同性婚合法化から10年、「変化する英国」の現在地 いじめや差別乗り越え…「自分らしく生きられる人が増えてほしい」

 
 英国国教会も2023年、同性カップルを「祝福」することを認める方針を発表した。ただ、結婚は「一組の男女間のもの」という定義は維持し、同性カップルが英国国教会の教会で結婚することはできないままだ。
 
 
 2014年3月29日。英国のイングランドとウェールズではこの日、同性婚が合法化され、初の同性婚カップルが誕生した。それから10年。差別や抑圧の時代を乗り越えて実現した「性別を超えた婚姻の平等」は人々の意識に浸透する。一方、日本では法整備が進まないままだが、法制化を求める声も徐々に高まりつつある。

 英国人パートナーと結婚し、ロンドンで暮らす日本人男性は「英国は変化している。日本はどうですか?」と問いかける。合法化によって、英社会は一体どのように変わったのか―。英国で結婚した2組の同性カップルへのインタビューを通じて、「英国の今」に迫った。(年齢は取材当時、共同通信ロンドン支局長 植田粧子)
 
 ▽背筋が伸び、体が軽く
 「ゲイの自分が結婚するなんて考えもせずに育った。それが可能になったんだ」。歌手のネーサン・テイラーさん(49)と作曲家のベンジャミン・ティルさん(49)は合法化された初日に、ロンドンで結婚式を挙げた。ミュージカルの仕事を通じて知り合った2人は「自分たちらしく」と、親族や友人ら参列者が歌やダンスで参加する「ミュージカル婚」で自らの門出を祝った。

 式のオープニングを飾ったのは「全てが変わった」という曲。最後は「愛は同じ。何も変わっていない」という歌詞で締めくくられる。「愛し合う2人が結婚できるようになった、ただそれだけのこと。異性同士もこれまで通り結婚できるし、何も変わらない」という思いを込めた。

 挙式に先立ち婚姻届を提出した時のことだ。役場の担当者が壁に掛かっていた1枚のプレートを取り外し、2人に手渡した。プレートには「この国の法律による婚姻は、1人の男性と1人の女性の結び付きだ」という言葉が刻まれていた。「今日、これはもう真実ではなくなった」。担当者に言われ、テイラーさんは「平等とは何かを実感した」と振り返る。

 「背筋が伸び、体が軽くなった気がした」。式を終えた後、テイラーさんはゲイ仲間が集まるロンドン中心部ソーホーのオールド・コンプトン通りを歩きながらそう感じた。ゲイであることへの無意識の羞恥心があったと気づき「初めて社会に認められた。自分は価値がなく劣っているという気持ちが突然消え、力強さが湧いてきた」という。

 
 ▽バッシングは通過儀礼

 2人が生まれる7年前の1967年まで、イングランドとウェールズでは同性愛は犯罪だと見なされていた。幼い頃から自分がゲイだと感じていたティルさんは「バッシングは通過儀礼だと思っていた」。いじめに遭い、道でつばを吐きかけられたこともある。

 マイノリティーとして意識しなければいけないのは「誰もが理解してくれるわけではないということだ」とティルさんは語る。「理解できない理由は数え切れないほどあるし、私たちの母親でさえそうだった」。エイズが流行した1980年代に「自分の息子がゲイだと分かった時の母親の気持ちを想像してほしい」。
 
 結婚式の前にそれぞれの母親に書いてもらった手紙には、これまで聞いたことがないようなことがたくさんつづられていた。ティルさんは、カミングアウトした時に母親が否定的な反応をしたのは「息子は病気になるのだろうか、もう彼を守れないのではないか」という不安や恐怖を感じていたからだと知った。

 式の様子はテレビ番組で放映され、大きな反響を呼んだ。約40年連れ添ったパートナーと結婚できないまま死別した男性や、母親にカミングアウトして勘当された16歳の少年ら、多くの人から手紙やメールが届いた。テイラーさんは「ミュージカル婚を通じて、愛は全ての人にとって普遍的なものだと伝えたかった。物語の主人公は彼らなんだ」と語る。

 
▽「法律が味方なら行動できる」

 同性婚は2001年、世界で初めてオランダで合法化された。現在は米国や台湾など30を超える国・地域で認められており、今年3月27日にはタイでも法案が可決された。一方、アフリカや中東など同性愛を違法とする国も多い。日本でもまだ同性婚は法制化されていないが、3月中旬に札幌高裁が同性婚を認めない法律の規定を憲法違反と判断するなど、法改正を求める声も高まっている。

 合法化で何が変わったのか―。「結婚で人生は計り知れないほど良くなった」とテイラーさんとティルさんは声をそろえる。法律が変わっても人の考えを容易に変えることはできないが「法律が味方であれば、立ち上がって行動できる。それが法的平等の重要な点だ」と力を込めた。
 
 
 ▽「男女」に分けられるのが苦痛

 性的多様性や婚姻の平等について交流サイト(SNS)などで発信し、ネットフリックスの番組「クィア・アイ in Japan!」にも出演した日本人のKanさん(32)は、英国人パートナーのトムさん(29)と英国で結婚した。日本でも「自分らしく生きられる人が増えてほしい」と願い、同性婚の早期法制化を訴える。

 子どもの時から「男女に分けられ、自分をそこに当てはめるのが苦痛で。自分の中のもやもやした思いを表現する言葉がなく、言語化できなかった時期が一番苦しかった」というKanさん。ジェンダー規範への違和感が強く「そういう環境から逃れたかった」。

 ゲイであることを両親にカミングアウトしたのは高校2年の時だった。自分のセクシュアリティーについて悩んでいたが、「当時は社会が変わるという発想は全くなく、自分がおかしいと思っていた」。両親は「KanはKanだから大丈夫だよ」と言ってくれ、ほっとした。
 
 
 ▽「選択肢なく」離れた日本

 英国の大学院に留学していた2016年にトムさんと出会い、交際が始まった。帰国後、3年間の遠距離恋愛を経て2021年に英国で結婚。今はロンドンで暮らしている。

 英国では「同性婚を理由に嫌な思いをしたことは今のところ一度もない」という。日本は性的少数者への理解が遅れ、先進7カ国(G7)の中で唯一、性的指向や性自認に基づく差別を禁じる国レベルの法令もないが「パートナーシップ制度の導入が増えてきたのは前向きな動き。自分たちの存在を認めてもらえるのはうれしい」と評価する。ただ「制度があるから法律がなくていいという考えは違う」ともくぎを刺した。
 
 家族や友達と離れて英国で生活するのは簡単なことではないが、日本では同性婚が認められず、選択肢がなかった。将来的に日本で暮らすことも考えるが「トムの配偶者ビザが下りない状況では日本で結婚生活ができない。自分の人生や将来について主体性が持てないのがもどかしく、悔しい。責任を持たせてほしい」と訴える。

 日本の各種世論調査でも同性婚への賛成が7割を超え、社会は変わりつつある。「ゲイやレズビアンは『エンタメ』として消費されてきたが、この10年で『社会問題』となってきたのは大きな変化だ」とKanさんは歓迎する。法律も変わると信じて発信を続けているが「困っている人が放置されたままになっている。数年後ではなく、今、法律を変えてほしい」と強調した。

 英国でも婚姻の平等を勝ち取るまでには長い闘争の歴史があった。「英国は学んで、変化している。『日本はどうですか』って、僕は問いたい」

 
▽迫害や差別、偏見の苦悩

 英国ではかつて男性同士の性行為が違法とされ、同性愛者は迫害や差別に長年苦しめられてきた。1982年までには全土で同性愛行為が合法となったが、エイズの流行が偏見に拍車をかけた。同性愛者は憎悪の標的となり、ゲイが集まるパブで爆弾テロも起きた。

 同性愛者として知られる英国の数学者アラン・チューリング。第2次大戦時にドイツ軍の暗号解読で中心的役割を果たしたが、1952年に同性愛行為を理由に有罪になった。

 1967年にイングランドとウェールズ、1980年にスコットランド、1982年には北アイルランドで21歳以上の男性同士の性行為が非犯罪化され、チューリングを含め有罪のまま亡くなった多くの人たちは後に恩赦された。

 1980年代に性的少数者の権利を訴える運動が活発化する中、エイズが流行した。同性愛者らは死の恐怖だけでなく激しい誹謗中傷にもさいなまれた。1999年にはロンドンのゲイパブで爆弾が爆発、多数が死傷する惨事も起きた。

 
 2000年代に、同性カップルに婚姻とほぼ同等の権利と責任を与えるシビルパートナーシップ制度が導入された。2013年にイングランドとウェールズで同性婚を認める法律が成立し、後に全土に拡大。歌手エルトン・ジョンさんも2014年、同性パートナーと正式に結婚した。

 英国国教会も2023年、同性カップルを「祝福」することを認める方針を発表した。ただ、結婚は「一組の男女間のもの」という定義は維持し、同性カップルが英国国教会の教会で結婚することはできないままだ。
 
 

【NNNドキュメント】僕たちの婚姻、認めてくれませんか? 出会いは22年前…寄り添う男性カップル “同性婚” 婚姻の自由は…

 
 
熊本市で暮らす男性カップル。生活は家族そのものだが婚姻届は同性を理由に受理されず、看取りや相続の手続きでは法的な家族として扱ってもらえない。相手を人生の伴侶と決めても、認められない“婚姻関係”。

3月、2人も加わる全国の同性婚訴訟をめぐり、札幌高裁は「同性婚を認めない現状は婚姻の自由を保障する憲法に違反する」という控訴審初の違憲判決を言い渡した。

■親が生きているうちに「なりたいよね」
 
「“僕らは家族なんですと言える”のは、とてもまぶしいし手が届かない」

熊本市内で一緒に暮らしているゆうたさん(40)と、こうぞうさん(41)。2人の幸せを親も、周りの人も祝福しています。

ゆうたさん
「今生きている、私の父と、こうぞうさんのお母さん。長生きはしてほしいけど…。生きているうちに(ふうふに)なりたいよね」
 
国は、同性の結婚は認めていません。

「男性同士を当事者とする婚姻届は不適法であるため…不適法、不受理」

2人は婚姻届を提出しましたが市役所には受け取ってもらえず、その日のうちに返ってきました。婚姻は、男女だけのものなのか―――?

■自分らしく今が一番いられる
2人が出会ったのは22年前。その頃の写真を見て「まだ2人とも10 代でしょ」「そうね」。こうぞうさんの一目ぼれで、2人は付き合うようになりました。

こうぞう
「特別な感じで日々過ごしてはいないけれど、もしゆうたじゃなくて別のゲイの人だったらと思うと、同じような家族ぐるみの生活は送れていない感じがするので」
「自分らしく今が一番いられると」

■婚姻とは別物 パートナー「宣誓制度」
地方自治体の中には、同性カップルをパートナーとして認める“宣誓制度”を導入しているところもあります。ただ、こうぞうさんは「端的に言うと法的効果は何もありません」と話します。

この制度では婚姻と同じ、社会保障を受けることはできません。
 
2020年3月、こうぞうさんとゆうたさんは、国を相手に裁判を起こしました。いまの状態は「婚姻の自由」や「法の下(もと)の平等」を保障する憲法に違反していると訴えます。

一方の国側は、「同性どうしの結婚は想定されていなかった」「憲法違反にはあたらない」と主張しています。
 
 
■「社会の構成員、家族になりたい」
2人にとって、大切な居場所があります。熊本市中央区の橙書店。ゆうたさんが学生時代にアルバイトをしていた店です。

橙書店・田尻久子さん
「もう22年たっているけど、まだあまり変わっていないね、世の中はね」

ゆうたさん
「社会の構成員としての自分、家族そういうものになりたい…なのかな」

■母の思い「2人が幸せなら、同性でも」
ゆうたさんの母親も2人と一緒によくこの店に通っていました。

橙書店・田尻久子さん
「ゆうたのお母さんは死んでしまったけど、たぶん生きていたら(2人の結婚を)ものすごく喜んだんですよ…。もうすでに間に合っていないんですよ」
 
こうぞうさんの母親も、2人の関係を受け入れていました。

こうぞうさんの母
「心配は今のところしていません。ゆうたくんがしっかりしているから大丈夫だと思います」
「この人にはしっかりした人が付かないといけない」

ゆうたさんとは家族ぐるみの付き合いが続いています。

こうぞうさんの母
「2人が幸せなら同性でも何も問題はないと思うんです、国で認めてさえくれれば」
「家族の人も、そういう子どもさんを持っても、何も恥ずかしがることも、卑下することもないから、もっと表に出て応援してもいいなと思うんですけどね」

■僕らには「家族になるという選択肢がない」
 
亡くなったゆうたさんの母親は、ブランコに乗る2人の写真を撮ってくれていました。

こうぞうさん
「今みたいに応援してくれる声や味方でいてくれる声がなかったりする中で、僕らの存在をそれだけ受け入れてくれていたんだなと。こういう写真を通じて思うととてもありがたいしうれしいです」

ゆうたさん
「うちの母さんは『息子がもう1人できた気分』と言ったんだっけね」
 
こうぞうさん
「僕らはどれだけ大切に思っても、一生この人と添い遂げようと思っても、家族になるという選択肢がない」

■「認めないのは憲法違反」判決に2人は…
 
2人の幸せを、親も、周りの人も祝福しています。しかし、国は今も認めていません。

3月14日、あるニュース速報が2人のもとに届きました。「同性婚を認めないのは憲法違反」「札幌高裁2審での判断は全国で初めて」

スマホを見つめて「いいね」と声をあげる2人。この日、札幌高裁は、婚姻の自由を保障する憲法は「同性どうしの婚姻も保障している」という初めての判断をしました。「憲法に違反している」という判決を言い渡したのです。
 
“いままでで一番踏み込んだ判決”というニュースの文字に、「へー、やったね!やったね!」と喜ぶゆうたさん。そして、「当たり前のことなんだけどね」とつぶやきました。

2人はきょうも街を歩きながら祈っている。「僕たちの婚姻、認めてくれませんか?ささやかな願いなんです」