祖父は旧ビルマで爆死した
靖国神社の遊就館を訪れると分かるが
A級戦犯をまるで神のごとく祀られている
だから決して靖国神社へは参拝はしない
その代わり祖父の故郷の墓参りは欠かさない

 

 

 79年前の戦争が改めて注目されている。発端は4月5日、陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が公式X(ツイッター)で、硫黄島(東京都小笠原村)の戦いに関連して「大東亜戦争最大の激戦地」と表記して投稿したことだ。「侵略戦争を正当化するのか」「当時の政府の閣議決定で認められている。何の問題もない」などと論争になった。

 政府は「大東亜戦争」という呼称を公式には使用していない。同連隊は8日、この表記を削除した。木原稔防衛相は9日の記者会見で「激戦の地であった状況を表現するため当時の呼称を用いた。その他の意図はなかったと部隊から報告を受けた」と説明した。

 大日本帝国(帝国)は米英などと戦争を始めた4日後の1941年12月12日の閣議で、37年から続いていた中国との戦争を含めて「大東亜戦争」と名付けることを決めた。敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は「大東亜戦争」の呼称が軍国主義と緊密に関連するなどの理由で公文書での使用を禁じた。52年のサンフランシスコ講和条約でその使用禁止は失効した。それゆえ今日、その呼称を使うのは自由だ。

 私は本紙で帝国の戦争に関する記事を1000件以上書いているが、「大東亜戦争」という呼称を使ったことはない(引用を除く)。GHQが禁じようが禁じまいが、使うべきではないと思っている。二つの意味で、不適切だと考えるからだ。



主張
「大東亜戦争」記述
自衛隊の侵略戦争美化許すな

 

 日本の過去の侵略戦争を美化し、旧日本軍との連続性をうかがわせる自衛隊の言動が続いています。

 陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)の公式の投稿で「大東亜戦争」という表現を使って批判を浴び、この言葉を削除し再投稿することがありました。

 本紙の取材で、海上自衛隊や陸自の幹部が靖国神社に集団参拝していたことも明らかになっています。陸自幹部の靖国集団参拝に際して作成された内部文書に「大東亜戦争」という呼称が肯定的に使われていたことも、本紙の調べで分かりました。

■軍国主義と不可分
 「大東亜戦争」という呼称は、米英両国に対する戦争開始直後の1941年12月12日に当時の東条英機内閣が閣議決定しました。これを受け、内閣直属の言論統制・宣伝機関である情報局は同日、「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す。大東亜戦争と称するは、大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして、戦争地域を大東亜のみに限定する意味にあらず」と発表しました。

 「大東亜新秩序」とは、中国だけでなく、東南アジアとインドの全部、豪州やニュージーランドを含めた西太平洋の全域を日本の支配下に置くことを目標にするものでした。インド太平洋地域への侵略、領土拡張のための戦争が「大東亜戦争」と呼ばれたのです。

 日本敗戦後の45年12月15日、連合国軍総司令部(GHQ)は、「日本国民を欺き侵略戦争へ誘導する」ために利用された神道を国家から分離する覚書(神道指令)を日本政府に出します。

 その中で「公文書において『大東亜戦争』、『八紘一宇(はっこういちう)』なる用語ないしその他の用語にして日本語としてその意味の連想が国家神道、軍国主義、過激なる国家主義と切り離し得ざるものはこれを使用することを禁止する」としました。

 「大東亜戦争」という言葉は、天皇の支配の下に世界を統一するという意味の「八紘一宇」と並んで、侵略戦争を「正義の戦争」だとして、国民を侵略戦争に駆り立てるために使われたのです。GHQの指令は既に失効していますが、日本政府はそれ以降、現在に至るまで「一般に公文書において使用しなくなった」としています。

■靖国参拝をやめよ
 憲法の政教分離原則に反する陸自、海自幹部の組織的な靖国集団参拝も曖昧にできません。

 靖国神社は戦前・戦中、国家神道の中核として、天皇のために戦死した兵士らを「英霊」として祭り、侵略戦争に国民を動員するための精神的支柱の役割を果たしました。戦後、GHQの神道指令を受け、一宗教法人になったものの、戦争指導者として極東国際軍事裁判で有罪になった東条英機らA級戦犯を合祀(ごうし)するなど、侵略戦争美化の宣伝センターになっています。

 岸田政権が敵基地攻撃能力保有など大軍拡を進め、「新たな戦前」の危険が迫る中、元自衛隊幹部などから、自衛官の戦死に備え靖国神社を国家の「慰霊顕彰施設」として復活させよとの声も上がっています。侵略戦争美化につながる自衛隊の言動を許さないことはいよいよ切実な課題です。