日本ではいつしか首相が経団連などに賃上げを要請するのが当たり前の光景となってしまったが、放っておけば圧倒的に強い経営側に対し、労働者の取り分を拡大させる役割は一義的には労組が担うものである。そのためには、個々の組合の意識改革に加えて、産業別を軸にした労働界の大胆な再編が欠かせない。息を吹き返したアメリカの労働運動を見ていると、改めてその思いを強くするばかりだ。

 

 

強い労働組合
「UAWはアメリカン・ドリームを救っている(The UAW is saving the American Dream)」

ビッグスリー(大手自動車会社3社)すべてから、4年半で25パーセントの賃上げをはじめとする大幅な譲歩を引き出し、闘争収拾の方針を示した際、全米自動車労働組合(UAW)のフェイン会長が放った言葉だ。

 

アメリカン・ドリームという言葉はしばしば、勝者総取り方式のアメリカ型競争社会を勝ち残った一握りの人たちが手にする巨大な富を指すと誤解されることがある。だが、言葉の本来の意味は、工場労働者であっても一軒家に住み、子どもを大学に行かせることができ、老後は年金で苦労なく過ごせる——つまり、まじめに働きさえすれば「中流」の人生を送れることを指した。それを可能にした重要な要素の一つが、強い労働組合だった。
 

労組の名に値しない日本の労組
試算によると、2023年の賃金交渉の結果が反映されれば、GMやフォードの工場で働く労働者であっても、年収10万ドルに到達することが可能になるという。工場がある地域の物価水準を考えれば、十分に快適な人生を送れる水準だ。貧富の差の拡大が続くアメリカで過去のものになりつつあったアメリカン・ドリームは、たしかに息を吹き返しつつあるようだ。

一方で、日本の労組のほとんどは労組の名に値しない——。

この指摘を「何をいまさらわかりきったことを」と感じるか、驚きをもって受け止めるかは人それぞれだろう。労組自体にまったく接点がなく、何のイメージも持っていないという人も増えているだろう。

だが、アメリカの自動車産業などで起きていることを見れば、労組が本来経済の中で果たしうる役割も、翻って日本に本当の労働運動がほとんど存在しないという言葉の意味するところもよく見えてくる。

 

「産業別労組こそが本来の労組だと言っても、現に日本でも産別組織はあるではないか」と思う人もいるかもしれない。たしかに、日本にも自動車総連や電機連合、日教組など、産別組織は存在する。だが、日本の産別組織は統一的な要求を掲げることはあっても、それは単なる目安であり、満足のいく回答が得られなければ一斉にストなどということは万に一つもあり得ない。

期待できないストライキ
そもそも、「労使協調路線」の名の下に、大企業では会社側の人事ローテーションの一環に組み込まれており、経営側と本気で対峙するつもりなど最初からない労組も多い。そんな労組ではストなど期待のしようもないし、ストという最大の武器を放棄して徒手空拳で経営側に何を求めても、結果は目に見えている。

つまり日本の場合、特に大企業の企業別労組やそれらが加盟する産別組織、ナショナルセンター(全国組織)である連合や全労連は、悪く言えば単なる労組ごっこである。あるいはどんなに好意的に解釈しても、世界の労働運動の潮流からはかけ離れたガラパゴス的進化を遂げ、職場の改善要求の受付窓口や会社側の諸施策の広報機関といった極めて限定的な役割しか果たさないものと言わざるを得ない。前年比3パーセントを超すことが常態化した物価高を前にして、「3パーセント以上」の賃上げと2パーセントの定期昇給を求めることしかできなかった連合の2024年春闘「基本構想」が何よりもそのことを如実に物語っている。

 

日本ではいつしか首相が経団連などに賃上げを要請するのが当たり前の光景となってしまったが、放っておけば圧倒的に強い経営側に対し、労働者の取り分を拡大させる役割は一義的には労組が担うものである。そのためには、個々の組合の意識改革に加えて、産業別を軸にした労働界の大胆な再編が欠かせない。息を吹き返したアメリカの労働運動を見ていると、改めてその思いを強くするばかりだ。