小幡 績

 

人間投資に税金を使え。教職員の大幅増員、給料を上げるだけでは教育現場は改善されない。

 

 

告白する。

私は、金融市場にも経済にも関心がない。食べていくためにやっているだけだ。読者の関心の中心は金融市場だし、経済学者に対してもファイナンス研究のニーズは強い。

もう1つ告白すると、経済学者になろうと思った理由は、ノーベル経済学賞を獲って、授賞式のスピーチで「経済なんてどうでもいい」と言い放つためだった。

なぜ経済は重要性が低く、経済政策はいらないのか
しかし、その野望もはるか昔についえた今、ここでほえることにする。
経済は重要性が低い。経済政策はいらない。

実は同じことを、国会でも言い放ってしまった。2023年2月のことであるが、衆議院予算委員会公聴会で「経済政策はいらない」という資料で話をした(万が一ご関心がある方はこちらを参照)。

なぜ、経済は相対的に重要でないか。それは、経済は社会のための手段にすぎないからだ。金融と金融市場は経済を支える手段でしかないのと同様に、経済は健全な社会のための手段でしかない。下部構造という概念は誤り、少なくともミスリーディングだ。経済が社会の基礎、中心になっている倒錯した社会になってしまった資本主義社会の批判としては正しいが……。

今回は、大事なことだけを話す。もう時間がないからだ。なぜなら、人々も政府も、経済にだけとらわれ、社会よりも経済を優先し、「まずは経済、経済あっての社会」だと考え、カネをすべて経済成長のために使おうとしているからだ。

しかし、経済は、彼ら、彼女らの望んだほどにはいっこうに成長せず、社会はどんどん疲弊し、悪くなっている。なぜか。それは、皮肉なことに、経済のためにカネとエネルギーを使っているからだ。

「経済成長戦略」の本質は「人を育てること」である
経済は、健全な社会が土台になければ、発展しない。それなのに、社会を犠牲にして、経済を成長させようとしている。うまくいくわけがない。

だから今日は、経済ではなく、社会をよくするための政策を提案する。そして、それが「私の経済成長戦略」である。社会が健全になれば、経済は健全に発展していく。健全な経済は健全な社会に宿る。だから、社会のための政策こそが経済の健全発展戦略になるのである。

ではどうするか。人を育てるしかない。社会は人でできている。だから、材料の人を良くすれば、社会は良くなる。いくら社会の仕組みをいじっても、素材が悪ければ、できた料理はまずい。

昨今、社会の仕組みを下手に作ってしまったために、さまざまな矛盾が噴出して困ってしまい、つじつま合わせに、無理やり人を増やそうとしている国がある。うまくいくはずがない。

そもそも、政策で出生率が上がった国はない。上がったように見えるのは、移民が増えているときに、子供がいるとカネがもらえる仕組みを作ると、移民が子供を増やすから、というケースがほとんどだ。だから、ほとんどの国での少子化対策は持続的な効果を持たない。

人を増やすのではなく、今いる人を育てることに全力を挙げるのである。つまり、教育である。しかし、現在、政策として議論されている教育政策はほとんど間違いだ。やるべきでない政策ばかりやろうとしている。

止めるべき政策とは何か。列挙してみよう。   

リスキリングはいらない。
大学院への資金投入はいらない。
大学の学費無償はいらない。
高校無償化もやめる。
やるべきことは「質の高い教育」を提供すること
これらはなぜ不要なのか。

第1に、リスキリング(職務能力の再開発、再教育)は無駄である。時代は変化し、社会は変化し、経済はつねに変化している。

もちろん、新しいスキルはつねに必要だ。しかし、それはスキルにすぎないし、自分で学べばよい。習う必要があれば、習えばよい。必要なスキルは時々刻々と変わる。政策の支援など待っていられない。必要なスキルは自分で身につけるのであり、その手段は自分で探すのだ。政府などに言われなくとも、通勤電車は、勉強しているサラリーマンであふれている。ちゃんとした人は今までも、これからも自分でやっているのだ。

スマートフォンで暇つぶしをしている駄目な人間(私はこちら側だが)は、見捨てていい。しかも、政策で支援などしても、時代遅れなモノを非効率に供給するだけだ。だから無駄だ。

 

第2に、大学院への資金投入は、主に理科系で行われているが、これはカネがかかりすぎる。そして、これは教育のためではない。技術政策だ。

企業や政府が技術投資をするのは、コストがかかるし面倒だから大学院を利用してやれ、というための資金投入にすぎない。だから、うまく行っていない。技術のために投資することはよい。しかし、それは、企業が海外の企業に競争で勝つためではない。技術、科学の発展のために投入するのだ。いわば、全人類、いや地球全体のために行うものだ。

そして、そういう下心での資金投入は効果が小さい。流行物に流行遅れで資金投入するから、無駄になる。企業自体も、例えば液晶に投資しすぎたという例もあるから、失敗するのは政府だけではないが、要は、科学・技術の発展のために行うつもりがなく、目先の利益のために資金投入するのであれば、やめた方がいい。しかも、かなり高くつく。

第3に、大学の学費無償化は、大学教育の質を劣化させる。タダだから大学に来る学生は、なんとしても大学で学びたい学生にとって邪魔である。これは大学教育だけでなく、すべてのサービスに言えることで、タダより悪いものはない。貧困により大学に行けないという問題は、別の手段で解決すべきである。

第4の高校無償化も同じである。やるべきは、誰でもタダで高校や大学に行けるのではなく、やる気のある学生に質の高い教育を提供することである。

これらがやるべき政策である。質の高い教育を提供すること。これに尽きる。

では、そのためにどうするか。

まず、大学教員の意識を改めさせることである。われわれ大学教員は、研究こそがやるべきことで、教育は税金のようなものであり、嫌々遂行する義務だと思っている。「ご機嫌いかがですか」の代わりの挨拶の文句は、「そちらの大学の授業負担はどのくらいですか? えっ、授業しなくていい? すばらしい!」というものである。これを一切やめることである。

もちろん、研究を頑張る教員もすばらしいが、彼ら、彼女らも、教育についても全力で、かつ楽しんでやりがいを感じてやるべきである。それと同時に、大半の教員は教育を中心に行うべきである。

 

私がかつて習ったハーバード大学の経済学部では、教授たちの過半数がノーベル賞を取っていて驚愕ものだが、それでも彼らの研究のうち、多くの人が読むべき価値ある論文は、どんなに多くても10本に1本である。

つまり、世の中の研究、論文と言われているもののほとんどは価値がゼロなのである。1ミリだけでも価値があるものを価値があるとしても、依然ほとんど価値ある研究はない。だから、現在、日本にいる大学研究者のほとんどは、私を含めて、エネルギーの大半を教育に費やすべきである。

ハーバードなど、アメリカの一流大学は割り切っていて、教育専門の教員スタッフを多数抱えている。また、良い教科書の大半は(例外も多いが)、教育をメインにする研究者によって書かれている(教科書の執筆をメインにする教員もいる)。大学教員をもっと教育に関して働かせるべきなのである。これは、高校も同じで、中学、小学校も同じだ。教師にもっと授業をさせる、授業準備に時間とエネルギーを使わせる、のである。

労働環境改善のために給料を増やしても意味がない
13日に出た中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)での答申が賛否両論を呼んでいるが、ここでは、教師の労働環境改善のために、残業代が出ない分の手当を増やすという提言が、象徴的に議論の対象となっている。

これは明らかに間違っている。

労働環境を改善するのに、給料を増やしても意味がない。疲弊しているのだから、疲弊させないようにすることが解決策である。長時間労働、授業準備に時間が割けない、授業以外の仕事が多すぎるのであるから、解決策は授業以外の仕事を担当する人を雇い、かつ無駄な仕事をなくすことである。

答申でも、その議論はなされている。だから、認識は正しい。しかし、それを実現させようとする気合いが足りない。部活動を教員でなく、専門家に委託する。これは進んでいるが、カネも気合いも足りないから、異常なモノ好きか、超ボランティア精神にあふれている人に頼る構造になっていて、持続性も広がりもない。ちゃんとカネを払おう。プロにはプロの報酬を払う。

同様に、事務処理については病院と同じように、事務専門スタッフを増やそう。大学は大学職員が十分いるが、小中学校は足りていない。で、教師は授業に集中する。これも行われているが、カネと気合いが足りない。

「教員のなり手がいない」と嘆いていても始まらないから、教員以外の人手を増やす。こちらも、ちゃんとカネと敬意を払う。いじめ対策、メンタル対策も必要性は認識されているし、人員を増やそうとしているのはすばらしい。あとは、さらなる気合いとカネだ。同様に、さまざまなことを分業して行っていく。そのための組織だ。

「無駄な仕事」を減らし、授業や補講を増やせ
そして、仕事を減らす。余計な仕事の大半は、社会がすべての面倒なことを「先生」に押し付けていることによる。いわゆるモンスターペアレンツには毅然と学校は対応し、社会もメディアもそれを支持する。そして、それに対応する専門家を必ず雇う。

また、文部科学省の「アリバイ作り」のような書類仕事もすべてなくす。世はガバナンスブームであるが、形式的なガバナンス活動は、疲弊だけをもたらし、実効性はゼロ、いや、プロセス管理でやって気になるから、害でしかない。

官僚というか、多くは政治家と世論のせいだが、何か問題が起こるとアリバイ作りで調査委員会を作り、管理制度を作り、ただ、書類と疲弊だけが残る。管理・監督も必要だが、1つの仕組みで良い。1つ制度を作ったら、前の制度はすべてリストラする。政策のリストラが最も必要な政策だ。

個人的な意見を言えば、学校の行事も激減させる。修学旅行はいらない。思い出作りなどいらない。思い出は自然にできる。どうしても課外教育が必要なら、キャンプや登山をすればよい。観光地や海外への修学旅行こそ、貧困家庭いじめであり、授業料無償化、給食無料化よりも必要なことである。

そして、授業時間を増やす。補講も増やす。部活もいいが、放課後は小中学校とも補習授業を行う。これは選択制で、生徒に選ばせる。

このときは進捗別に個人指導を行い、授業がいらない人は、帰ってもいいし、スポーツの「補講」として部活をしてもよい。これは、学校で学童保育を全員に提供することにもなる。これもカネと気合いをかけて、徹底的に良いものを提供する。貧困家庭など、さまざまな家庭への支援になる。

これを学校内でやってもいいし、物理的に学校外でやってもいい。学校以外の「場」があった方が良い生徒もいるからだ。この時、なんでも、学校に責任を押し付けない。学校がやっていることで事故がおこったら、責任を取らされる、学校の外の活動に学校が責任を負えない、こういう無駄な責任の押し付け合いの議論もやめる。

こうして、徹底的に義務教育を強化する。短く書くつもりだったが長くなってきたので、具体案の一例を挙げる。

40人学級は維持して構わない。カネをかけるのは、教員をチーム制にする。3人で1クラスの「担任」になる。ベテラン、中堅、若手(新人を含む)でチームを作り、OJT(オンザジョブトレーニング)をやる。

また、教師が教室で孤立するのを防ぐ。そうすれば多面的に生徒を見ることができる。そして、このチームは2クラス担当する。そうすると、人員は1.5倍必要、ということになるが、音楽や体育など、専門の先生もこのチームに入り、1.5倍ほどは要らなくなる。

ただし、このやり方がいいかどうかわからないから、一例として実験的に行う。このトライアルのやり方の一例を提案する。まずは、政令指定都市が存在しない都道府県の、人口又は経済規模が2番目、3番目の市において行う。全国同時ではなく、10都道府県など、少しずつ実験を重ねていく。

地方創生政策としての教育
そして、この狙いの1つは、地方創生政策である。

つまり、地方のある程度の都市における義務教育を充実させ(幼児教育も同時に充実させ)、その土地に縁のある家庭が、地元で教育を子供に受けさせたいと思うようにして、地方からの流出を防ぎ、多少の「里帰り」をもたらす。

学校関連の雇用も増えるから、その仕事に就いても良い。さらに、地方国立大学の教育学部も連携させる。対象地域の大学に人とカネを投入し、教員の教育を充実させ、また、これも実験的にどのような教員教育、研修が良いか、試行錯誤していく。

もちろん、30代、40代の教員も徹底的に研修する。3人一組でのチームでの学び、大学、大学院との連携での学び、これを充実させ、教師の質も高める。このように3人チームでやれば、せっかく教師を志したのに不安やストレスを感じたり、自信をなくしたりしてやめてしまう、あるいは教師になるのを躊躇することが防止できるはずだ。

長くなってので、またの機会にさまざまな個別の提案をすることとしたいが、最後に、高等教育関連ついてふれておきたい。

学校という「場」を地方の中心に
日本でもっとも成功している、評判の良い教育期間は高等専門学校である。以前、「成長戦略のまやかし」(PHP新書)でも提案したことだが、この「高専」の充実を図る。これが、社会政策であり、地方創生であり、経済成長戦略である。

地方創生に必要なのは、地方で核となる「場」である。それが、大学であり、高専であり、前述のように中学であり小学校である。つまり、学校という「場」を中心にするのである。

とりわけ、「高専」は、経済発展の基盤として素晴らしい潜在力を持っている。これは、現在は多くの人が賛成しているし、いろんな提言がなされているから、目新しくはないが、最優先で行うべきである。

まず、分野、領域を増やす。ロボットコンテストに象徴されるように、機械に偏っている(そして、日本の製造業企業への供給源となっている)が、それを広げる。これは進み始めているが、もっと大胆に行う。電気、通信、半導体、AIだけでなく、農業、漁業、林業、料理(飲食というより料理と呼びたい)、エンタメなどにも広げる。

これは教える側の人材不足により進み方が遅いから、その人材を育てる。そして、高専を大学院と連携させる。ビジネス的な要素が足りていないから、海外戦略、法務戦略、そして幅広くビジネス戦略、M&A、事業承継を含む金融戦略、これらの要素も学べるようにするため、ビジネススクール、ロースクールなどの大学院と連携させる。

地方ごとに作るのは無駄だし、人材もいないから、1カ月程度の集中コースで十分だから、大都市にあるビジネススクールやロースクールがキャラバン隊を作って、1カ月単位で地方巡業をする。まあ、例えばだ。

きりがないので、ここでやめるが、社会を立て直すことが、地方創生戦略であり、経済成長戦略になるのである。

(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

競馬である。

19日の日曜日は東京競馬場でオークス(3歳牝馬限定のクラシックレース、芝コース2400メートル、G1)がある。

オークスは簡単だ。要は4月に行われた桜花賞(1600メートル戦)と同じである。

距離適性など関係ない。ほぼすべての馬が、距離不安があるから超スローになり、スタミナを使う展開にはならない。

大事なのは気性で、「かからなければ2400メートル持つ」、というか、前半はジョギングのようなレース、つまり、馬が入れ込まずに、リラックスして走れるかが重要で、後半の勝負になるから、結局はマイル戦と同じようなレースになる。だから、「気性が落ち着いている桜花賞実績馬」を選べばよい。

オークスの本命は、つまらないが「あの馬」が本命
つまらないが、桜花賞馬のステレンボッシュ(4枠7番)。逆転があれば、クイーンズウォーク(1枠2番)だが、桜花賞の差(同馬は8着)は大きすぎる。

どうしてもステレンボッシュ以外を買いたければ、対戦していない馬で前走を勝ってきた馬、12日のヴィクトリアマイル(G1)で多くの人を感動させた津村明秀騎手が乗るミアネーロ(1枠1番)、良血アドマイヤベル(5枠10番)、タガノエルピーダ(8枠17番)あたりか。

レガレイラ(牝馬で2歳G1に勝利した後、皐月賞6着)も、「日本ダービー」ではなく、こちらに出ればよかったと思う。

もちろん日本ダービーを勝てば素晴らしいが、超良血だから、オークスを勝てば、それだけで繁殖牝馬としての価値はマックスとなるからだ。では、ダービーを勝てばさらに子供が高く売れるか、というと、まあ少しは高いだろうが、その程度だ。

それなら、やはり確率の高いオークスの方がよかったと思うが。前述の理由で、ダービーの方がハイペースになるから、むしろダービーの方が勝つ確率が上がるのなら、もちろんダービーでいいのだが。オークス、ダービーともに好レースを期待したい。

 

 

日本の産業構造が大転換を迎える…岸田政権が推し進める「脱炭素社会」4つのビジョンに早速「温度差」が

 
新たな国家戦略
 5月13日夕、首相官邸で「グリーントランスフォーメーション(GX)実行会議」(議長・岸田文雄首相)が開催された。
 
 岸田政権は脱炭素社会の実現に向けて日本の産業構造の大転換を視野に入れた新たな国家戦略の策定を目指している。

 この国家産業戦略の達成目標は2040年を想定しており、「GX2040ビジョン」と名付けられた。同ビジョンは【1】エネルギー【2】GX産業立地【3】GX産業構造【4】GX市場創造――の4つの柱で構成され、2024年度内に策定する。

 具体例で説明しよう。先ず【1】エネルギーでは、DX(デジタルトランスフォーメーション)の進展によって電力需要増加の規模やタイミングの正確な見通しが立てづらい状況下で、(1)脱炭素電源投資促進と電力供給するための送電線整備(2)水素・アンモニアなどの新たなエネルギーの供給確保(3)化石燃料・設備の維持・確保―が求められる。

 次の【2】GX産業立地は、脱炭素電源、送電線の整備状況や、新たなエネルギーの供給拠点等を踏まえた産業立地の在り方を論議するということである。その方向性は脱炭素エネルギー適地・供給拠点や、地方ごとのGX産業集積のイメージを示したうえで投資の予見可能性向上に関するものだ。

 そして【3】GX産業構造は極めて重要である。経済安全保障上の大きな環境変化を念頭に同盟国・同志国各国の強みを生かしたサプライチェーン強化の在り方の論議を深め、国内では中小企業を含め強みを有する国内産業立地の推進や、次世代技術によるイノベーションの具体化、社会実装加速の方策を探ることだ。キーとなるのは国際競争に勝ち抜くために官民での大胆・実効的な国内投資・イノベーションの促進だ。

 最後の【4】GX市場創造は、カーボンプライシングの詳細制度設計を含めた脱炭素の価値が評価される市場造りのことである。GX価値の補助制度・公共調達での評価、AZEC(アジア・ゼロエミッション共同体)などと連携したCO2計測やクレジット等のルール作りを通じた市場創造なのだ。

 こうしたフレームワークに沿って上述の論点を議論するというのである。6月には有識者からなる「GX2040リーダーズパネル」を設置し、そこでの論議を深めることで先の「ビジョン」に繋げる構えだ。そして今年度内にエネルギー基本計画・地球温暖化対策計画を改定する。
 
「朝日」と「産経」でここまで違った
 実際、GX実行会議翌々日の15日、経産省内で中長期的なエネルギー政策の指針となる「第7次エネルギー基本計画(エネ基)」の策定に向けて齋藤健経産相が主宰した有識者会議(高村ゆかり東大未来ビジョン研究センター教授ら16人)が開かれ、具体的な議論がスタートした。

 新聞各紙(16日付朝刊)の見出しからも、その議論の熱量の高さが窺える。「電力の安定確保 課題―脱炭素電源の拡大 カギ、基本計画見直し」(読売)、「電力需要一転増加の想定―データセンターや半導体工場増 理由に」(朝日)、「電源構成、脱炭素急ぐ―40年度エネ計画着手」(日経)、「『原発』『再エネ』国の命運―エネルギー基本計画見直し着手、電源構成の目標焦点」(産経)。

 各紙見出しを並べただけでも分かるように、「脱炭素」は別にしてキーワードは「電力需要増加」と「電源構成(エネルギーミックス)」である。と同時に、各紙本記を読み比べると脱炭素とエネルギー安全保障の観点から電源構成のうち原子力発電活用評価に温度差があることも知れる。「朝日」と「産経」の社論の違いが改めて浮き彫りとなった。

 それはともかく、岸田政権は既に昨年2月の閣議で原発の再稼働、建て替え(リプレース)と次世代原発の開発・建設の推進を決定している。政府方針を大転換したのだ。
先述の「GX2040リーダーズパネル」は6月以降、岸田首相らGX関係閣僚とアジェンダごとの分科会の有識者と議論を進めていくことになる。

 10年間で官民150兆円超のGX投資が見込まれると言われてきた。だが、この脱炭素戦略の長期ビジョン作成が企図するのは一にかかって国内産業の競争力強化に尽きる。換言すれば、長期ビジヨンを示さなければ民間の巨額投資を引き出せないということである。経産省のGX政策エリートに期待したい。

歳川 隆雄(ジャーナリスト)