読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義”

プチ鹿島
 
三浦誠さん
プチ鹿島さん「理不尽を憂う人を小馬鹿にする新聞記者なんていらない」
私も『絶望からの新聞論』(南彰さん著)を読んで同じことを思いました。
困っている人に寄り添ってこそ記者。
困っている人と、ともに考え、行動し、希望を見出していく記者にこそなりたい。
 
 
 私たちはなぜニュースを見るのだろう。読むのだろう。

 自分のことを言うと、新聞を14紙購読しているが、きっかけは噂やゴシップの真相を知りたくて情報を読み比べていたら今に至った。野次馬だと自覚している。では周囲はどうなのだろう。TBSラジオの番組『東京ポッド許可局』で共演しているマキタスポーツ、サンキュータツオに聞いてみた(3月16日放送分)。
 
 マキタさんは「世の中の動きを知ることで“より生きている”感じを確認するため」と教えてくれた。タツオは「好奇心からニュースに興味を持ったが、そのうち情報を摂取することで怒りを感じるようになった」という。就職氷河期世代のタツオはニュースを見ても生活が良くなる実感がなくて孤立感があったという。「徐々にニュースを知らないほうが安寧に過ごせるのでは?」と思うようになり、一人の力では何も変わらないという無力感しかなかったと。

ニュースを見る理由
 ただ、「こんなに頑張っている人がいるんだということを知るために、やはりニュースを追っている。選挙の投票にも行っている」と彼は言った。私は彼らと語り合いながら、あらためて「ニュースを見る理由」を思い出した。それは「理不尽な目に遭っている人を知るため」「困っている人がいることを知るため」だと。

 たとえば非日常やエンタメでの「理不尽」なら別にいい(徹夜で予想した日本ダービーの馬券があっさり外れるとか)。

 しかし日常の世界でいくら努力しても理不尽が襲うなら? 性別とか年齢とか国籍とか肌の色とか環境とか、どんなに努力しても壁があるなら? それは本人の責任じゃない。政治や社会が取り除くべきなのだ。ところが政治や社会が壁になっていることもある。なので「理不尽な目に遭っている人を知るため」にニュースを見なければいけない。そもそも自分だっていつ理不尽な目に遭うかわからない。いや、気づかないだけでもう遭っているかもしれない。だからニュースを見るのだ。考えるのだ。

 なぜこんなことを書いているのかと言えば、朝日新聞に読者からの「相談」が載っていたからだ(5月18日)。
 
読者からの投稿に…
 相談者は「世界の理不尽に我慢できない」という。ロシアの軍事侵攻、イスラエルのガザへの攻撃、トランプ前大統領の振る舞いについて考えると「絶望的な気分になり、夜も眠れません」。しかし憂えたところで何をするという手立てもなく「だったら新聞報道など見なければよいのですが、社会問題から目を背けるようで気が引けます」という。

 海の向こうのことなど気にせず、このまま自分の生活を平穏に送ることだけ考えればよいのか? どのように気持ちを保っていけばよいかという相談だった。

 まさしく「なぜニュースを見るのか」論である。理不尽を知ることはモヤモヤするだけでなく怒りを伴うだろうが、でもニュースを見るという姿勢は大事だと思う。権力者は「どうせ庶民は時間が経てば忘れるさ」と高をくくって「無かったことにする」のが常套手段だからだ(裏金問題への対応なんてまさにそうではないか)。なのでニュースを見て思い続けるだけでも有効な手立てだと相談者に声をかけたくなった。

野沢直子氏の回答は?
 記事ではタレント・野沢直子氏がアドバイスしていた。「そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいい」と。「そんなことを嘆く前に、今自分が幸せなことに感謝して自分の周りにいる人たちを大切にしましょう」とも述べていた。これだと理不尽を実行している側からすればシメシメと思うアドバイスである。選挙に行っても無意味と言う人を見てシメシメと思う人がいるのと同様だ。どうせあなたが憂いても社会は変わらないのだから無駄なことはやめようという囁きにも聞こえる。

 私がさらに驚いたのは朝日新聞の藤田直央・編集委員がこの記事にコメントしていた内容だった(デジタル版のコメントプラスという機能で)。

《「そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて…」。野沢さんの回答、ぶっ飛んでいるようで重いです。そこまでしなくても、沖縄に行かれて、本土ではまれな米軍基地と隣り合わせの生活をご覧になればどうでしょう。相談者の方がそこで「不正義や理不尽」を感じたなら、同じ日本人として声を上げるという「手立て」があります。

 あ、この相談者の方はそうした境遇の方なのかもしれませんね。そうでしたら誠に失礼しました。》
 
朝日新聞の「冷笑」
 ここまで読者を小馬鹿にする「新聞記者」とは何なのだろう。最後の「そうした境遇の方」って何だろう。理不尽に怒る当事者を冷笑している。同様に違和感を抱いたのはこの記事の「宣伝」にSNS上でいそしむ朝日新聞の人たちでもあった。バズればそれでいいのか?

 実はこれら「朝日の冷笑」の答え合わせになる本を最近読んだ。『絶望からの新聞論』(地平社)だ。著者の南彰氏は朝日新聞を昨年退職した。南氏によるとここ数年、

《上層部はネット上で「また朝日が」と書き込まれることを極度に警戒していた。》という。

 吉田清治氏による虚偽の証言に基づく「慰安婦」の記事と、福島第一原発事故の政府事故調に関する吉田昌郎所長の調書に対する記事を巡り、朝日新聞は批判を浴び続けた。読者としての実感でも、あれ以降の朝日は腰が引けた印象があったが、本書によれば朝日上層部は批判を恐れ「管理」を強化するようになった。

社員のSNSを監視
 広報部を訪れたとき、「南さんのSNSも毎日見ていますよ」と言われたという。

《朝日に関する投稿を三~四人でチェックしている部屋で、担当者がパソコンの画面を見せてくれた。社員のSNSでの投稿内容や「炎上」を監視するタイムラインが映し出されている。その結果をまとめたレポートが平日は毎日、経営陣や所属長にメールで送られていた。》

 一方で、デジタルの数字や反応ばかりを追いかけるようになり、記事もデジタルで読まれやすい「消費するニュース」に傾いたというのだ。

《取材の出張申請のときに「その記事で有料会員はいくつとれるの」と口にする編集局幹部まで現れた。》

 読まれやすいニュースの具体例には朝日新聞デジタルで配信された『京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析』(2023年5月30日)がある。虐待や性被害などにあった女性を支援する一般社団法人「Colabo」の東京・歌舞伎町の活動現場に出向いて、冷笑的、差別的な言葉を投げつけていた埼玉県草加市議について、そうした言動について触れないまま、政治スタイルを好意的に紹介したのだ。

《「デジタルで読まれそうな記事を」という編集局幹部の号令のなかで企画された記事だった。》

《コラボに対する攻撃がこの年起きていたときには、現場をルポし、ミソジニー(女性蔑視)に基づく攻撃がもたらす影響などを取材していた女性記者の記事に何度も注文をつけて記事の配信・掲載を二カ月近く先送りしていた。「コラボを擁護して、『また朝日が』と言われないようにしないといけない」という意見が繰り返された。》
 
政治部デスクの発言にゾッとした
 さらに朝日時代の南氏にはこんなエピソードがあった。2年前に安倍晋三元首相銃撃事件が起きた深夜に、

《参院選報道を仕切っていた先輩の政治部デスクが突然、ニタニタしながら近づいてきて、「うれしそうだね」と話しかけてきたのだ。》

《朝日の政治報道の中核を担っている人間が事件を笑っている。人の命を暴力的に奪う殺人と、言論による安倍政権批判との区別もつかない状況に慄然とした。「あなたのような人間は政治部デスクの資格がないから、辞めるべきだ」そう指摘した。しかし、「僕、辞めろって言われちゃったよ」と茶化して何の反省も示さなかったどころか、その後もしつこくつきまとわれた。》

 読んでいてゾッとした。

《冷笑に満ち溢れた管理職が跋扈する姿は、近年の幹部のもとで進んだ人心の荒廃を象徴するものだと感じた。》

 安倍政権の振る舞いを書いてきた南氏に「うれしそうだね」とニタニタ声をかけてきた上司は、時の政権や権力者を批判したり声を上げて抗議する人びとを冷笑し、茶化していたことになる。そうした風潮は世の中全体に広がっている。

《市民社会でいろいろな声をあげている人々がそういう形で冷笑される風潮が強まるなか、記者でもある僕がそれと向き合わなかったり、ましてや冷笑を容認してしまえば、これは記者としての役割を果たしたことにはならないでしょう。》

こんな新聞記者はいらない
 南氏は朝日新聞を退職し、沖縄に移住して「琉球新報」の記者になった。地元紙の記者は、記者である前にその土地の当事者であり生活者である。期せずして今回、朝日新聞の編集委員が放った言葉を思い出す。

《あ、この相談者の方はそうした境遇の方なのかもしれませんね。そうでしたら誠に失礼しました。》

 冷笑にはいくつもタイプがあると思う。自分が恵まれているのを自覚して上から目線になるタイプ。声を上げても変わらないよと冷笑し、あたかも無関心が平穏無事だと思い込むタイプ。そんな振る舞いにより多数派、体制側の気分を満喫するタイプ。さらには「非効率」を嘲笑するようになるタイプ。今回の朝日新聞の記者たちの言動はすべてに該当すると思われる。見事に当事者性が欠落している。朝日の冷笑の一端が可視化されたのは良かったと思うしかない。理不尽を憂う人を小馬鹿にする新聞記者なんていらない。

プチ鹿島