なぜ捏造は生まれてしまったのか
 関係者の処分が発表された5月1日夕刻、読売新聞大阪本社の東館2階「新聞教室」と呼ばれる広間に集まったのは総勢約60人にも及ぶ社会部の精鋭たちだった。

 

 普段は見学者らを招き入れるために使われる場所も、この日だけは連日の疲労と殺気が混ざり合う異様な空間が広がっていた。

 「これは質問ではなく意見として聞いてください…!」

 局長の談話捏造問題の説明が終わるや否や、痺れを切らしたように記者が声をあげる。しかし、上層部から返ってきた言葉はあまりにも冷淡なものだった――。

 今年で創刊150年目を迎える読売新聞が大きく揺れている。

 発端は4月6日に掲載された小林製薬の紅麹問題にまつわる記事だった。

 「紙面には紅麴問題に付随して『補償について小林製薬から明確な連絡はなく、早く説明してほしい』といった関係先企業の社長の談話が載せられていましたが、実際の取材ではコメントしていなかった言葉だったことが判明。

 これが捏造問題へと発展してしまった。記事を作成した社会部主任は聞き取りに対して『自分が思っていたイメージと違った』として自らコメントを加筆したと説明。

 取材を担当した岡山支局の記者も『社会部が求めるトーンに合わせたい』と思い、あえて修正を求めず、結果として談話が捏造された記事が世に出てしまった」(読売関係者)

ある人物の激怒

 

 

 訂正文を発表されたのは掲載から2日後のこと。しかし、その内容は「確認が不十分だった」と捏造への謝罪の言葉までは並んでいなかった。

 その理由について大阪読売関係者はこう話す。

 「実は発覚当時は社会部もそこまで大きな問題とは捉えていなかった。実際、書き加えた社会部主任も発覚当初も通常通り出社しており、社内でも『やっちゃったな』と言い合うほどの軽い感覚だった」

 しかし、ある人物の激怒によって事態は急転する。

 「問題となった記事は東京版にも掲載。これが読売グループの山口寿一社長の怒りを買った。『唯一の全国紙』を目指す最中での不祥事とあり、徹底的な調査を行うことになった」(前出・読売関係者)

 読売は社会部記者たちそれぞれの事情聴取を実施。これを機に社会部主任も会社から姿を消したという。そして、ここから大阪読売社会部は混乱状態へと陥っていく。

 4月8日付けで関係者に配られた『重大なミスの発生』と書かれた資料には「新聞社の信頼を損ねる事態」という厳しい文言が添えられている。しかし、若手記者はこう苦言を呈す。

 

内部資料に書かれていた言葉
 「元々、この問題は大阪社会部が抱える作文文化が発端です。大阪では現場が取材して作った原稿をデスクたちが修正していく手法が横行していました。

 主任はその伝統に乗っ取ってやっただけで決して個人の考えではない。これはもっと本質的な問題なんです。

 ただ今回の資料では『現場とデスク陣が丁寧にやり取りすべきだった』と総括。対策としても『今回は思い込みとコミュニケーション不足が原因。取材もデスクワークもこれまで以上に丁寧に、慎重に取り組まなければならない』と当たり前のことが書かれているだけ。

 こんな表面的な説明では問題解決にはならない。それゆえ現場の中でも疑心暗鬼ばかりが渦巻いていました」

 そこで開かれたのが冒頭の緊急部会だった。当日はすでに紙面上で関係者の処分を発表しており、これがさらに記者たちの怒りを買う形になったという。

 「記事を作った社会部主任は諭旨退職の扱い。これは事実上のクビ宣告です。でも作文文化はこの主任が暴走して生まれたわけではありません。これじゃあトカゲのしっぽ切りでしかない。もっと真剣にこの問題に取り組まなければいけない」(前出・中堅記者)

 だが、緊急部会で語られたのはそんな記者たちの心を折るような無情とも言える数々だった――。

【独自】「全容は把握していないので説明はできない...」談話捏造問題で揺れる読売新聞「緊急部会」で飛び出した「驚きの言葉」と「まさかのオフレコ人事」

 

緊急部会で語られた中身
その日、集められたのは読売新聞大阪社会部を支える精鋭たち。

紅麴問題に関する談話捏造の掲載から約1ヵ月となる5月1日。騒動は緊急部会という現場説明会へと波及していた。

 

5月1日夕刻、捏造問題で揺れる大阪読売本社の緊急部会でまず説明に立ったのは編集局長だった。

「通常の部会でも局長は参加しないので驚きました。それほど事態が深刻だという裏返しでもある。ここでようやく根っこの問題定義をしてくれるのだろうかと期待していた」(その場にいた若手記者)

だが、語られたのは現場も耳を疑うほど軽率なものだったという。その場にいた別の記者が語る。

「根本的な問題解決を期待していた記者たちの前で局長は『自分が再発防止策を述べていいのか分からない』と前置きした上で『現場取材をちゃんとしましょう』というよく分からない発言をするのみ。時折、言葉に詰まるような素振りを見せる場面もありました」

続けて上層部がクギを刺したのは関係者の名前の漏洩だった。

「局長が強調したのは情報の漏洩。『今回の件に関して外部からの問い合わせがあっても、関係者の名前は言わないようにお願いします』と伝えていました。

どうしてそれが目下の対策になるのか。もっと先に取り組まなければいけない大事な問題があるはずです。社会部の一人として全く理解ができません」(参加したベテラン記者)

だが、上層部による悪手はまだまだ続く。何を思ったのか、その場でオフレコ人事を発表。これがさらなる顰蹙を招くこととなる。

 

まさかの人事発表
「局長が『6月から新しくなる』と語ったのは次の社会部部長の存在でした。こんな場で人事の話をするなんて、とその場にいた記者全員が呆れていたと思います。

現場には『関係者の名前は明かすな』と言っておきながら自分たちはペラペラと口にする。本当に神経を疑いました」

昇進となったのは今回の捏造問題で処分を受けた一人だった。

 

「指名されたのは地方部長のKさん。Kさんは今回の捏造問題でも厳重注意を受けている人物です。本人はその場の挨拶でも笑みを浮かべて『内々示を受けたKです。基本は一緒なので頑張りましょう』と語るだけ。

お世話にも捏造問題の根本的な解決策まで踏み込んでいない中、次の人事、それも問題に関係していた人を据えるなんてあまりにも緊張感がなさすぎる」(前出・若手記者)

実際、K氏の社会部長の就任は5月7日、読売新聞の紙面に掲載された。

質疑応答で記者たちから飛んだのは組織体質を問う声だった。記者の一人は「意見として聞いて欲しい」と前置きした上で

「大阪には東京に比べて過剰な編集介入がある。捏造問題の背景にあるのはそれではないのか」

と力説。続いて別の中堅記者からはこんな厳しい言葉が飛んだという。

「社会部主任や岡山支局の記者にどんな思考があったのか。そこにプレッシャーがなかったのかを調べるのが本当の意味での調査ではないか」

しかし、局長から返ってきたのはあまりにも冷たい一言だった。

 

上層部の返答は…
「質問に対する返答は『調査の全容は把握していないので説明はできない』のみ。では、どうして調査の全容が把握できていないのに処分が下せれるのか。

なぜ人事が決めれるのか。部会が終わってからも皆、首を傾げるしかなかった。通常の記者会見ならあり得ないセリフです」(前出・若手記者)

 

ベテラン記者もこう悔しさを滲ませる。

「世間から『お前の社は捏造する』と浴びせられるのは現場を取材する若い記者たちです。その為にも本格的な体質改善に取り組んで欲しい。

斜陽産業と言われ、人員が足りない中でも若手たちは歯を食いしばって取材に当たっている。会社はその気持ちに応えてあげて欲しい。読売はようやく変わるチャンスを手に入れたんです」

読売新聞は5月1日の緊急部会について現代ビジネスの取材に対し、以下のように回答した。

「再発防止のため、部会等での説明を重ね、周知徹底を図ってまいります。社会部長の人事については、5月1日付および同7日付の本紙記事で掲載したとおりです」

唯一の全国紙を高らかに掲げ、邁進する読売新聞。その一方で伝統に苦しめられるZ世代の記者たち。

若手の切実な思いは表面的な問題収束を急ぐ上層部に果たして届くのだろうか。