐藤さんが仙台地裁に提訴後、宮城県知事が飯塚さんを被害者認定したため、ようやく裁判が可能に。飯塚さんが一人で訴え続け、それを助けたいと佐藤さんが提訴し、全国の被害者が裁判に立ち上がりました。代理人は、先駆者の二人を救済する最高裁の判断を強く求めました。


旧優生保護法下で不妊手術 今夏にも判決へ 除斥期間が焦点に

 

 

旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めている裁判の弁論が29日、最高裁判所大法廷で開かれ、原告たちが長年苦しんできた思いを語りました。
判決は、ことしの夏にも言い渡される見通しで、手術から時間がたっている原告に賠償を求める権利があるかどうかなどが焦点となります。

旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが「差別的な取り扱いで憲法に違反していた」と主張して、国に賠償を求めている5件の裁判の弁論が29日、最高裁判所大法廷で開かれ、原告たちが15人の裁判官に長年苦しんできた思いを語りました。

【詳しくはこちら】「人生狂わされた」“旧優生保護法下で不妊手術”最高裁で弁論
20年以上前から被害を訴え続け、一連の裁判のきっかけとなった宮城県の70代の女性は「手術は、私から幸せな結婚や子どもというささやかな夢をすべて奪いました」と訴えました。

一方、国は不法行為から20年がたち、賠償を求められる「除斥期間」が過ぎたなどと主張しました。

最高裁は、ことしの夏にも判決を言い渡し、統一判断を示す見通しで
▽1万6000人以上の強制的な不妊手術の根拠となった旧優生保護法を憲法違反と認めるかどうか
▽除斥期間について、どのように判断するのかが焦点となります。

 

「人生狂わされた」“旧優生保護法下で不妊手術”最高裁で弁論

 

 

旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めている裁判の弁論が最高裁判所で開かれ、原告たちが長年苦しんできた思いを語りました。
最高裁はことしの夏にも判決を言い渡し、統一判断を示す見通しです。

目次
9:00すぎ

最高裁入り 原告 “国には一言でもいいから謝ってほしい”

10:30から

5件の裁判 弁論開かれる

9:00すぎ

最高裁入り 原告 “国には一言でもいいから謝ってほしい”

 

 

原告と弁護団は、29日午前9時すぎ、国に謝罪と補償を求める横断幕を掲げて歩き、最高裁判所に入りました。

原告の1人で都内に住む北三郎さん(仮名)は、「最高裁にはいい判決を出してもらいたい。国には一言でもいいから謝ってほしいと思っている」と話していました。

10:30から

5件の裁判 弁論開かれる

 

 

29日、最高裁判所大法廷で弁論が開かれたのは、旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが「差別的な取り扱いで憲法に違反していた」と主張して国に賠償を求めている、5件の裁判です。

午前中は東京と大阪の裁判の弁論が行われ、大阪の原告でともに聴覚障害がある高齢の夫婦が手話通訳者を通じて15人の裁判官に思いを伝えました。

70代の妻は50年前、帝王切開で出産しましたが、この手術の時に何も知らされずに不妊手術を受けさせられました。子どもは生まれてまもなく亡くなりました。

妻は法廷で「最後まで母も誰も、不妊手術を受けたことを教えてくれませんでした。手術せず、そのままの体にしてほしかったです。聞こえる人も聞こえない人も子どもを産んで育てられる幸せな生活をしたいです」と訴えました。

午後は、20年以上前から被害を訴え続け、一連の裁判のきっかけとなった宮城県の70代の女性が原告の1人として15人の裁判官に自身の経験を語りました。

女性は16歳のときに何も説明を受けずに不妊手術を受けさせられました。両親の話からその事実を知り、子どもが産めないと負い目を感じ、いくつもの縁談を断ったといいます。

女性は法廷で「手術は、私から幸せな結婚や子どもというささやかな夢をすべて奪いました。早くすべての被害者が救われるような判決を出してください」と訴えました。

一方、国は、不法行為から20年がたち、賠償を求められる「除斥期間」が過ぎたなどと主張しました。

大法廷で審理されている5件で、高等裁判所はいずれも「旧優生保護法が憲法に違反していた」と認めましたが、このうち▼4件が国に賠償を命じたのに対し、▼1件は「除斥期間」が過ぎたとして訴えを退けました。

最高裁はことしの夏にも判決を言い渡し、統一判断を示す見通しで、▽1万6000人以上の強制的な不妊手術の根拠となった旧優生保護法を憲法違反と認めるかどうか、▽除斥期間についてどのように判断するのかが焦点です。

《弁論の詳細》
14歳で手術 “人生は大きく狂わされた”
都内に住む原告の北三郎さん(仮名・81)は、子どものころに問題行動を起こしたとして施設に入れられ、14歳の時、手術を受けさせられました。

 

弁論で北さんは、「手術を受けたことを妻にも誰にもずっと言えませんでした。施設と親が受けさせたと思い、ずっと親を恨んできました。手術のせいで私の人生は大きく狂わされました」と振り返りました。

その後、裁判を起こしたことで被害者が自分だけではないことを知ったといいます。

北さんは「わたしの人生をめちゃめちゃにしたのは親ではなく国だった。それが分かったので国と正面からたたかおうと思えました。国には謝罪してもらいたいです」と述べました。

そして、「子どもを産む・産まないは、人から勝手に決められることではありません。裁判官の皆さん、私たち被害者の苦しみと正面から向き合ってください。そして、どうか被害者みんなの人生を救う判決を書いてください」と訴えました。

ともに聴覚障害がある夫婦 “知らぬ間に不妊手術 悔しい”
大阪の原告でともに聴覚障害がある高齢の夫婦は手話通訳者を通じて思いを伝えました。

 

70代の妻は50年前、帝王切開で出産したときに不妊手術を受けさせられました。

子どもは生まれてまもなく亡くなりました。

70代の妻は「私は知らない間に不妊手術を受けさせられ、悔しい思いをしました。最後まで、母も誰も、不妊手術を受けたことを教えてくれませんでした。手術せず、そのままの体にしてほしかったです。優生保護法は障害者差別です。聞こえる人も聞こえない人も同じように子どもを産んで育てられる幸せな生活をしたいです」と話していました。

80代の夫は「私の妻は帝王切開手術をしたときに不妊手術もして、知らない間につらい思いをしました」と訴えていました。

19歳の時に不妊手術 “妻にはうそをついてきた”
札幌市に住む原告の小島喜久夫さん(82)は、19歳の時に病院に入れられ、そこで不妊手術を受けさせられました。

 

弁論で小島さんは、「一生子どもが持てないことに絶望し、病院を恨み続けました。私も手術をされなかったら幸せな家族を持てたのかなと何度も泣きました」と振り返りました。手術について家族にも打ち明けられない苦しさも語りました。

妻に「子どもができないね」と言われるたびに、「おたふくかぜで子どもができないんだ」とうそをついてきたと言います。その理由について、「本当のことを言えば、幸せな生活が終わってしまうと思いました」と語りました。

小島さんは裁判官に対し、「自分で自分の人生を決められなかったことが本当に悔しいです。どんな判決でも私たちの人生はもとには戻りません。せめて国が間違っていたことを認めもう二度と同じようなことがないようにしてください」と訴えました。

16歳の時に不妊手術 “最高裁が最後の希望”
20年以上前から全国に先駆けて被害を訴え続け、一連の裁判のきっかけとなった宮城県の70代の女性も、原告の1人として自身の経験を語りました。

 

女性は16歳のときに何も説明を受けずに不妊手術を受けさせられました。両親の話からその事実を知り、子どもが産めないと負い目を感じ、いくつもの縁談を断ったといいます。

女性はそのころについて「当時は優生保護法という法律も優生手術のこともまったく知りませんでした。手術は、私から幸せな結婚や子どもというささやかな夢をすべて奪いました」と語りました。

その後、結婚したものの、夫に手術のことを打ち明けると夫が去ってしまい、義理の母に離婚を迫られ、実家に戻ったこともあったといいます。

女性は「精神的なストレスから病気になり、働けなくなりました。私の人生は狂わされてしまったのです」と語りました。

27年前に支援者と出会ったことをきっかけに被害を訴える活動を始め、日本弁護士連合会が7年前に適切な補償を求める意見書を出したことなどから、各地で裁判が起こされるようになりました。

しかし今回、最高裁判所大法廷で審理されている5つの裁判のうち、高等裁判所では女性ともう1人が起こした宮城県の裁判だけが「賠償を求められる除斥期間が過ぎた」として退けられています。

女性は「長い間たった1人で声を上げ続け、この被害を闇に葬られてはならないと思い、歯を食いしばって訴え続けました。最高裁が最後の希望です。私たち被害者はみんな高齢になり、亡くなってしまう方も出ています。早くすべての被害者が救われるような判決を出してください」と訴えました。

“人生の苦しみを理解してほしい”
兵庫県明石市に住む原告の小林寳二さん(92)は聴覚障害があり、手話通訳を通じて思いを伝えました。

 

小林さんは、同じく聴覚障害があり、不妊手術を受けさせられた妻の喜美子さんとともに裁判を起こしましたが、喜美子さんはおととし、2審の裁判の途中で89歳で亡くなりました。

夫婦は60年あまり前に結婚し、数か月後に妊娠が分かりましたが、喜美子さんは母親に病院に連れて行かれ、詳しい説明もないまま中絶手術を受けさせられたといいます。

その後、子どもができないまま過ごしていましたが、6年前、強制不妊手術に関するろうあ連盟の調査が行われた際、中絶手術を受けた時に不妊手術もあわせて行われていたことを知ったといいます。

弁論で寳二さんは「妻とは『たくさん子どもを作り、にぎやかで楽しい家庭にしたいね』と話していました。60年間子どもがいないまま、おととし、最愛の喜美子は亡くなりました。私はろうあ者として生まれ、家庭でも社会でも差別を受けてきました。子どもを捨てられ、不妊手術を受けさせられた私たちの人生の苦しみを理解してほしい。国は悪いことをしたと謝ってほしいです。喜美子は天国でこの裁判を見守っています。喜美子が安心するような正しい判決をお願いします」と述べました。

“裁判 起こしたくても起こせない人も”
神戸市に住み、脳性まひが原因で身体に障害がある原告の鈴木由美さん(68)は、車いすに座り、弁護士からの質問に答える形で意見を述べました。

 

鈴木さんは12歳のころ、母親に病院に連れて行かれ、何も説明を受けることなく不妊手術を受けさせられたといいます。

鈴木さんは「一切聞かされないまま手術室に連れて行かれ、明るいライトやメスが見えてとても怖かったです。一度結婚をしましたが、夫と別れるとき、夫からは『もし子どもがいたら俺も離婚しなかっただろう』と言われました」と述べました。

また、「もっと早く裁判をすることができたのではないかと言われていますが、私は学校に行かせてもらえていないので読み書きもできず、情報はありませんでした。裁判を起こしたくても起こせない人はたくさんいます。私と同じような思いをしてほしくないです」と訴えました。

国 「除斥期間」適用し訴えを退けるよう主張
国は弁論で「国は障害者に対する差別を解消するための取り組みを行ってきた」などとして、賠償を求められる20年間の「除斥期間」を例外なく適用し、訴えを退けるように主張しました。

また、不妊手術を受けた人たちに一律320万円を支給する法律が施行されたことを踏まえ「国会が問題解決の措置を執ったのに、裁判所が判例を根本的に変更して解決を図ることは裁判所の役割を超えている」と述べました。

一方、旧優生保護法が憲法に違反していたかどうかについてはこれまでの裁判と同様、触れませんでした。

原告と弁護団 最高裁の弁論後に会見

 

 

東京の原告 北三郎さん(仮名・81)
「自分の人生を返してほしいと思っている。1日も早い全面解決を望んでいて、裁判官たちにはできるだけいい判決を出してほしいと思う」

 

大阪の原告 聴覚障害があり妻とともに弁論に
80代の夫(手話で)
「子どもを産んで一緒に遊んだり、旅行に行ったりする家庭を夢見ていたが、優生手術によってそれはかなわなかった」

大阪の原告 弁護団の辻川圭乃弁護士
「除斥期間がそのまま適用されるかについて最高裁判所で統一判断が示されることになるが、すべての被害者が救われる判断をして、さらに旧優生保護法が非人道的で、差別的で違憲だと認めてほしい」

 

北海道の原告 小島喜久夫さん
「最高裁の法廷で思いを話したが、裁判官はわたしの顔をじっと見て聞いてくれて、うれしかった。国が言っていることは間違っている。裁判官に思いが伝わって、いい判決になってほしい」

神戸市に住む原告 鈴木由美さん
「裁判官は前のめりになって聞いてくれ、本当に聞いてほしかったことを伝えられました。国に謝罪してほしいし、被害を受けたたくさんの人に勇気を与えたいです。私たちがどんな50年間を過ごしてきたのか考えて、まっとうな判断をしてほしい」

兵庫県明石市の原告 小林寳二さん
「私は92歳で体調も悪いので、東京に来るのは大変でした。でも裁判官に自分の言葉で伝えたかったので、無事に終えられてよかったです。今日の私の姿を妻も見守ってくれていると思います。よい報告がもうすぐできると伝えたいです。私が生きているうちに解決してほしいし、必ず最後まで見届けたいです」と弁護士を通じてコメントしました。

兵庫の弁護団 藤原精吾弁護士
「国は除斥期間の適用を主張するが、どのような人たちがどのような被害を受けて、訴える権利を奪われてきたのかということが問題だ。被害者が訴えを起こすことの困難さは、社会がつくってきたものだ」

20年以上前から被害訴える 宮城県の原告 70代女性
「ここまで長い道のりがあり苦しかったですが、こうしてみなさんが被害を訴え出て裁判につながってよかったなと思っています。まだどうなるかわからず悩みもありますが、いい判決であってほしいと願っています」

全国で初めて訴えを起こした宮城県 60代女性の義理の姉
「私は裁判長に直接ことばを述べることはできませんでしたが、原告の皆さんが苦しい思いをしながらここまで来て、話すことができてよかったと思います。被害に一切触れず、20年の除斥期間を主張し続ける国の姿勢は本当に恥ずかしいと思います。これからの子どもたちが苦しい思いをしないようがんばっていきます」

これまでの裁判の状況
旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求める裁判は、6年前に知的障害がある宮城県の女性が仙台地方裁判所に初めて起こし、その後、全国に広がりました。

弁護団によりますと、これまでに39人が12の地方裁判所や支部に訴えを起こし、1審と2審の判決は、原告の勝訴が11件、敗訴が9件となっています。

これまでの判決では多くの裁判所が旧優生保護法について憲法違反と判断した一方、不法行為を受けて20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」がそのまま適用されるかどうかについては判断が分かれました。

最初の判決となった2019年の仙台地裁の判決では旧優生保護法は憲法に違反していたという判断が示されましたが、賠償については国の主張を認め、手術から20年以上たっていて「除斥期間」が過ぎているとして訴えが退けられました。

その後、全国の裁判所でも時間の経過を理由に原告の敗訴が続きました。

おととし2月、大阪高裁が「除斥期間の適用をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反する」と指摘して初めて国に賠償を命じる判決を言い渡すと、その翌月にも東京高裁が「原告が国の施策による被害だと認識するより前に賠償を求める権利が失われるのは極めて酷だ」として「除斥期間」を適用せず、国に賠償を命じました。

これ以降、全国で原告の訴えを認める判決が次々と出されるようになり、去年3月には札幌高裁と大阪高裁が「除斥期間」をそのまま適用せず国に賠償を命じました。

一方、全国で初めて提訴された裁判は、去年6月、仙台高裁が「除斥期間」を理由に再び訴えを退け、原告側が上告しました。

原告は高齢で、弁護団によりますと、これまでに、全国で訴えを起こした39人のうち6人が死亡しました。最高裁判所大法廷では、札幌、仙台、東京、大阪の高裁で判決があったこれらの5件についてまとめて審理されています。

 

 

妻は泣き続けた「赤ちゃん」「捨てた」 旧優生保護法訴訟 92歳男性が受けた過酷な差別、手話で訴え

 
 
 「裁判官、私の声が届いているでしょうか」。旧優生保護法下、妻が不妊手術を強いられた小林宝二(たかじ)さん(92)=兵庫県=は29日、最高裁大法廷で手話で語りかけた。2年前に死去した妻喜美子さんと共に聴覚障害者。長く過酷な差別と、子を産む権利を奪われた苦しみを訴えた。(太田理英子)

 <旧優生保護法(1948〜96年)下で不妊手術を強制されたのは憲法違反だとして、全国の障害者らが国に損害賠償を求めた5件の訴訟の上告審弁論が29日、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)で開かれた。原告側は「被害者みんなの人生を救う判決を書いてください」などと訴えた。国側は請求棄却を求め、結審した>
 
◆手話での訴え、手話通訳者が声に
 車いすで出廷し、15人の裁判官と向き合った。「子どもを捨てられ、子どもが生まれない手術もされ、差別に苦しんでも辛抱するしかなかった人生を、どうか理解してください」。手話での訴えを、手話通訳者が声にする。
 時折、隣の代理人弁護士が紙芝居のようにめくる16枚のイラストに目を向けた。子どもの頃に手話を禁止され、口の動きを読むことを強いられて育った。文章を読むのが苦手になり、弁護団や支援者が過去の出来事の場面を絵に描き、メモ代わりにした。

 学校や職場で、障害を理由にいじめや暴力を受け続けた。1960年に喜美子さんと出会い、結婚。まもなく妊娠が分かり、2人で跳び上がって喜んだ。

◆泣き続ける妻、下腹部には大きな傷
 翌日、帰宅すると喜美子さんの姿がない。数日後に戻ると泣き続けた。「赤ちゃん」「捨てた」。理由は「分からない」。下腹部に大きな傷があった。

 2人の母親が相談して手術を決め、説明もなく受けさせたと判明した。詳細が分からず、2人は中絶手術だと考えた。子どもができず、つらく、寂しかった。

 不妊手術も受けていたと分かったのは、2018年。全日本ろうあ連盟の調査を通じ、旧法の存在と、多くの障害者が手術を強制されたと知った。「こんな差別を絶対に許さない」。国に損害賠償を求め、同年に夫婦で提訴した。

◆「どうしても自分で言葉を届けたい」
 22年、喜美子さんは病気のため89歳で亡くなった。翌23年の大阪高裁判決は、不法行為から20年で損害賠償請求権が消える「除斥期間」の適用を認めず、国に賠償を命じた。

 全国12地裁・地裁支部で起こされた同種訴訟で徐々に、被害者が声を上げることの困難を踏まえ、除斥期間を適用しない判断が増えた。最高裁が判断するのは今回が初めて。小林さんは病気で入退院を繰り返しながら「どうしても自分で言葉を届けたい」と大法廷に向かった。

 弁論を終え「喜美子が天国で見守ってくれていた」と胸をなで下ろした。「私が生きているうちに、この問題をすべて解決してほしい。差別がない社会に一歩でも近づくよう、最後の最後まで頑張りたい」

 ◇

◆最高裁法廷、障害のある傍聴者らに配慮
  旧優生保護法下での強制不妊手術を巡る上告審弁論で、29日の最高裁の法廷に手話通訳者が配置され、通常は2人分の車いす利用者の傍聴席が12人分に増やされた。裁判長を務める戸倉三郎長官が発言のたび「裁判長から発言します」と説明したり、原告や被告に「ゆっくり大きな声で発言」するよう求めたり、障害のある原告や傍聴人への配慮が見られた。(中山岳)
 


 傍聴人に配られた、裁判の争点などをまとめた資料には、ふりがなと点字があった。目の不自由な滝修さん(65)=東京都江戸川区=は「点字の資料は分かりやすかった。審理でも裁判官や弁護士が名乗った上で発言し、内容をよく理解できた」と話す。

 車いす利用者の能松七海さん(22)=東京都小平市=は「障害の特性に応じて、情報を得られるよう配慮されていた」と評価。ただ、裁判所内の移動に不便を感じたといい「段差にはスロープが設けられていたが、傾斜が急で狭かった」と語った。

◆手話通訳者と要約筆記者は原告側が手配
 法廷内の手話通訳者と要約筆記者が、原告側の手配だったことには批判もあった。傍聴した「脳性まひ者の生活と健康を考える会」代表で、脳性まひで車いすを使う古井正代さん(71)=大阪市西成区=は「法廷で必要な手話通訳者を裁判所が用意するのは当たり前。当たり前のことができていない」と憤る。

 最高裁によると、午前の審理には一般傍聴用144席を求めて335人が、午後は134席に317人が集まった。車いす利用者は、午前は希望する12人全員が傍聴できた。午後は14人が希望し、抽選で外れた2人が傍聴できなかった。