「サンモニ」膳場貴子アナ、「3補選全敗」の自民党に見解…「若手議員から改革を進めようとする動きがなかなか出て来ない…もどかしさを感じる」

 

 

 

 

 フリーの膳場貴子アナウンサーが司会を務めるTBS系「サンデーモーニング」(日曜・午前8時)は5日、28日に投開票された衆院東京15区、島根1区、長崎3区の3補欠選挙で自民党が島根1区以外で候補者擁立を見送ったため、不戦敗を含めて異例の全敗を喫したことを報じた。立憲民主党は3補選すべてを制した。

 今回の結果に膳場アナは「岸田総理、厳しい立場に立たされています」と指摘した。

 さらに「自民党については若手議員の中から改革を進めようとする動きがなかなか出て来ない。ここにもどかしさを感じるんです」とコメントしていた。

 

 

平和を目指したはずの憲法9条2項が日本を戦争に向かわせる


 5月3日、日本国憲法が施行されて77年が経った。人間なら喜寿を祝うところだが、日本ではこの77年間、憲法を改正しようとする勢力と、改正させまいとする勢力が常に対立してきた。

 対立点となるのは憲法9条である。9条は1項で「国権の発動たる戦争と、威力による武力の行使または武力の威嚇は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と戦争放棄を謳っている。これには誰も反対しない。

 問題は2項だ。「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と書かれている。しかし日本には陸海空の自衛隊があり、軍事力分析機関によれば世界7位の戦力を持っている。

 そして同盟国が攻撃されれば、集団的自衛権の行使により、日本が攻撃されなくとも自衛隊は反撃することができる。さらに敵国が日本をミサイル攻撃しようとすれば、自衛隊は長射程のミサイルで敵基地を攻撃する能力を持つことになっている。

 9条2項の条文と自衛隊の実態との間に乖離があることは明白だ。しかし乖離はないと政府は言う。国には自衛権があり、急迫不正の攻撃に対し、他に手段がない場合、必要最小限の実力行使は9条に違反しないというのだ。

 確かに国際法で自衛権は認められている。他国から攻撃されても国民が殺されているのを眺めているだけの政府ではどうしようもない。従って自衛の戦争は禁止すべきではない。禁止すべきは他国を侵略する侵略戦争だ。

 9条2項の戦力不保持も交戦権の否定も、自衛戦争ではなく侵略戦争のことを言っていると考えれば理解できる。しかし政府の説明は違う。「必要最小限の実力行使」だから憲法違反にならないというのだ。

 必要最小限の実力行使とは何か。皆さんは分かりますか? 私には分からない。しかしその理屈で自衛隊は集団的自衛権の行使も反撃能力の保有も認められてきた。最近では米軍と指揮統制の一体化が図られ、日本の防衛のためだけだった日米安保は世界規模の軍事協力関係に拡大した。

 これを理解するには9条の成立過程から整理して見直す必要がある。1945年8月、日本は戦争に敗れて武装解除された。日本を占領支配したマッカーサーは天皇制を存続させようとして、天皇制に批判的な他の連合国を説得するため、憲法草案に「戦力不保持」を書き入れた。

 国際法上認められている自衛戦争も日本には認めず、GHQは新聞、ラジオ、映画を使って日本軍国主義の戦争犯罪を宣伝し、国民の意識に「軍隊は悪」を刷り込んだ。そうすれば日本が二度とアメリカに歯向かうことはない。これに首相の吉田茂も同調した。

 憲法を制定する1946年の国会で、吉田はこの憲法こそ人類の理想だと主張した。これに対し共産党の野坂参三は「否定されるべきは侵略戦争で、自衛の戦争は認められるべきだ」と主張して論争になった。

 共産党の主張は国際法に適う正当なものだが、吉田はすべての戦争を否定し軍隊を悪とみなした。戦争の悲惨さを痛感し、食うや食わずのどん底だった国民には受け入れやすい主張だった。

 日本政府が自衛隊を憲法違反でないとするのに、「自衛戦争」を根拠にしないのはここに出発点がある。後に政府は「必要最小限の実力行使」という曖昧な制約を設け、それを根拠に違憲でないと主張するが、それは9条の拡大解釈をも可能にする。

 1949年、マッカーサーは「独立後の日本は東洋のスイスになることを期待する」と述べ、沖縄を軍事基地化してアメリカ空軍を駐留させ、それが軍隊のない日本を守り、日本は中立国になる構想を打ち出した。

 ところが米ソ冷戦が始まり、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、アメリカは非武装国家にしようとしていた日本と西ドイツに、一転して再軍備を要求する。西ドイツはそれに応え、憲法を改正して戦前とは異なる民主的な軍隊を作り徴兵制を敷いた。

 一方の日本は吉田が9条を盾に再軍備を拒み、代わりに軍需産業を復活させ、武器弾薬を米軍に提供することで経済復興に利用しようと考えた。日本は戦争特需で好景気となり工業国家になった。これが吉田の「軽武装・経済重視路線」の始まりである。

 日本が高度経済成長を達成したのは「日本人は勤勉だから」と多くの日本人は言う。確かに日本人には上の者に従う国民性がある。しかし労働の生産性は昔から低い。成功の端緒は朝鮮戦争とベトナム戦争の巨額の戦争特需にあると私は思う。

 9条を支持する者の中に「9条のおかげで戦後の日本は弾丸を一発も撃たずに平和国家を維持した」と言う者がいる。しかし9条のおかげで日本人は弾丸を製造して金儲けに走り、アジア人の血の犠牲の上に経済発展を成し遂げた。

 さらに日本は経済成長のために9条を利用してアメリカを騙す仕組みを作り出した。そのため巧妙な政治制度を作り、それに国民も騙され、日本は民主主義とは名ばかりの政権交代なき政治をいまでも続けている。その詳細は後述する。

 アメリカの再軍備要求によって日本は1950年に警察予備隊を作った。それは米軍が訓練を施す実力組織で、法的には警察だが内実は軍隊そのものだった。そしてその翌年、日本はサンフランシスコ講和条約で念願の独立を果たしたのである。

 その時点でアメリカの対ソ戦略基地は日本と沖縄にしかなかった。アメリカは日本が独立しても在日米軍基地を存続させる必要があり、そのため「日本を防衛する米軍の配備を希望する」と日本に言わせ、日米安保条約が結ばれた。

 日本には軍隊がないので、相互防衛を行うことができない。そのため日米安保はアメリカが軍隊を日本は基地を提供する「ヒトとモノ」との非対称の関係である。欧州のNATO諸国や軍隊を持つフィリピンと異なり、軍隊のない日本はアメリカに従属するしかなくなった。

 改進党など反吉田派は対米従属から脱するため、自衛の戦争を行う軍事組織を持つべきだと主張した。少数派に転落していた吉田はそれに譲歩し、53年に初めて防衛の任務に就く自衛隊が誕生した。

 この時、私は憲法を改正して9条2項を削除すべきだったと思う。しかし政府は改正ではなく解釈変更を行い、9条2項を残したまま自衛の戦争を認めることにした。そして「軍隊は悪」と刷り込まれた国民から自衛隊が違憲だと言われないように、自衛権発動の三要件を設けて縛りをかけた。

 それが①急迫不正の攻撃があり,②他に手段がなく、③必要最小限の軍事力行使である。その上でこの時、国際法で認められている集団的自衛権を憲法違反と解釈し、それとの対比で個別的自衛権を憲法違反ではないと主張したのである。

 だから2015年に安倍内閣が集団的自衛権の行使を容認したのは何の不思議もない。憲法解釈で違憲と言われたものを合憲にすることは解釈の変更で可能になる。日本は国民が議論に参加し、国民投票で改正するやり方を取らず、国民を参加させない解釈改憲の方法で憲法を変更し続けてきた。

 そこで前述した9条を利用しアメリカを騙した巧妙な政治のトリックを説明する。私は80年代半ばから政治記者となって自民党最大派閥の田中派を担当した。田中角栄は私に「日本の最大の問題は野党がないことだ」と言った。「社会党や共産党は野党ではないのか」と問う私に、田中は「国家経営をやろうとせず、要求をしているだけだ」と答える。

 それでも納得しない私に田中は「選挙で過半数を超える候補者を擁立していない」と言った。それで私の目からうろこが落ちた。社会党は過半数を超える候補者を擁立せず、逆に共産党は全選挙区に候補者を立てて社会党の足を引っ張る。自民党が万年与党でいられたのは社会党と共産党のおかげだ。

 それを国民に気付かれぬよう、社会党と共産党は憲法改正反対を掲げ、改正させない3分の1の議席獲得を目標にした。吉田と野坂の国会論戦から分かるように9条に手を触れさせないようにしたのは吉田で、野坂は正論を言って改正を求めた。それが逆転したのだ。

 そのカラクリを竹下登が教えてくれた。GHQと吉田によって日本国民は「9条こそが平和への道」と信じ込まされた。そこで野党に護憲運動をやらせれば国民は野党を支持する。それをアメリカに見せつけ、アメリカが日本に軍事要求を強めれば、政権交代が起きてソ連寄りの政権が誕生すると思わせた。

 こうして自民党はアメリカの軍事要求をけん制し、一方で社会党と水面下で手を結ぶ。社会党は過半数を超える候補者を擁立せず、ソ連寄りの政権は誕生しない。そして自民党と社会党は経済で協力する。「春闘」という賃上げ方式が力を発揮し、日本は世界一格差の少ない資本主義を実現した。

 85年に日本はついに世界一の債権国に上り詰めた。同じ年にアメリカが世界一の債務国に転落したため、アメリカの逆襲が始まるが、第二次大戦に軍事でアメリカに敗れた日本は、冷戦構造と9条を利用して経済でアメリカに勝利した。それが吉田の「軽武装・経済重視路線」だった。

 しかし冷戦が終わればこのトリックは効かなくなる。アメリカに防衛を委ねていることが致命的なネックとなり、軍事でも経済でもアメリカは日本を思い通りにできる。そう思った私は冷戦が終わる直前からワシントンに事務所を構え、アメリカ議会情報を日本に紹介する仕事を始めた。

 1991年12月、ソ連が崩壊してアメリカは唯一の超大国になった。世界を支配するアメリカは自分たちには使命があると考える。民主主義を世界に広めるためには戦争も辞さないとするネオコン(新保守主義)が民主・共和両党に影響力を持った。

 ネオコンの一人であるチェイニー国防長官は1992年にDPG(防衛計画指針)を作成し、アメリカの敵として、ロシア、中国、ドイツ、日本の名を挙げた。そこには日本がアジア太平洋で力を持つことを許さないと書かれている。

 世界一格差の少ない資本主義を実現した吉田の「軽武装・経済重視路線」は、冷戦崩壊後に逆回転を始めた。9条を守りアメリカに従属することが冷戦時代には経済を上向かせたが、冷戦後は富の流出を促進する。かつて再軍備を要求したアメリカが日本に9条を守らせる方がアメリカの利益になると考えた。

 1993年に就任したクリントン大統領は宮沢喜一政権に「年次改革要望書」を突き付け、日本の経済構造を転換するよう迫って来た。そしてアメリカは中国を世界市場に招き入れ、IT分野ではアメリカに支えられた韓国と台湾が日本を追い抜き、日本の輸出を支えた電機メーカーが軒並み不振に陥った。

 日本型経営の中枢にいた銀行はバブル崩壊と共に不良債権を抱え、アメリカのハゲタカファンドの餌食となる。アメリカの力で輸出主導型の貿易立国路線も続けられなくなった。アメリカ製兵器の購入に歯止めがかからなくなり、日本を反面教師とする中国は、自前の軍事力を増強し、アメリカと対峙するようになった。

 吉田の「軽武装・経済重視路線」は、今や「重武装・経済軽視路線」に転じたと思う。そして唯一の超大国アメリカも、ネオコンが主導した「テロとの戦い」に失敗し、その力が急速に衰えた。

 オバマもトランプも「世界の警察官をやめる」と言い、バイデンもアフガンから軍を撤退させ、アメリカが作った政権を見捨てた。ウクライナでも兵器を送るだけで、軍を介入させることはできない。

 台湾有事でアメリカは日本の自衛隊の役割を強調するが、核を持つ中国との戦争にアメリカがどれほど本気で取り組むのか私は疑問である。もしトランプが大統領に復活すれば、「戦争を終わらせ、戦争をやらない大統領」になる可能性がある。

 そうなれば世界はアメリカ一極支配に終止符を打ち、民主主義を世界に広めようとするアメリカの使命感から解放され、多様な価値感が共存する新たな世界に向かうと思う。

 そういう時に、第二次大戦の敗戦国として自衛戦争も認められなかった日本が、アメリカ従属体制から脱するのは当たり前の話だと思う。そうしないと力の衰えたアメリカが日本を戦争の前面に立たせるため、9条の解釈変更を迫ってくる可能性がある。

 憲法は解釈変更ではなく国民が議論し、国民投票で変更するのが民主主義の政治である。マッカーサーは独立後の日本を「東洋のスイス」にしたかったと書いたが、そのスイスでは172年間に630回も国民投票が実施された。国民は頻繁に政策課題に意思表示をする。

 そしてスイスは200年以上も戦争をしない平和国家である。平和を維持する道具は「戦力不保持」や「交戦権の否定」を盛り込んだ平和憲法ではない。自分で自分の国を守り、どの国とも同盟関係を持たない永世中立国だからである。

 非武装中立ではなく武装中立だから平和が維持できる。日本はマッカーサーが構想した「東洋のスイス」を目指すべきではないか。

 

 

元最高裁判事2人に聞いた 結婚後の名字の制度どうなる?

 
山本庸幸元最高裁判事のコメントが怖い。名前を奪われることを「ちょっとの不合理さや不便さ」と。なるほど櫻井龍子さんが“議論が噛み合わなかった”と言っていたのがよく分かる。行く先々で“不合理さ”に阻まれる女性たちの無力感や悲しみに思いを致してほしい
「パスポートや運転免許証などを変えなければならないのは面倒ですが、『結婚して姓が変わりました』と言えばいいだけの話で、どうしても耐えられないという程度の問題ではないですね。対応策はいくらでもあるわけです。ちょっとの不合理さや不便さを理由に、違憲判断はできないと思います」
 
 
「あなたの母親の旧姓は?」

パスワードを忘れたときの「秘密の質問」で見かけるこのフレーズ。結婚した夫婦の94%以上が夫の名字を選ぶ日本ならではの質問です。

夫婦は同じ名字にするという制度をめぐっては、「家族の一体感を保つために必要だ」という声がある一方、「夫婦で不平等になっていて、別姓も選べるようにすべきだ」と主張する人たちが、繰り返し裁判を起こしてきました。

何十年も議論されてきたこの問題。なぜ解決しないのか。
今回、最高裁判所が初めて判決を出した時の裁判官2人に話を聞くことができました。2人の憲法判断をひもとくとともに、未来に向けての提言を聞きました。
(社会部記者 佐伯麻里)

夫婦の名字 憲法との関わりは
 
 
ことし(2024年)3月、事実婚のカップル5組と夫婦1組が国に賠償を求めて裁判を起こしました。結婚後の名字をめぐる3度目の集団訴訟と言われています。

問題としている規定の1つが、民法の条文です。

民法750条
「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」

夫婦どちらかの名字を選べることになっていますが、実際は夫の名字を選択した夫婦の割合が94.7%に上っています。(厚生労働省のおととしの調査)
 
 
原告たちは、「女性ばかり仕事や生活上の不利益が生まれ、憲法が保障する『婚姻の自由』や『両性の本質的平等』に違反している」などと主張しています。
 
 
裁判を起こした原告
「自分の氏名は自分そのものなので結婚によって変えたくないという気持ちは自然なものだと思います。みんなが幸せに結婚できるために、選択的夫婦別姓制度は必要だと考えています」
30年続く議論
名字の規定をめぐる議論は、およそ30年前にさかのぼります。
 
 
政府は、夫婦で別の名字を選べる制度の導入を2度にわたって検討しましたが、「国民の意見が分かれている」として、いずれも法案の提出には至りませんでした。

そうした状況を受けて集団訴訟が繰り返し起こされ、最高裁の大法廷はこれまでに2回、「憲法に違反しない」という合憲の判断を示しました。
世論は年代で傾向分かれる
NHKは、4月初めに憲法に関する世論調査を行いました。
 
NHK世論調査
期間:2024年4月5日~7日
対象:全国の18歳以上 3,129人
方法:電話法(固定・携帯RDD)
回答数(率):1,534人(49.0%)
 
 
別の名字を選べる「選択的夫婦別姓」について尋ねたところ、「賛成」が62%、「反対」が27%でした。

さらに年代別で詳しくみると、18歳から60代までのそれぞれの年代では、いずれも「賛成」が70%台で「反対」を大きく上回りました。

一方、70歳以上は「賛成」が48%、「反対」が40%となり、60代と70代を境に傾向が分かれました。
 
 
「賛成」と答えた人に理由を聞いたところ、「選択肢が多いほうがいいから」が56%、「名字が変わると、仕事や生活で支障がある人もいると思うから」が18%、「女性が名字を変えるケースが多く、不平等だから」が12%、「自分の名字に愛着がある人もいると思うから」が10%でした。

一方、「反対」と答えた人に理由を聞いたところ、「別の名字にすると、家族の絆や一体感が弱まるから」が36%、「別の名字にすると、子どもに好ましくない影響を与えるから」が26%、「別の名字にすると、まわりの人が混乱するから」が18%、「旧姓のまま使える機会が増えているから」が12%でした。
合憲支持の元判事 “夫の姓95%は慣習”
なぜ問題が解決せず、議論が続くのか。

夫婦は同じ名字にするという制度について、最高裁が初めて合憲判決を出したときの裁判官に話を聞くことができました。当時、合憲を支持した山本庸幸さんです。
 
 
記者
「なぜ司法でここまで長い間議論されても解決しないんでしょうか」

山本元判事
「家族の姓はどうあるべきかという問題なので、それだけ問題が根深いということではないでしょうか。議論が熟していないし、およそ95%が夫の姓を選択するというのは慣習の問題です」
 
 
山本元判事
「パスポートや運転免許証などを変えなければならないのは面倒ですが、『結婚して姓が変わりました』と言えばいいだけの話で、どうしても耐えられないという程度の問題ではないですね。対応策はいくらでもあるわけです。ちょっとの不合理さや不便さを理由に、違憲判断はできないと思います」
 
“制度論と憲法論は異なる”
山本さんは、社会にとってどちらの制度がよいかという議論と、憲法違反かどうかの議論は異なると指摘します。
 
山本元判事
「違憲というのはもう耐え難い状況で、違憲判断するしかないというときに発動すべきで、今の規定があるから結婚できないというものでもないでしょう。憲法で保障される婚姻の自由や両性の本質的平等を阻害していると思うことはできません」
 
違憲主張の元判事 “実態見れば女性に不利”
 
15人いる最高裁の裁判官の中には、合憲の判断に異を唱える人もいました。山本さんとともに審理に参加した、元判事の櫻井龍子さんです。
 
 
櫻井さんは、当時いた女性判事、3人全員の連名で「婚姻の自由や両性の本質的平等を保障する憲法に違反する」という多数意見とは異なる見解を示しました。
 
櫻井元判事
「確かに表面上はどちらかの姓を名乗ればいいことになっていますが、社会状況や慣習の中で女性が夫の姓を名乗り、いろいろな不利益を被っています。こうした実態や現実、結果に立脚すると、明らかに女性に不利な状況をもたらしているので、夫婦同姓を求める規定は差別的です」
 
櫻井さんは旧姓の「藤井龍子」として旧労働省で女性局長を務めるなど実績を積み上げましたが、その後、最高裁の判事に就任すると旧姓の使用が認められず、過去の評価を認識してもらえない経験をしました。※現在は裁判官も旧姓使用が可能。
 
櫻井元判事
「最高裁判事になった時、『どこの馬の骨か分からない』と言われ、経歴や実績が切れた悲哀を味わいました。旧姓使用はダブルスタンダードみたいなもので、相手が認めるか認めないかで決まる不安定なものです。今も海外などでは、旧姓を使っても身分証明が非常に難しいなど、不便どころか大変な問題が生じることもあります」
 
“制度あるかぎり差別意識は潜在的に残る”
櫻井さんは、夫婦は同じ名字にするという制度があるかぎり、男女の差別意識は潜在的に残り続けるといいます。
 
櫻井元判事
「95%前後が夫の姓を名乗る構図は、夫が主で妻が従、夫が外で働き妻は中で家事をやるという役割分担意識を再生産し、強める方向になっています。最高裁が真っ正面から違憲判断を出すことを期待します」
司法より先に議論すべきは…
合憲か違憲かで分かれた山本さんと櫻井さん。

一方、長く続くこの問題の解決の糸口について聞くと、2人は口をそろえて「国会での議論の重要性」を強調しました。
 
実は最高裁の大法廷はこれまで2回の合憲判断の中で、「制度のあり方は国会で論じられるべきだ」として、国会に議論を促しました。しかし国会では、今でも具体的な制度の議論は進んでいないのが現状です。
 
山本元判事
「選択的夫婦別姓制度は基本的な家族の価値観に関わり、戸籍など影響する範囲もあまりにも広いテーマです。こういう問題は、そもそも論の『家族とは』という哲学から始まって、主権者の意向を体現する国会で十分議論して、その過程で決定されるべきものではないかと思います」
 
櫻井元判事
「家族の形や国民の意見が多様化するなか、最高裁が2回にわたって『国会で議論すべきだ』と言っているにもかかわらず動かないとしたら、今度の判決では、国会の怠慢という意味で違憲判断をする結論もありうると思います。最高裁の判決が出る前に、国会でぜひ議論していただきたい」
 
取材後記
私たちが生まれた時からそれぞれ付いている名字。

あまりにも当たり前にあるがゆえに、どうあるべきかということを正面から考えるのは難しいことですが、2人の元最高裁判事へのインタビューを通して、社会全体にかかわる大事な問題だと思いました。

どのような司法判断が示されるのか、国会での議論は進むのか、今後も取材を続けたいと思います。

(5月3日「おはよう日本」で放送予定)
社会部記者
佐伯 麻里
2016年入局
富山局を経て社会部
検察担当を経て2023年8月から裁判取材を担当

 

各地で憲法集会 憲法改正めぐり岸田総理「選択肢を示すことは政治の責任」

 

こういうときに「憲法改正を目指す団体の集会」とか書くからダメ。ちゃんと「日本会議」と書きなさい。

こういうところが「報道の自由度が70位」のゆえん

 

 

 

憲法記念日のきょう、各地で集会が行われました。岸田総理は憲法改正について、“先送り出来ない重要な課題だ”と訴えました。

岸田総理
「政治改革の議論と併せて、憲法改正という重要な課題について、党派を超えて連携しながら、真摯に議論を行う姿を国民の皆様にお見せしていきたいと考えています」

岸田総理は憲法改正を目指す団体の集会にビデオメッセージを寄せ、「憲法改正は先送りできない重要な課題であり、国民に選択肢を示すことは政治の責任だ」と国会での積極的な議論に期待を寄せました。

一方、都内の別の場所では憲法改正に反対する集会が開かれました。

立憲民主党 逢坂誠二 代表代行
「法律を犯しているかも知れない裏金議員、この方々が果たして憲法の議論をする正当性はあるんでしょうか」

日本共産党 田村智子 委員長
「改憲、改憲と叫んでいる勢力の中心的なところにいる人たちほど、古い政治にしがみついているんじゃないでしょうか」

参加者らは、「憲法無視の自民党政治を終わらせる」などと訴えました。