猛特訓しています。多喜二の時代は絶対にご免だ。そんな思いで構成劇に挑んでいる小樽市民。熱い思いが伝わる稽古を必死でしています。

多喜二が初めて原稿料がもらえる小説を書いて手に入れたお金を小樽に住む母セキさんに送り、夫末松さんのために建てた墓。そこに今は多喜二も眠っています。壺井繁治が多喜二の死を知ったのは牢獄に面会に来た、壺井栄が書いた「多喜二死んだ」の紙切れだった。面会室の看守に見つからないようにソッと栄は重治に見せたそうだ。虐殺…。多喜二が生きて感じたかった「新憲法」。それを思うだけで涙が流れる。ペンを持つ手をへし折り生業にしていた小説家を嬲り殺した公安そしてその時代の権力者を私は許さない。

 

セキさんは明るく子供たちを愛しきって生き抜いた人だったと聞いて少し安堵しながら、この詩が蘇るのである。

 

『ああ またこの2月の月が来た

本当にこの2月という月が

嫌な月、声を一杯に

泣きたい どこへ行っても泣かれない

ああ でもラジオで

少し助かる

ああ涙が出る

眼鏡がくもる』

 

あんちゃんの面影を抱きながら母セキさんは生き抜いた。セキさんは文字が書けませんでした。しかし多喜二に手紙を書きたい一心で覚え多喜二に手紙を送り続けました。

 

 

 小樽多喜二実行委員会では、没後91年となる2024(令和6)年小樽多喜二祭の日程と内容が決まり、参加者を募っている。

 

 生前の多喜二は、「小樽を本当のふるさとのように思う」と語り、小樽での多喜二祭は1946(昭和21)年以来48回目となり、多喜二の墓や文学碑・ゆかりの場所が沢山あり、多喜二の心をしっかりと受け止めようと企画。今回は、多喜二が墓を建てたと言われる(昭和5)年6月2日を軸に開催する。

  6月1日(土)、小樽市民センターマリンホールで記念のつどいを開催。参加費1,000円(高校生以下無料)。

 



  14:00から市民構成劇「2月20日多喜二のお母さんへ」と題して、壷井繁治氏の長編詩をもとに、大地巌氏・森一生氏の脚色演出で、多喜二と母セキの思いを、多喜二の生涯を思う同志の思いを市民有志が演じる。

 

15:00から、小樽商科大学客員研究員・歴史民俗博士地域レジリエンス株式会社高野宏康代表取締役の記念講演「北海道の心臓と民の力—多喜二の見た小樽」を開催する。

  6月2日(日)11:00〜12:00に、奥沢墓地多喜二の墓前で、赤いカーネーションを参加者全員で献花する墓前祭を開催。これまで多喜二が亡くなった日2月20日に墓前祭を開催していたが、実行委員会の高齢化に伴い、昨年は7月14日に開催し、今年は多喜二が墓を建てた日に初開催する。

  14:00〜15:30は、小樽市民センターに集合しガイドマップ「多喜二と小樽」を見ながら、多喜二の作品や運動・闘いの舞台を徒歩で巡る。募集30名程度・資料代500円。問合せ:080-6099-1815 小樽多喜二実行委員会事務局。