きょう15日は沖縄が日本へ復帰して52年です。「5.15は沖縄を含む日本国民総抵抗の始まりである」とは復帰後、日本共産党副委員長をされた瀬長亀次郎さんの言葉です。私が「赤旗」に入局されたとき瀬長さんはまだ現役で活動されていました。
〝言う勇気〟いまこそ求められていますね。

 

 

 

 沖縄の本土復帰から15日で52年を迎えます。2023年の沖縄県内の自衛隊基地の面積が811ヘクタールと前年比で28ヘクタール増加し、復帰時の1972年から約4・9倍になったことが分かりました。米軍基地と自衛隊基地の面積を単純合計した総面積は1万9265ヘクタールとなり、5年前よりも増えています。

 政府はこの間、与那国、石垣、宮古島などの自衛隊基地新設や、県内各地で地対艦ミサイル部隊を配備。大規模な日米共同訓練も行われ、沖縄の基地負担は「軽減」どころか、質・量ともに増大しています。

 米軍専用基地の面積は1万8666ヘクタールで、依然として全国の70・3%の米軍基地が沖縄に集中。2016年に米軍北部訓練場の「過半」返還が行われましたが、大半は米軍が使用していない遊休地で、実質的な負担軽減になっていません。

 

 

 また、23年の沖縄の自衛官数は約8900人で、前年比で約700人増となりました。記録が残っている1985年から約1・5倍に増加しました。米軍人・軍属・家族の数について、米軍は2011年を最後に公表していませんが、おおむね5万人とみられています。

 政府は今後も、自衛隊の人員、施設の強化を狙っています。26年度までに陸上自衛隊第15旅団(那覇市)を師団に改編し、現行の2500人から3000人規模へ増員。訓練場新設も狙っており、保革を超えた住民の反対の声を受け、うるま市での用地取得は断念しましたが、県内の別の場所での新設を検討しています。

「基地なき島」遠く
県民の願いに背 進む要塞化
 沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になり、戦後は“銃剣とブルドーザー”による土地強奪など過酷な米軍統治下に置かれた沖縄。本土復帰直前の1971年11月、初の「琉球政府」公選主席となった屋良朝苗氏がまとめた「復帰措置に関する建議書」には、「県民は…従来通りの基地の島としてではなく、基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります」とつづられていました。

米の横暴野放し

 

(写真)軟弱地盤が広がる海域の埋め立て関連工事が強行されている大浦湾=2月1日、沖縄県名護市

 

 しかし、日米両政府はその願いに背を向け続けてきました。今なお米軍専用基地の7割が沖縄に集中。住宅地でのオスプレイ飛行やパラシュート降下訓練の強行、米軍関係者による事件・事故、有機フッ素化合物PFAS(ピーファス)による環境汚染など、米軍の横暴が野放しにされています。

 さらに政府は、名護市辺野古の米軍新基地建設をめぐり、沖縄県知事の権限を奪う「代執行」で工事を強行。米軍のために地方自治と民主主義を踏みにじっています。

 米軍基地に加え、自衛隊基地の増強が加速しています。与那国、石垣、宮古島などの先島諸島で自衛隊基地を開設。沖縄本島の勝連分屯地(うるま市)にも地対艦ミサイル部隊を配備しています。

 離島での作戦を想定した大規模な日米共同訓練も本格化しており、今年3月には「アイアン・フィスト24」を、2023年10月には「レゾリュート・ドラゴン23」を実施するなど、日米一体化も進んでいます。

 今月17日には、エマニュエル駐日米大使が与那国島と石垣島を訪れ、自衛隊施設などを視察する予定です。米軍は「人員輸送」を名目に与那国・新石垣両空港の利用を県に申請。沖縄の空港、港湾の軍事利用とともに、先島諸島の自衛隊基地の米軍利用を加速させる狙いがあるとみられます。

 在沖米海兵隊は離島に臨時の戦闘拠点を設け、中国をけん制する「遠征前進基地作戦」(EABO)の具体化を進めており、先島諸島の自衛隊基地を米中戦争の最前線拠点にする狙いです。

県議選で審判を

 

 

 前出の屋良建議書は、「戦争につながる」として自衛隊基地の配備にも反対していました。「自衛隊の沖縄配備は、海外諸国を刺激し、基地にまつわる不安は増大こそすれ軽減することはないであろう」と強調。半世紀前の懸念が現実となっています。

 基地は暮らし破壊の根源でもあります。米軍による占領は本土と沖縄の経済格差を生み出し、基地の存在は沖縄経済の阻害要因になってきました。全国平均の70%にとどまる県民所得や、全国平均の2倍の子どもの貧困率などの問題の背景にも、基地に由来するゆがんだ構造があります。そこに物価高騰が直撃し、県民生活はさらに困難に直面しています。

 県民が願う「基地のない平和の島」。その実現を阻んでいるのが自公政権です。玉城デニー知事が復帰50年を機にまとめた「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」で、辺野古新基地建設断念や日米地位協定の改定などを求めましたが、岸田文雄政権は背を向けています。沖縄県議選(6月7日告示、16日投票)は、自公政治に審判を下す絶好の機会です。

 

 

玉城デニー知事コメント発表 きょう復帰52年「建議書の願い叶えるために」 

 

 

 沖縄の日本復帰52年を迎えるにあたり、玉城デニー知事は「復帰50年目の節目に策定した『平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書』に込めた全ての願いを叶(かな)えられるように取り組んでいく」とコメントを発表した。

 玉城知事は、沖縄を取り巻く社会・経済情勢について、「コロナ禍の影響が和らぐなか、入域観光客数の増加など持ち直しの動きがみられる」と評価した。一方で、長引く物価上昇による家計の負担増や、人手不足による需要の取りこぼしなどを懸念した。

 また、ロシアによるウクライナ侵攻や、北朝鮮のミサイル発射問題といった世界情勢に触れ、「平和の樹立があってこそ安定的な経済活動の推進につながる」と訴えた。県として、世界の平和構築や国際的課題の解決に貢献する「21世紀の万国津梁」を実現するために「独自の地域外交の取り組みを強化・推進していく」と強調した。 

 

主張
沖縄本土復帰52年
「平和の島」へ 対話と外交こそ

 

 沖縄は、1972年5月15日の本土復帰から52年を迎えました。

 米国から日本の施政権下への復帰に際し、県民の選挙で選ばれた琉球政府の屋良朝苗(やら・ちょうびょう)行政主席は、日本政府への「建議書」(71年11月)で、県民は「平和憲法の下で基本的人権の保障を願望」し、「基地のない平和の島としての復帰を強く望んでいる」と訴えました。甚大な犠牲者を出した45年の沖縄戦と、その後27年間にわたる苛酷な米軍支配の下での深刻な基地被害、悲惨な事件・事故を数限りなく体験してきたからです。

■原点からの逆行
 しかし、日米両政府が結んだ沖縄返還協定は、広大な米軍基地を存続させました。半世紀以上たった今も、日本の国土面積の0・6%にすぎない沖縄に、全国の米軍専用基地面積の7割が集中し、県民はさまざまな基地被害や事件・事故に苦しめられています。

 しかも、岸田・自公政権は、沖縄の民意と地方自治をじゅうりんし、県の不承認処分を覆す「代執行」という強権まで発動して、名護市辺野古で新たな米軍基地建設を強行しています。

 さらに、岸田・自公政権は、沖縄をはじめ南西諸島で自衛隊の増強を急ピッチで進めています。2022年末に決めた安保3文書に基づき、自衛隊の部隊や基地を拡大・強化し、敵基地攻撃のための長距離ミサイルの配備や空港・港湾の軍事利用などを狙っています。沖縄を米軍と自衛隊の軍事要塞(ようさい)にする動きです。

 沖縄県の玉城デニー知事は復帰50年の22年5月、「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を政府に提出しました。

 新たな建議書は、「沖縄を平和の島にする」という復帰時の目標はいまだ達成されていないと強調しています。13年に県内全ての市町村長・議会議長らが米軍機オスプレイの配備撤回と普天間基地の県内移設断念などを求めた「建白書」を政府に提出したものの一顧だにされず辺野古新基地建設が強行されるなど、県民は新たな基地負担を強いられていると批判しています。

 また、沖縄での「抑止力強化」=軍事力増強がアジア太平洋地域の緊張を高め、偶発的な衝突が本格的な軍事紛争につながることに懸念を示し、沖縄が攻撃目標にされるような事態は決してあってはならないとしています。そのため、政府は平和的な外交・対話によって地域の緊張緩和と信頼醸成を図り、平和の構築に寄与するよう求めています。

■県議選勝利必ず
 県は今年3月、「地域外交基本方針」を発表しました。その中で「『二度と沖縄を戦場にしてはならない』という思いは、平和を希求する『沖縄のこころ』として今日まで受け継がれている」とし、海外自治体との友好関係強化など信頼醸成に力を尽くすとしています。

 「戦争の準備」か、「平和の準備」かが鋭く問われている中、沖縄では県議選(6月7日告示、16日投票)がたたかわれています。共産党は、辺野古新基地建設や沖縄の軍事要塞化のストップ、憲法9条が生きる地域平和外交の推進を公約に掲げています。共産党7予定候補の全員勝利はデニー県政を前進させ、「基地のない平和で豊かな沖縄」を実現する大きな力になります。

 

与那国町長に公開質問状 「キャンキャンわめく」「一戦を交える覚悟を」 発言問題視、市民ら撤回要求

 
 
 【与那国】与那国町の新港計画を巡る住民説明会や改憲派のフォーラムでの糸数健一町長の発言について、「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」と住民1人は14日、同町役場で糸数町長に公開質問状を手渡した。17日にエマニュエル駐日大使が軍用機で同町を訪れることに対しても、町として自粛を要請すべきだと要望した。